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 私には前世の記憶がある。

 太陽系の第三惑星地球にて、日本という国で『お金(の価値)は(使わないとドンドン下がっちゃうから)使わなきゃ損!』という時代に矢代絵里(やしろえり)という名前で高校生をやっていた……はず。


 今世があるってことは矢代絵里としての私は死んだのだろうが、死因は知らない。何歳で死んだのかすら知らないし、その他のこともあまりはっきりとは憶えていない。

 ただ、お金は使わなきゃ損という考えは、今も私の意識の根底に根付いている。


 が、今世の私が生まれた村にはお金が無かった。お金という概念が無かった。使う使わない以前に、対象となる物体が無かった。



 村は辺境に在った。もう少し具体的に言うならば、広大な海原の中にある茫漠な砂漠の中にある深遠な森の中に村は在った。無論、訪れる者など殆どいない。

 同じ大陸の、同じ国に所属しているとされている者たちの中ですら、その存在を知る者はあまりいないと聞く。


 村には名前すら無かった。少なくとも私は知らないし、おそらく村人の中に知っている人は殆どいない──この辺りには他に人が住まう領域などなく、ただ単に『村』と言うだけで通じてしまうからだろう。


 環境から閉鎖的にならざるを得ない村人たちには残念ながらお金という概念を知る機会が無かった。外の世界にそう呼ばれる物があるということくらいは知っているが、見たことも触ったことも使ったことも無いのだ。

 村では欲しいものがあるときは物々交換、もしくは労働力で返すのが基本である。


 成人するとすぐに、そんな村に私は店を作った。店名は『エリーの店』──エリーは今世の私の名前であり、敢えて何の捻りも加えなかったそれは予想通り簡素に『店』と呼ばれている。お金という概念を若い村人というか子供たちに植え付けるためだけに作った、私の店兼学校だ。

 大人の事情でお金という物体は用意できなかったので、今のところ通帳のようなポイントカードで代用している。



「やあ、エリー」

「おはよう、エリー」

「今日もよろしくお願いしますね、エリー」


 ドアベルよりも先に響いた楽しげな声に顔を上げると、そこにいたのはラウリ、エクス、ソランの甥っ子3人組だった。(誰が犬で誰が狐で誰が鼬か忘れたが)3人とも獣人(と呼ばれる動物の耳と尻尾を持った人種)の子であり、今日も3本の尻尾がふぁっさふぁっさと揺れている。

 (私が村では少数派の人間ということもあってか)未だに店というのは何やら妖しいものと思う村人が多い中で、貴重なお得意様でもあり、生徒でもある。まあ当人たちは、身内の家に遊びに来ている感覚なのかもしれないが。


「いらっしゃい、ラウリ、エクス、ソラン。今日はどれにする?」


 私の店は小さいが、大概の物が揃っている。無い物も勿論あるが、村の中をぐるっと見回してそこにある物は大体ある。村の他の家には無いが私の店にはある物もある。店を入ってすぐの場所にある、掲示板もその1つだ。


『リラさんに にもつを とどけて。報酬:50ポイント。依頼人:エリー。』

『やくそうを 5かぶ あつめて。報酬:50ポイント。依頼人:エリー。』

『デクスさんの くさむしりを てつだって。報酬:300ポイント。依頼人:エリー。』


 そこにあるのは、10歳にもならない子供でもできる依頼ばかりだ。

 使われている文字は日本語だ。私には前世の記憶があり、村には文字が無かったから……まあそうなるのも仕方がないと思うんだよ、うん。


「エリー、薬草ってどれでもいいの?」

「うん、今のところは未だね。薬草でさえあればどれでもいいよ」


 彼らが知っている薬草は未だ3種類しかない。どれも雑草のようにその辺の叢に茂っているので、見つけるのは簡単だ。採取にはちょっとコツがいるけど、それはもう教えてある。

 それはそれとして、薬草採取を選ぶのか。他の依頼を選んでもらえると、2人──リラさんとデクスさんは私の両親であり甥っ子たちの祖父母でもある──に久しぶりに孫の顔を見せてあげられたのだが、まあ仕方がない。


「みんな、水は持っているね? 期限はいつも通り、太陽が真上に来るまで。危険なことはしないで無理だと思ったらすぐに引き返すこと。失敗したときは報酬の半分の25ポイントを没収するからね」


 いつもの口上にいつものように肯く3人。


「んじゃ、行ってらっしゃい!」


 今日もいい天気だ。



「助けて、エリー」

「拾っちゃったよ、エリー」

「どうしたらいいですか、エリー」


 ドアベルが鳴った直後に、困ったような甥っ子3人組の声が聞こえてきた。

 仔猫でも拾ってきたのかと顔を上げると、ぎりぎり店の中ではない場所に置かれた緑と茶と灰色で汚れ果てたゴミのようなものと目が合った。ひらひらと振られるその片手にいらっときたのでこう言った。


「捨ててらっしゃい」

「いやいや、ちょっと待ってよ、エリー」


 聞き覚えのない掠れた声が耳に届く。

 我知らずため息が口から洩れた。どうやらこの招かれざる客は私の仕事を中断させたいらしい。実に不愉快だし不本意だが、このまま無理に続けてしくってしまうのも面白くない。


