婚約者を奪った令嬢が「幸せ」を見つけたらしいので、祝福してあげました
「そんなに怒らないでくれよ、エリザ。学生の間の遊びじゃないか」
そう言って、彼は笑った。
目の前には、私の婚約者――リュシアン。
そして、その腕にはぴったりと寄り添うミレーヌの姿があった。
彼女は私と同じ学院に通うロシュフォール子爵家の令嬢である。私の婚約者の隣で、何がそんなにおかしいのか、楽しそうに笑っていた。
「君との婚約を破棄したいわけじゃないんだ」
リュシアンは、本当に困っているようだった。
私が怒っている理由が分からない、とでも言いたげな顔をしている。
「ただ、ミレーヌとは気が合うんだ。学院にいる間くらい、こういう付き合いがあってもいいだろう?」
「……付き合い」
「そうだよ」
彼はあっさり頷いた。
「少し親しくしているだけだ。君が考えているような大げさなものじゃない」
ミレーヌが小さく笑う。
「そうよ。私たち、まだ学生ですもの」
その言葉を聞いて、私は二人を見比べた。
婚約者の腕に自分ではない女が絡みついている。
そのことよりも。
それを何とも思っていない二人の顔のほうが、よほど滑稽だった。
「なるほど」
私が頷くと、リュシアンはほっとしたように笑った。
「分かってくれたか」
「ええ」
私はテーブルの上に置かれていた紅茶へ視線を落とした。
一口も飲む気にはなれない。
「では、婚約を解消しましょう」
「……え?」
リュシアンの笑顔が固まった。
「婚約を解消します」
「いや、待ってくれ」
「なぜ?」
「だから、これは遊びだと言っただろう?」
「ええ。伺いました」
「なら、どうして婚約を解消する必要がある?」
私は少し考えた。
そして、ごく自然に答えた。
「あなたにとっては、学生の間の遊びなのでしょう?」
「そうだ」
「なら、私にとっても同じです」
「何が?」
「あなたとの婚約が」
リュシアンが絶句する中、隣にいたミレーヌは、上の空で、綺麗に巻かれた髪の毛をくるくると指で回していた。
私は、左手から婚約指輪を外す。随分と高価なものだった。
けれど、今となってはただの装飾品にしか見えない。
私はそれを、彼の前へ置いた。
「家同士の婚約を、学院の恋愛ごっこに付き合わせる必要はありません」
「エリザ……」
「それに」
私は彼の言葉を遮った。
「私、遊びには向いていないの」
静かに微笑む。
リュシアンは何も言えなかった。それは、ミレーヌも同じだったが、なぜか彼女は少しだけ残念そうな顔をしていた。
私は二人を残して席を立ったが、引き止める声は、なかった。
それでよかった。
婚約は、ほどなくして正式に解消された。
リュシアンとミレーヌは、その後もしばらく関係を続けていたらしい。
私は興味もなかったが、ミレーヌは私に見せつけるように、ことあるごとにリュシアンとの仲をアピールしていた。
けれど、それも長くは続かなかった。
いつからか、二人でいる姿を見かけなくなった。
どうやら本当に、学院にいる間だけの遊びだったらしい。少なくとも、ミレーヌにとっては。
「別れるつもりなどない」とリュシアンが声を荒らげて揉めていたという話だけが、しばらく学院で噂になっていた。
私は、そんな話にも興味を持たなかった。
学院を卒業し、領地へ戻り、父の仕事を手伝った。
季節が二つ巡る頃には、二人のことなど、すっかり忘れていた。
――あの手紙が届くまでは。
「お嬢様。こちらを」
侍女から差し出された封筒には、見覚えのある家紋が刻まれていた。
開封する。
中から現れたのは、一枚の招待状だった。
そこに記されていた名前を見て、私は目を瞬いた。
ミレーヌ・ロシュフォール。
ーーそして、
アルベール・ド・モンフェラン。
それは、国内でも指折りの大貴族、モンフェラン公爵家の嫡男だった。
婚約披露の祝宴。
私はもう一度、招待状を読み返した。その下には、手書きの文字が添えられている。
――ぜひ、いらしてくださいませ。
