大いなる災厄との邂逅
転校生と聞けば、何故か美男子か美少女というイメージはフィクションです。
「今日から俺達のクラスに転校生が来るらしいぜ?」
中学を卒業して、この春から高校生活を始めてから一ヶ月が過ぎ、ゴールデンウィークが明け、五月病真っ盛りな俺に、朝っぱらから見知った顔をした一人の男がそんな話題を振ってきた。
朝一番に教室で机に突っ伏していた俺に声を掛けてきた、太い眉毛と深い彫りの顔が、どうしてか昭和という言葉を連想させるこの男の名は、田中 八郎。
不本意ながらクラスメイト兼、小学生時代から続く腐れ縁な、俺の友人という奴だ。
「何で八郎が転校生が来るって知ってるんだよ?」
「俺の情報ソースは幅広いんでな。これくらいの情報なんてお茶の子さいさいだっての」
顔面に続き、言動からも昭和の古き懐かしい香りを放つ八郎を前に、俺は飽きれ混じりの溜息を吐き出す。
本人が言うとおり、八郎は独自の情報網を持っているらしく、小さな噂から大きな噂。
果ては眉唾ものな胡散臭い情報まで、収集してくるという変な特技を持っている。
八郎が言うには、両親共にジャーナリストなサラブレッドだから当然とのことらしいが、これはただ単に八郎が己の内に持つ性癖という名の業だと俺は思う。
その証拠というわけでは無いが、あまりにも多くの情報を持った八郎は、中学校時代に校内の全女子生徒のスリーサイズの情報を持っているとも噂され、女子の間から村八分にされていたという、悲しい経歴を持つ。
「……程々にしておけよ」
俺の一言でこの性癖が直るとは、思ってはいないが、それでも知らない仲では無いので一応の忠告だけはしておく。
「分かっているさ。俺だってその辺りはちゃんと考えている」
「だと良いけどな」
「そんなことよりも、さっきの話の続きだ英太。お前はどんな転校生が来るか気にならないのか?」
「……別に」
転校生に興味は無いが、願わくば美少女では無いことを切に願うよ。
「相変わらずノリが悪いな。男なら『美少女キボンヌ!ペロペロしたいお』くらいの気概を見せろ!」
「心の内でそう思うことを否定はしないでおくが、それを口にした瞬間に変態のレッテルが貼られることを、俺は許容できそうに無い」
舌をチロチロと出して実演する八郎を前に、俺どころか、近くの席で先程まで談笑していた二人の女子までもが、八郎の変態紳士な動きを見てドン引きしている。
これは八郎が中学時代の悲劇を、再び引き起こすのも時間の問題だろう。
高校生になって一ヶ月が過ぎてもこの調子なのだから、いまさら未来が揺らぐということも無さそうだ……。
そんな馬鹿なことをやっている間に、我らが担任。最近は長女が一緒にお風呂に入ってくれなくなったと嘆く二児の娘を持ち、怒ると怖いお嫁さんに怯える恐妻家な三井先生。既婚者37歳♂が教室へと入ってきた。
「今日は皆にお知らせしたいことがある」
朝の挨拶もそこそこに、三井先生がそう俺達に言ってから、壇上側にあるドアに向って、入って来てくれと声をかける。
その言葉を合図にドアが開かれた瞬間、俄かに周りから声が聞こえていた教室に静寂が訪れた。
正確に言うのであれば、ドアを開けた張本人が壇上へと歩いていく上履き特有の靴音のみが聞こえていたという補正が入るのだが、そんな細かいことを気にする奴は、この場には居ないだろう。
そして実際は数秒間しか経っていないのに、体感的には数分間は続いたのではないかと思われる静寂は、三井先生が黒板に文字を書き殴るチョークの音によって終了の時を迎える。
黒板に書かれた文字には音無鈴奈と大きく書かれた。
「音無鈴奈と言います。どうぞ宜しくお願いしますね」
壇上に上がった人物の正体とは、八郎が言っていた転校生だった。
転校生というのは確かに珍しくはあるが、この教室に漂う妙な緊張感は、転校生が来たという事実に対してのものでは無い。
その原因の最たるは、転校生という肩書きではなく、転校生としてやって来た音無鈴奈本人に、大きな原因がある。
大きな瞳にキメ細かい睫毛が印象的な、全体的にも整ったパーツの上に幼さを色濃く残す顔立ち。
肩まで届かない程の長さで切り揃えられた髪は、とても活発的な印象を周囲に与えると共に、同年代から比べると少し低身長な部分がかえって可愛さを演出させ、先程の自己紹介での鈴の音が響くような心地いい柔らかな声と暖かな笑顔が、更なる相乗効果を生み出す。
俺は壇上に立つ転校生に対しての、一通りの分析を終えて一つの結論を導き出した。
間違いなく……奴は美少女だ!
美少女との邂逅を認識したことにより、俺の脳内に緊急警報が鳴り響き、全身から嫌な汗が滲み出ていく。
今直ぐにでもこの教室から逃げ出したいという願望を、理性の全てを総動員して無理矢理に押し殺し、恐怖に震える手足を少しでも悟られないようにする為に、俺は自分自身の身を丸くして、早く時が過ぎ去るのを神に祈る。
ここで軽率な行動をしてはいけない。
仮にここで保健室に行くとでも言えば、この場からの脱出は図れるかもしれないが、それでは美少女に対して何らかの印象を持たれてしまう可能性がある。
奴だって人の子であり、理性無き蛮族ではないのだ。
話せば分かるとまでは言えないが、下手な刺激を与えなければ、俺のような凡人に興味を持つという可能性は無いはずだ。
統計的に見ても、俺のような特徴が無いことが特徴みたいな男子生徒に好意を持つ同年代の女子は皆無なのだから、今はジッと耐え忍ぶ時!
そんな俺の静かなる戦いは、三井先生の次の一言で新たな局面を迎える。
「それじゃあ音無の席は……高須の隣が空いてるな」
この瞬間、俺の心は絶望に支配された。
美少女と書いて大いなる災厄と主人公は読みます。