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大人たちにとっての無かった日とは、必要がなくなった非常食を村の子供たちに配りながら偉ぶって、親戚中で集まって好きなだけ酒をかっくらって騒ぐだけ騒いでいい日である──少なくとも村の大人の一人であるタズサは思っている。
まあ何にしろ、1日に1度しかない貴重な休みの日だ。しかも1日目は父方、2日目は母方の親戚で集まると決まっている。つまり明日は嫌でも妻の実家に行かねばならん。今のうちにゆっくりと骨を休まさせてもらうことにする。
ここはタズサの両親の家だ。村の中では長老と言ってもいいくらい長生きをしているが家は小さい。だが子供や孫の数は多い。家だけじゃ足りないので、毎年庭に大きなテントを張って補っている。親戚の大半はそのテントの中で寛いでいる。俺もその中の一人だ。まあもう春だしな。毛布を敷いてあるので、座り心地も悪くない。そして、お小言がないのが一番の理由か。
今は末の妹となったエリーが隅っこで、今日も特に何も無い1日だったよーとか菓子を配りながら俺の息子や甥っ子どもに話しているが、あれは絶対に嘘だ。いや、あいつの中では特に何も無い1日だったのかもしれないが、他人から見れば絶対に違う。今日も色々と濃厚な1日だったはずだ。いや、今日は無かった日だしな。いつもよりもさらに濃厚な1日だったはずだ。
テントの真ん中には火鉢が置いてある。エリーが土産だと持ってきた海の魚の干物とやらをあぶって食べる。死にたくなければ肉も魚も生で食うなと言われたときには反論しまくったが、焼いたやつもこれはこれでうまいな。酒のつまみに丁度いい。ついでにエリーの話もつまみにすることにする。
同じく末の弟となってしまった弟のレリクも、同じように肉や魚を焼きだした。そして同じようにエリーの話に耳を傾けているようだ。苦手な野菜もエリーがいるところではきちんと食うらしい。何だかんだ言いつつ、妹は可愛いよな。娘よりも年下の妹はたまにどう扱っていいか分からなくなるが、それでもやっぱり妹は可愛い。エリーも可愛いがレーネも可愛い。まあ、娘たちも可愛いんだけどなー。
俺たちの妹はどうやら今日は国中の町と王都をめぐって来たらしい。文字を教えてくれる獣人を捕まえたり鰐を捕まえたり王子様を奴隷にしたりギルドや魔法学校で喧嘩を売ったり売られたり魔族や魔王を倒したりしてきたらしい。
魔王を倒したという話には流石に驚かされたが、まあそれが分かったところでどうということはない。昨日までと何も変わらない毎日が明日からも続けられるんなら、何も無かったのと同じだ。……ああ、そうだな。エリーの言うとおりだ。今日は焼き魚の旨さを知っただけの、特に何もない1日だったわ。もう一人の妹に会ったらそう言っておこう。
エリーは将来の夢についても語る。この村のエーヨーとエーセージョータイとキセーチューをどうにかしてジュミョーとやらを延ばしたいらしい。ミセとガッコーはその為の手段だそうだ。
まあ何を言っているのか殆ど理解不能だったが、それが村とエリーの為になるならやればいい。少なくとも俺は反対しない。いや、たとえ反対したとしても、生まれたてとはいえ魔王やら魔族やらを倒してしまったあいつならきっとやるんだろう。従えている……あいつ曰く馬たちも、伝説級の生き物ばかりだしな。
いつの間にかうとうととし始めた弟に布をかけながら、俺は静かに魚をあぶり続ける。
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先生を見つけたおかげで、先生のおかげで、私はこの世界の文字を覚えた。甥っ子たちもこれからはそちらの文字を使うはずだ。だからこれから私は前世の文字を、言葉を、これまでとは比にならない速度で忘れていくだろう。
その前に、届かない手紙を書いてみることにした。
拝啓
1月です。こちらでは今月から春になります。そちらでも暦の上では春となるはずですが、実際はまだ雪が降りまくっている季節ですよね。こちらでは砂漠の砂の上に降り積もった僅かな雪が音もなく消え去る季節です。
(前世の)父さん、母さん、お元気ですか? 貴方たちの娘だった私──絵里のことを憶えていますか?
私は残念ながら貴方たちのことは忘れてしまいました。顔も声も、そして弱点も……ふふふ、殆ど忘れてしまったので安心してください。
えーっと……思い出した景色があまりに素晴らしかったもので、すみません、忘れました。まあきっとその程度のことで忘れてしまうことです、大したことではないでしょう。
とりあえず父さんと母さんには、将来絶対に役に立つからと詰め込まれた国語・理科・社会・英語の知識はあまり役に立っていないことをお知らせしたいです。……愚痴です、はい。
水平、リーベ、僕のお舟……はいませんでした。火、風、土、水の四大元素と光、闇、無の三元素からなるファンタジーな世界に転生したからです。
メンデルさんの優性の法則も存在しません。隔世遺伝なんかもありません。母さんが好きだった猫耳は猫耳からしか生まれないのです。きっとここの遺伝子は二重らせん構造はしていないのでしょう。
数学だけはもっと激しく勉強しておくべきだったと後悔すること頻りです。お金という概念が無い村に甥っ子たちと一緒に物々交換も可能なお店を作ったのですが、この世界で使われる数が20進法ということもあって、ただでさえ難しい計算がとんでもない難易度になっています。簿記とかいう謎の資格を取得しておけば良かったと後悔すること頻りです。
でも父さんが気まぐれで買ってくれた経営ゲームの知識は役に立っています。おかげでぼちぼちと黒字です。
店という概念もぼちぼちと村人の頭の中に浸透していっているようです。いずれ森にやってくる冒険者たちからも毟り取r……常連客になってくれる人がいたらいいなと思います。
魔法も便利だし、甥っ子たちも馬たちも可愛いし──甥っ子たちや馬たちが時々拾ってくる謎の生物たちには頭を抱えていますが、概ねいい感じに生きてます。
父さんと母さんはまだ生きてますか? それとも身罷っちゃいましたか?
もし生きているのなら、仏前か墓前に桜餅と煎茶をお供えしてやってください。私は食べられませんが、気持ち的に嬉しいです。
あ、父さん、日本酒は供えないでくださいね。私の記憶は、高校に入ったそこで終わっているんですよ。もしかしたら大往生だったかもしれないですが、私の中では16歳になったところで終わっているんです。未成年にお酒を飲ませないでください。
もし父さんと母さんも身罷っちゃっているのなら……私のことはもう憶えていないかもしれませんね。薄情な親です。もし出会うことがあれば、笑顔で一発殴らせてください。……ブーメランでないことを祈ります。
ではその日まで、お元気で。
敬具
R歴889年1月1周目火の曜日
矢代絵里
矢代大吾様
矢代里子様
漢字交じりのこの手紙は、この世界ではきっと私しか読めない手紙だ。もしかしたら、この先の私にも読めないかもしれない手紙だ。
甥っ子たちには平仮名と片仮名を教えたけれども、日本語とこの国の言葉は違う。音が限りなく近いので仮名を使えただけで、日本語をそのまま仮名で書いても誰にも意味は通じないのだ。
おそらく誰にも読まれることは無いであろうその手紙を、淡い桜色の便箋を淡い水色の封筒に入れる。春になれば当たり前のように家族で写真を撮りに行くその山が、海と桜を臨む景色が、実は私は嫌いではなかったのだ。
その封筒に真っ白な糊で封をする──ただそれだけで、前世の記憶が一層遠くなった気がした。