あなたにも、私の幸せを、分けて差し上げたいのです。
思わず、笑ってしまった。
「……そういうこと」
どうやら彼女は、私に見せたいらしい。自分が、私より幸せになったところを。
私は招待状を閉じた。
「お返事は?」
「出席すると伝えて」
侍女が驚いた顔をする。
「よろしいのですか?」
「ええ」
私は窓の外へ目を向けた。
もう、怒ってはいない。
あの女のことなど、本当にどうでもいい。
だからこそ。
「お祝いくらい、してあげましょう」
私は微笑んだ。
それから半年後。
私は、ミレーヌ・ロシュフォールの婚約披露の席にいた。
会場の中央では、ミレーヌが美しいドレスに身を包み、隣のアルベール・ド・モンフェランと並んでいる。
国内でも名高い公爵家の嫡男。
私の元婚約者とは比べものにならないほどの家格だった。
(……なるほど)
彼女が私に見せたかったものは、これだったらしい。
「来てくださったのね」
人目を避けるように近づいてきたミレーヌが、嬉しそうに笑った。
「ええ。招待状をいただいたもの」
「私、あなたに見てほしかったの」
「何を?」
「私がどれほど幸せになったのか」
そう言って、彼女はアルベールを見る。その横顔には、隠しきれない優越感が浮かんでいた。
「素敵な方でしょう?」
「ええ」
「家柄も申し分ないし、お優しいし……何より、私を心から愛してくださっているの」
私が黙って頷くと、ミレーヌはわざとらしく首を傾げた。
「そういえば、あなたはあれから婚約者ができなかったの?」
「ええ」
そう答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「残念ね。学院であれだけ評価されていても、お相手が見つからないんじゃ…」
私は彼女を見た。
「ずっと聞きたかったの」
「なに?」
「あなたは、どうしてここまで私に執着するの?」
「…なんのこと?」
「学院にいた頃から、ずっとそうだったでしょう?」
私は、首を傾げた。
「私、あなたに何かした覚えはないのだけど」
ミレーヌの顔から、笑顔が消える。そして私にしか聞こえない声のトーンで、囁いた。
「別に?あなたが気に入らなかっただけよ」
「私が?」
「そう。あんたが私より上にいるのが、気に食わなかっただけ」
吐き捨てるような声だった。
「爵位だって同じ。なのにあんたには伯爵家の婚約者がいた」
「………」
「たいして可愛くもないくせに、みんなしてあんたを褒めるのよ。お淑やかだとか、賢いだとか、」
ミレーヌは苛立たしそうに眉を寄せた。
「私はあんたより綺麗なのに」
あまりにもくだらない理由だった。
「だから、リュシアンを奪ってやろうと思ったの。…なのに、あんたはあっさり婚約者を捨てるでしょう。本当に、最後まで気に入らない女」
そこまで言うと、ミレーヌは笑った。
「けどもういいの。あんたは婚約者もいない。私は公爵家に嫁ぐ。どちらが上かは、比べるまでもないわ」
勝ち誇った顔を浮かべてアルベールのもとへ戻っていくミレーヌの背中を、私はぼんやりと見送った。
やがて、両家の代表による挨拶が始まった。
婚約の成立を祝う言葉。
二人の未来を祝福する言葉。
会場は幸福な空気に包まれていた。
そのときだった。
ミレーヌが不意に私の名を呼んだ。
「エリザ」
ざわめいていた会場が、少しだけ静かになる。
「こちらへ来てくださらない?」
言われるがまま、ミレーヌのもとへと歩くと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「あなたに差し上げたいの」
そう言って、手にしていた花束を私へ差し出す。
「この場で婚約者のいない人は、あなただけなの」
小さな笑い声が、会場から聞こえた。
「あなたにも、幸せになってほしくて」
「…ありがとう、嬉しいわ」
にこりと微笑むミレーヌに、私も微笑み返す。
羞恥に染まる顔を期待していたミレーヌの眉に、少しだけ皺が寄った。
