皇
流晶は、部屋の窓から、ぼんやりと外を眺めていた。
暖かい昼下がり。天気は恐ろしいほどに良く、時折窓から入る風は、とても心地よい。 その空、景色が、自分とはまったく別次元のもののように感じられて、流晶は、ゆっくりと目を閉じた。
扉のところでは、いつも通り、当たり前のように蘭が立っている。
久しぶりに帰った羅那の部屋には、確かに、
安心感があった。
「……ねえ、蘭」
その流晶が、唐突に、蘭の方に振り返った。
「なんでしょう?」
「皇になるということは、どういうことなんだろうね?」
蘭は、ほんの一瞬、口を閉ざす。考えているのかどうかもわからない、完璧な無表情だ。
「私にはわかりかねますが。きっと、この羅那国の人々を、幸せに導くということでしょう。気負って、深く考えなければならないものではないと思います。流晶さまには、その素質がおありです」
流晶は、苦笑のようなものを浮かべた。
「……素質?」
自嘲を含んだ声でいい、蘭を見る。
ですから、と蘭は続けた。
「流晶さまは、流晶さまでいいのです。もう、おやめになりませんか。兄上様がたが生きておられたことはとても喜ばしいことではないのですか」
「喜ばしいことだね」
どこまで本気なのかわからない流晶の声。
「僕はとても喜んでいるよ、蘭。お兄さまたちが生きているからこそ、僕は皇になれるんだから」
「…………」
「大丈夫、露祇お兄さまは、絶対紫雷お兄さまや焔俐お兄さまのところへは戻らないから。
また探せばいい。紫雷お兄さまたちは、ちゃんとここにきてくれるよ」
やはり無表情で、蘭は押し黙る。何か大切なものを忘れてしまった主人が、あまりに哀れで、何もいえなくなる。
幼いころは、もっとたくさん、笑っていたのに。
「──流晶」
突然、窓の方向から声が聞こえ、流晶は驚いて振り返った。
「誰ですっ?」
一瞬にして蘭が流晶と窓の間に入る。しかし、窓の外に、人影は見えない。
「……?」
警戒する蘭を、流晶が制す。見ると、驚いたことに、窓の下から手がのびていた。
「露祇、お兄さま……?」
「そうだ」
ひょいっと、窓から露祇が顔をだした。そのまま軽い身のこなしで、部屋のなかに入る。
「どうして……」
ここは三階だ。
「木を伝ってきた。この部屋は、簡単に侵入できる。不用心だ、気をつけた方がいい」
「そういうことをいってるんじゃなくて!」
珍しく、流晶は狼狽していた。
「どうして、戻ってきたんですか。誰の指図も受けないんでしょう?」
「誰の指図も受けない。露祇は、自分の意志でここにきた。ここにいれば、紫雷や焔俐が来るんだろう? あいつらに逢って、いろいろと聞きたいことがある」
それに、と、露祇は流晶を見た。
「おまえは、淋しそうだ」
「──っ」
ひどく複雑な顔をして、流晶が一つ上の兄を見上げる。何を考えているのか、理解できない。
「……部屋を、用意します」
そういうのが、精一杯だった。
「この城で、自由に過ごしてください。ここでは、あなたがたは死んでいることになっているので、あなたが露祇お兄さまだということは伏せておきます。あまり、目立たないようにしてください」
いうだけいって、流晶はすたすたと部屋から出ていった。蘭は、そのあとを追おうとしたが、思いなおしたように振り返る。
「露祇さま」
その声には、やはり感情はこもっていなかった。
「流晶さまを、お救いください。皇になるための協力という意味ではございません。流晶さまのお心を、お救いください、どうか」
「…………」
それは無理だと、露祇は思う。
自分自身の心も、わからないのに。
「では」
一礼し、蘭もまた部屋から出ていった。
*
セリエは二日以上かかるといっていたが、実際には二日もかからずに、一行は港町へ辿り着いていた。
もう日も沈みかけたころだったので、羅那国行きの船も明日にならなければ出ないといわれ、とりあえず町で一泊することにする。
彼らは、町の中心からは少し外れたこじんまりとした宿に、部屋をとっていた。
「──どうしてよっ?」
その宿の入り口から少し離れたところで、セリエはそう怒鳴った。もうたいていの人が寝ている時間なので、ボリュームは押さえているが、十分に響く声だ。
怒鳴られた本人──レオンは、苦笑ともとれる笑みを浮かべた。
「絶対、怒ると思ったんだよなあ」
「怒るに決まってるでしょう? あたしだって行くわよ!」
「港までで十分だよ、本当にありがとう。ここまでで、ずいぶん助かった」
「どうして……!」
拳を握り締め、尚も食ってかかるセリエをどう宥めようか、レオンは途方に暮れる。
「俺たちの問題なんだ、羅那国のことは。だから、俺たちだけで行くよ」
「邪魔ってことっ? 何よ、またあの時みたいに、あたしだけを置いて行っちゃうのっ?あれから、あたしが、どれだけ探したと思ってるのよっ?」
セリエは、顔を真っ赤にして、どうやら本気で怒っているようだった。興奮のあまり、今にも泣きそうだ。
「ちょ、ちょっと、落ちつけって。ちゃんと説明を……」
「なによ! なにをいわれてもあたしは行くわよ!」
物凄い剣幕でまくしたてる。このままでは話を聞くどころではない。
レオンは、どうしたものかと空を仰いだ。
「いいたいことがあるなら、はっきり──」
いいなさいよ、と続こうとして、セリエは見事に黙った。
長いのか短いのか、少なくとも彼女にとっては長すぎる沈黙の後、レオンに抱き締められた体制のままで、声を絞りだす。
「……それは、卑怯だわ……!」
「落ち着いた? じゃあ、話を聞いてくれ」
そのまま、レオンはいった。
「セリエには、こっちにいてほしいんだ。わかんないかな、うまく、いえないけど……。レクリアで、俺にとっての故郷で、待っててほしいんだ」
レオンは、身体を離すと、何やらごそごそとポケットから取り出した。
紺色の、飾り布だ。
「……何よ、それ」
「昔、俺が髪を結んでたやつ。捨てられなくてさ、ずっともってる、俺の宝物。これ、預けとくからさ。師匠のところで、待ってて」
「…………」
飾り布を受け取り、今度は反論できず、セリエはうつむいた。
「………………絶対よ」
「もちろん」
どさくさで丸め込まれたような気がしないでもなかったが、まあいいかと、セリエは妥協してやることにした。
何もこれで、二度と逢えなくなるというわけではないのだ。
翌朝。
レオンとキール、恵芳の三人は、羅那国行きの船へと乗り込んだ。