ぬこは救世主
ぬこは可愛い
我が家の玄関に悠然と佇む脅威を前に、俺は頭のに最大級の警報が鳴り、頭痛すら覚える。
この美少女は、間違いなく本日をもって忌々しくもクラスメイトとなった音無鈴奈、本人に違いない。
いや、それよりもどうして彼女が俺の家を訪ねてくるのか、それが今の俺にとって最大の謎だ。
「……えっと、確か隣の席の……」
俺の顔を見て、奴が困ったような顔をする。
どうやら俺の顔は覚えていたらしいが、名前までは出てこないようだ。
そもそもまともな会話なんて、殆どしていないので名前自体を知らないのだろう。
いや、待てよ?
俺の素性を知らずに、我が家を訪ねて来たのか?
それに、この反応から察するに……奴は俺が出てくることも想定していたわけじゃないのかもしれない。
奴の転校生というクラスでの肩書きから、俺の脳裏に一つの可能性が浮上する。
この可能性を検証する為には、目の前の脅威とコンタクトを図るしかない。
今にも腰が砕けそうではあるが、今この時を逃せば、これから先の対策が何の意味も成さなくなる可能性だってある。
この現代社会において、情報は力だ。
覚悟を決めろ俺!
「……高須だよ。そういえば自己紹介はまだしてなかったよな?それより何で音無さんが俺の家に?」
可能な限り自然な形で、軽く自己紹介をしつつ、さり気なく質問を付け加える俺。
はっきり言って、声が上擦ったりどもったりしなかったのは、我ながら奇跡と言っても良いだろう。
もしもこのまま会話を10分以上続けなさいと言われたら、俺の命は尽きると断言出来る。
だから俺の精神が耐えていられる間に、この瞬間だけでも良いので本職のネゴシエーター並の交渉術の才能を俺に下さい神様。
「そっか!高須君って言うんだ。これから学校でも家でもお隣同士、宜しくね」
「……はい?」
今、何かさらっととんでもないことを言われた気がするぞ……。
「これ、引越しソバなんだ」
俺が先程の言葉の意味を理解するよりも早く、美少女は、言葉通り蕎麦ギフトセット引越し編と書かれた箱を眼前へと突き出した。
「最近はこういうのも、デパートで売ってるんだから凄いよね~」
「あ、ああ……引越し蕎麦ありがとうな……」
昨日までは空家だった筈の右隣の一軒家……改めて見てみればその庭には、今までは無かった黒いワゴン車が止められていた。
恐らくだが、俺が学校に言っている間に、引越し作業をしていたのだろう。
家の両親が、旅行なんぞに行っていなければ、もっと早くこの事実に気付くことが出来た上に、俺が直接対応することもなかったのだが、今となってはそんな考えも虚しい夢物語でしかない。
「いえいえ。どういたしまして。ところで高須君」
「な、何か?」
ご近所としての、定型文的なやり取りを交わしたその後、美少女は急に改まった態度で俺を見据えた。
その仕草は世間一般では可憐に映るのかもしれないが、俺にとっては大型の猛獣が目の前で飛び掛る姿勢に移行したような、強烈な恐怖と絶望でしかない。
「高須君の家って猫を飼ってるの?」
その言葉を聞いて、俺が後ろを向くと、我が家の愛猫、ミンチが俺の部屋から玄関までのっそりとやって来ていた。
「……まあね」
「名前は何て言うの?オスかなメスかな……あ!でも三毛猫だからメスなのかな?」
「ミンチだよ。当然メス」
三毛猫は基本的にメスばかりで、オスは相当に珍しいのだと、何処かで聞いたことがある。
……いや、そんなぬこ情報よりも、この会話の流れは不味い!
「あの、ちょっとだけで良いからミンチちゃんを触っても良いかな?」
予想通りの話の流れに、俺は神を呪った。
ミンチを触らせるということは、美少女を我が家に招き入れるということだ。
そんな家に武器を重装備した強盗を自ら招待するような、危険な行為をしたくなんかない。
だが引越し蕎麦を貰った手前、駄目だとは非常に言い辛い上に、あの真剣な様子からして、ここで断っても別の機会に要求してくる可能性が高まる。
同じクラスの隣同士の席という地の利が相手にある以上、いつ何時にそのような要求をされてもおかしくは無い。
……ならばここは敢えて要求を呑み、美少女には早々に満足してもらった方が得策だ。
幸いにもミンチは歳若い猫としては穏やかな性格で、人にも懐く方で初めて会った人でも、いきなり目の前で大声を出したり、無理に追いかけようとしなければ、触らせてくれる賢いお嬢さんである。
「……そういうことなら少し上がっていくか?」
「本当!?」
「……ああ」
「わぁ~ありがと。私の家ってお母さんが猫アレルギーだから飼いたくても飼えないから、一度思う存分に猫を撫で回したかったんだよ!」
「あんまり触りすぎるとストレスになるから、程々にな……」
「了解です隊長!」
傍から見れば軽い会話を交えつつ、家に招き入れたように見えるかもしれないが……もう無理!もう限界です!!!
さっきから何度も、笑顔を向けられる度に、俺は全身を恐怖に包まれ、今にも卒倒しそうだ。
事実、何度か意識が遠のきそうになったりもしたよ。
不幸中の幸いにも、美少女は家の中でも終始ミンチと戯れることに夢中になっており、一時間程が経過した後、母親から用事を頼まれていたと言って、出て行った。
まるで一過性の大型台風のようだ。
いや、大いなる災厄が大型台風の規模に収まったのだから、ミンチのモフモフ接客に感謝しよう。
今日はたこ焼きパーティーに加えて、高級猫缶も付けた、高須家主催のフェスティバルだな。
個人的には銀〇このたこ焼きが好きだったりします