そのやり取りを、少し離れたところからアルベールが静かに見ていた。
「せっかくだ。いま、見てもらおうか」
「…今ですか?」
アルベールの穏やかな声に、私は僅かに眉を上げた。
「え?」
戸惑うミレーヌをよそに、アルベールが傍らの従者に合図を送る。
従者が一礼して会場を出ていくと、ほどなくして戻ってきた従者が運んできたのは、古びた木箱だった。
「これは?」
誰かが尋ねる。
私は、静かに箱を開いた。
中に入っていたのは、白い石の嵌め込まれた小さな魔道具だった。
ざわ、と会場が揺れる。
「まさか……」
「白耀の器……?」
「まだ残っていたのか?」
年配の貴族たちが顔を見合わせる。
ミレーヌだけが、何も知らないように笑っていた。
「これは、純潔を証明する魔道具よ」
一瞬。
会場が静まり返った。
「……何それ」
ミレーヌの顔が強張る。
「純潔を証明するものなんて……」
誰かが呆れたように呟いた。
「なんでそんなものがここにあるのよ!!!」
ミレーヌが叫んだ。
「僕が、彼女に頼んだんだ」
アルベールが静かに言った。
「え?」
「せっかくだから、モンフェラン家に伝わる古い祝いの儀を行おうと思ってね」
「せっかくだから…?」
戸惑うミレーヌをよそに、私は白い器へ目を向けた。
「昔、王家や高位貴族の婚姻では、家の血筋を守ることが今以上に重んじられていたの」
私は白耀の器へ視線を落とした。
「だから王家は、婚姻相手の血筋に関わる純潔を確かめる方法を求めた。そこで私の祖先に作らせたのが、この白耀の器よ」
会場が静まり返る。
「人の魔力は、生まれ持ったもの。けれどね、一度でも誰かと身体を重ねると、ほんのわずかに濁りが生じるの」
エリザは、手にした器へ視線を落とした。
「肉眼ではもちろん、普通の魔道具でも見分けられないほどの、ほんのわずかな濁り。でも、この器はそれを検知することができる」
そう言って、器の縁を指先でなぞる。
「純粋な魔力なら、器は白く光る。ほんのわずかでも濁りがあれば、その光は失われるの」
「だから、この器はかつて、婚姻を結ぶ際に相手の純潔を確かめるために使われていたわ」
私は淡々と続けた。
「昔は家同士の婚約が幼い頃から決められることも珍しくなかったでしょう? だから婚姻の前にこれを用いることにも、さほど抵抗がなかった」
「……」
「特に王族や高位貴族の婚姻では、祝いの意味も込めて、よく使われていたそうよ」
私はそこで少しだけ言葉を切った。
「けれど、今では人の尊厳に関わるものとして、ほとんど使われなくなったわ」
ミレーヌの顔が強張った。
「じゃあ、どうして……」
その問いに、答えたのはアルベールだった。
「モンフェラン家には、変わった伝統があると話しただろう」
真っ青な顔で震えるミレーヌをよそに、アルベールはにこやかな顔で喋り続ける。
「僕たちの祖先は、かつて王家から特別な加護を与えたと言われている」
会場の貴族たちが、静かに耳を傾ける。
「その加護は、代々受け継がれた血に宿るものだそうだ。だからモンフェラン家では、家の血を濁らせないことを何より重んじてきた」
ミレーヌの顔から、血の気が引いていく。
「古いしきたりだと思うだろう?」
アルベールは苦笑した。
「僕もそう思っている。けれど父も祖父も、そのまた先代も、皆これを受け継いできた。僕だけが省略するわけにはいかない」
「…そんな話」
ミレーヌが震える声で遮った。
「そんな話、聞いてないわ」
「そうだろうね」
アルベールはあっさりと頷いた。
「君には、話してないんだから」
「どうして……」
「婚約が決まった経緯を、君は知らないのかい?」
アルベールは少しだけ首を傾げた。
「ロシュフォール子爵から、君の釣書が送られてきた」
「お父様が……?」
ミレーヌの目が大きく見開かれる。
「僕は父から見せてもらった。君の家柄、学院での成績。それからーー」
そこでアルベールは何の気なしに言葉を続けた。
「生まれてからこの方、婚約者がいないこと」
