善意の御礼だが当人にとっては御礼参り
片手に釘バットで校内に侵入するOB
「もうすぐ御飯が出来るから、もう少し待っててね」
「……はい」
全身を恐怖に支配された俺は、辛うじて肯定の返事をすることしか出来なかった。
今現在、高須家のキッチンは俺にとっての地獄と化している。
何故ならば俺の家で、美少女が、料理という名の黒魔術を行っているからだ。
美少女恐怖症である俺が、体を張ってまで天敵とも言うべき美少女を助けた結果がこれなのだから、世界は絶望に満ちているとしか思えない。
どうしてこんな状況になったのか。
その原因は、俺が右手に負った捻挫と、旅行中の両親が主な原因で更にそこへプラスして我が家でミンチが飼われていたことにある。
利き手が使えなくなるというのは、予想以上に不便な上に、手助けしてくれる家族もあと二日は旅行先から帰ってこない。
難儀なことに、責任を感じたのか美少女は、俺が怪我をしたのは自分のせいだからと言い出して、両親が帰宅するまでの二日間、恩返しも兼ねてお世話をするのだと恐ろしいことを言い出したのだ。
当然ながら、俺はその提案を全力で否定した。
確かに不便ではあるが、その代わりに命の危険が常に付きまとうなんて、天秤にかけるまでも無い。
だが予想以上に、強く世話をするのだと粘られた俺に、その要求を拒否する術は無かった。
キツイ視線で顔を近づけて来るとか、俺にとって水車に貼り付けにされて水攻めされるよりも酷い拷問である……。
自分の家という本当ならば世界で一番リラックス出来る筈のプライベート空間に居ながらにして、厳しい就職面接の最中の大学生よりも酷いのではないかとも思える緊張感を常に抱きながら、お世話される一日を送った。
ちなみに今夜の御飯はカレーだ。
右手の負傷によって、箸を使うことが困難な俺にとスプーンで食べられる上に、明日の朝以降も暖めるだけで食べられるようにと配慮してくれたらしい。
恐怖の対象であることに変わりないが、その気遣いに対しては素直に感謝する。
だが、それを考慮に入れたとしても、俺にとって命に関わるような悪ふざけはしないで欲しい。
「何だったら私が食べさせてあげよっか?」
「……謹んで遠慮します」
「特別サービスで今ならフゥフゥしてあげるよ?」
「……勘弁してください」
「もう。照れなくっても良いのに」
誤解の無いように訂正させてもらうが、俺は照れていたわけではなく、気分としては不作にも関わらず例年よりも多くの年貢を納めることを命じられた農民が領主に対してこれでは冬が越せないからどうか考え直してくださいと懇願している感じだ。
幸いなことに、俺に対しての御礼という名の拷問を早々に諦めた美少女は、いつの間にか傍にやってきた我が家の愛猫たるミンチをモフることに意識を向けてくれた。
犬は人を守り、猫は家を守るなんて話を何処かで聞いたことがあるが、ミンチは間違いなく飼い主である俺の命を救ってくれた、吉田さんに続く第二の救世主、改め救世猫である。
昨日は高級猫缶だったから、今度は俺の小遣いから自腹でペット用の高級飲料水でも買ってあげようと心に誓う。
その後もミンチの活躍(音無鈴奈にモフられ続けた)のおかげで、俺に大きな被害が発生することはなく、美少女はお隣へと帰っていった。
後はもう一日だけ耐えれば、両親が帰ってくるので一安心だと思っていたのだが、その日の夜の内に両親は帰宅した。
何でも父さんの勤める会社からの急な呼び出しで、帰宅の日程が一日だけ早くなったらしい。
旅行中だった二人にはお気の毒とは思うが、俺にとっては神様ありがとうと感謝の祈りを捧げたい気分だ。
これで以前と同じとは言い難いが、少なくても家では平穏な日々が訪れるだろう。
そんな小さな幸せを噛み締めながら、明日を迎えた俺に対して、母さんが残酷な命令を下す。
「ちょっと英太。あんたお隣さんからお蕎麦を貰ったんでしょ。この菓子折りを持ってお返しに行ってきなさい」
母さんから渡された箱は、旅行先からのお土産にと大量に買い込んできたご当地限定のお菓子の箱詰の一つだった。
「な、何で俺が?」
「昨日は捻挫した英太の為に、お隣のお嬢さんが態々料理までしてくれたんだって言うじゃないの。ちゃんと自分の口で御礼を言いに行きなさい」
確かに母さんが言うことは、人として間違ってはいないだろう。
その上、手土産まで用意しておいてくれる辺り、ご近所付き合いを円滑にしようという主婦の鑑と言っても良い手腕だ。
だが俺にとってその選択は、魔王討伐に旅立つのに、ひのきのぼうはおろか、職業が武道家でもなければ素手の格闘スキルすら持っていない勇者に、裸一貫で魔王に挑めと、王様から拒否権無しの使命という名の死刑を言い渡されたに近いニュアンスだということを、母さんは知らない。
抗議の声を上げるものの、俺に拒否権は存在していないのは、この際諦めよう。
それに良く考えてみれば、まだ死ぬと決まったわけではない。
俺の美少女恐怖症は、どういう訳か基本的に二十歳以上の人には発動しないのだ。
つまり、お隣さんを訪れた時に、美少女の母親が対応してくれれば、それだけで俺の尊い命は救われる。
美少女の基盤となった存在だとすると、凄そうではあるが、それは美人な奥様というだけで、美少女ではない訳だ。
「……いける。これならいけるぞ!」
俺は自らに暗示を掛けるように意識を極限まで前向きに高め、お隣さんのインターホンのボタンを押す。
チャイム音がしてから待つこと数秒後。
バタバタバタという足音が聞こえてきて、扉が開かれる。
運が良ければ奥様に菓子折りを渡して少しの世間話でもすればこの危険なミッションは無事にコンプリート。
もしも美少女が出たとしても、少なからずとも今まで対応出来た実績があるので、上手く立ち回りさえすれば、まだ生きて帰れるチャンスはある。
俺は何処かでそう楽観的な考えをしていたのだが、その答えはどちらでも無かった。
扉を向けた人物は、俺の見たことがない美少女だったのだ。
新キャラ追加です