「何ですか、君は。名乗ってもいない相手に気安く名前を呼ばれたくありません」

「えー? じゃあ何て呼べばいいのさー?」

「呼ばないでください。寄らないでください。汚さないでください。シッシッ」


 精神的な意味でも衛生的な意味でも近づいてほしくない。


「あー、言っておくけど、僕、王子様だからね? もっと大事にしないと、後悔するよ?」

「……は? 王子様?」


 思わず目が点になる。


「ね、可哀想な人でしょう?」


 そう言いたげな3人と目が合う。


「あーもう、しょーがないなあ」


 私は片眼鏡を外すと、ゆっくりと立ち上がった。



 店の裏手にある風呂も村の他の家には無い物の1つだろう。風呂っていうか、まあ温泉だが。

 金属か岩塩でも埋まっていないかなと魔法の練習兼好奇心で庭でボーリングしてみたら、まさかの湯脈にぶち当たったんだよね、超ラッキー☆彡


 家族用、野菜・食器洗い用、馬用があるんだけど、まあ今使うべきは馬用だよね。


「ごめんなさい」


 我が家に3頭いるお馬さんたちに謝りながら、ゴミっぽい人を蹴り入れた。



「よし、上手くできた」


 いい感じに焼けたパンケーキを次々と皿の上に積んでいく。今日の昼食だ。

 私は前世から果物やその加工品が苦手なのだが、ケーキやアイスクリームと一緒になら何とか食べられる。という訳で、健康の為に週に1度はパンケーキを食べる日を設けることにしたのだ。


 出来上がったパンケーキのタワーに溶けたバターをどばーっと掛け、アイスクリームをディッシャーもどきでかこんと載せる。蜂蜜とジャムを掛け、果物をふんだんに載せる。

 どれもこれも本物とはどこかうっすらと違ったもどきなんだけどさー。でも、これは甘い。絶対甘い。作っている最中から頭痛がするが、でも甘いものに飢えている甥っ子たちはきっと喜ぶ。


 ああ、飲み物は各自持参でお願いしている。私の一番好きな飲み物が白湯なんだけど、なぜか甥っ子たちには不人気なんだよ。


「おお、何これ見たことないよ、エリー」

「キラキラしてるよ、エリー」

「とってもいい香りですね、エリー」


 お風呂から上がってさっぱりした甥っ子たちが興味津々にテーブルの上のタワーを見つめる。

 さもあろう。前世ではこの絶妙な厚さと焼き色を作り出すために、焼きに焼きまくったんだよ。うん、週に5回もパンケーキを食べさせられた前世の家族の苦労が報われた気がするよ、今。


「パンケーキだよ。冷めないうちに食べてね」


 きれいに4つに切り分けて、1つずつを甥っ子たちのお皿に移す。


「おお、エリー。僕は今日この場にいられたことをとても幸運に思うよ」


 風呂から上がって美人になった元ゴミが片足を折り両腕を広げてそう言った。

 てか、この男の存在をすっかり忘れていたよ。仕方がないので、最後の1/4から半分をくれてやる。必然的に私の分も1/8になったが、まあいいや。テーブルの上に並べた他の料理の方が好物だし、問題はない。


「いただきます」


 パンケーキは予想通りに甘かった。甘すぎた。一口食べただけで充分すぎる、多すぎる。甥っ子たちは目をキラキラさせながら食べてくれていて、視覚的には満足だが味覚的には問題ありありである。

 甥っ子たちは可愛いが、与えすぎるというのも良くないだろう。流石自称王子様というか何というか、お上品にナイフとフォークを動かしている元ゴミの方へと食べかけのパンケーキの皿を押しやっておいた。


 しかし、ふむ、この見た目と品の良さ。もしかしたら拾いたいとおっしゃる未亡人が結構いらっしゃるんじゃないだろうか。まあ未婚の若い御嬢さんでも別に構わない訳だが。


「ねえ、ラウリ、エクス、ソラン。この元ゴm……こほん、この男の首から値札を下げてお店の外に置いておくってどうかな?」


 元ゴミの手が止まり、甥っ子3人組が互いに目を合わせる。


「んーでも値札の意味が解る人は僕たち以外にいないと思うよ、エリー」

「エリーの文字を読める人も僕たち以外にいないと思うよ、エリー」

「店のイメージが悪くなると思います、エリー」


 そっかー、残念。


「面白い冗談を言うんだね、エリー」


 くすくすと笑っている男がいるが、半分以上本気だよ。何か君、すんなりと出て行ってくれそうな気配が無いんだよね。



 いつもは1時間以上をかけて食べる昼食だが、今日は10分ほどで終わってしまった。ここはどこの日本ですか? でも元ゴミっぽい人の所為でやることは沢山ある。ちょうど良かったと、言いたくはないが言ってもいいかもしれない。


 元ゴミっぽい人を村長に押し付けてから、いつもよりも丹念に馬用の風呂の掃除をやり、いつものように細々とした雑事を片付けていく。その間、甥っ子たちは勉強の時間だ。

 そしてその甥っ子たちは、夕陽が沈む前には、ポイントと交換した塩やら肉やら魚やら野菜やらを手にして、それぞれの家へと帰っていく。


 彼らの兄弟姉妹もまた私の甥や姪である。他にも色々と持たせてやりたい気持ちはあるが、調達するのは私一人である。週に1回パンケーキの日を設けることにしたことによって、能力的に更に無理になった。

 採取には何度か甥っ子たちを連れて行っているので、彼らもそれは解っているはずだ。うん、何度も泣いていたしな。



 さて、今日は何処に何を狩りに行こうかなー。軽く鼻歌を歌いながら、馬小屋へと向かう。

 暫くはブラッシングで時間を潰し、辺りが真っ暗になったのを確認してから1人と3頭は空へと翔ける。


「今日の目的は肉だよ! よろしくね!」


 それを聞いた3頭の馬たちの口からたらったらと涎が垂れ始めた気がするが、ここは異世界。細かいことは気にしたら負けだ。

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