「……」
「それが一番の決め手だった」
「……嘘」
アルベールは淡々と続ける。
「僕の家では、婚姻相手を決める際に、まずその条件を確認する。だから君の釣書は、父にとって非常に都合がよかった」
「じゃあ……」
ミレーヌの声が震える。
「あなたが私を選んだのは……」
「君が条件を満たしていたからだ」
「……私を愛しているからじゃないの?」
その問いに、アルベールは少し困ったような顔をした。
「愛している、とは言っていないだろう?」
「言ったじゃない!」
ミレーヌが叫ぶ。
「私を大事にするって!」
「うん」
アルベールは頷いた。
「大事にするよ」
「なら――!」
「婚約者なんだから、当然だろう?」
「……っ」
「僕は婚約者を大事にする。それは当たり前のことだ」
あまりにも迷いのない声音だった。
「でも、それと愛情は別の話だろう?」
ミレーヌの唇が震えた。
「それでも家族になるならば、大事にしようと思っているよ」
アルベールはそこで一度言葉を切った。
「だからこそ、家のしきたりも守ってもらわなければ困る」
「……そんな」
ミレーヌは、ふらりと後ずさった。
「私は……あなたが私に惚れたのだと……」
誰にも聞かせるつもりのなかった言葉が、こぼれ落ちる。
「私があなたを選ばせたのだと……」
アルベールは、何も言わなかった。
その沈黙が、何よりも残酷だった。
ミレーヌは、ゆっくりと私を見る。
その顔には、先ほどまでの優越感など残っていない。
「……あなたは、知っていたの?」
「何を?」
「この婚約の、条件を」
「ええ」
「どうして……」
私は首を傾げた。
「アルベール様から器をご依頼された時に、伺っていたもの」
「……」
ミレーヌは、呆然と私を見つめている。
私は静かに続けた。
「ただ、あなたが知らなかったことまでは知らなかったわ」
「……」
「てっきり、あなたもご存じなのだと思っていたから」
ミレーヌは何も答えなかった。
ただ、握りしめた拳だけが、小さく震えていた。
そしてアルベールが、ふと白耀の器へ目を向ける。
「話が逸れてしまったね」
そう言って、彼は小さく笑った。
「せっかくエリザ嬢が持ってきてくれたんだ。これなら話は早い」
「……え?」
「この場で、祝福の儀を済ませよう」
ミレーヌの顔が強張った。
「祝福の……?」
「婚約披露の祝宴だろう?」
アルベールは当然のように言った。
「なら、昔から伝わる祝いの儀を行えばいい」
「でも……」
「何も難しいことじゃない」
アルベールは白耀の器を手に取った。
「器が白く輝けば、二人の婚姻を祝福する吉兆とされる」
「……」
「僕たちの未来を、この光に祝ってもらおう」
その言葉に、会場の空気がわずかに和らいだ。
「なるほど、モンフェラン家の伝統か」
「古い儀式とはいえ、婚約披露には相応しい」
「白耀の器が見られるとはな」
先ほどまでミレーヌを見つめていた人々の視線が、今度は期待を込めて器へ集まっていく。
ミレーヌだけが、動かなかった。
「……待って」
小さな声だった。
けれど、アルベールには聞こえたらしい。
「どうした?」
「こんな大勢の前で……」
「だからこそ、祝宴なんだろう?」
アルベールは不思議そうに笑った。
「皆が僕たちを祝福してくれている。この光を皆で見るのも、悪くないと思う」
「……っ」
ミレーヌが唇を噛む。
私はその様子を黙って見ていた。
アルベールは、そんな彼女の様子を気にすることなく、白耀の器を祭壇代わりの台へ置いた。
「父上」
「なんだ」
「立ち会っていただけますか?」
「もちろんだ」
公爵が頷く。
「エリザ嬢も、よろしいかな」
突然名前を呼ばれ、私は目を瞬いた。
「私が?」
「君が持ってきてくれた器だ。最後まで見届けてくれると嬉しい」
「……ええ」
私は微笑んだ。
「喜んで」
その瞬間。
ミレーヌがこちらを睨んだ。
「……あなた」
「なに?」
「どうして……そんな顔でいられるの?」
私は首を傾げた。
「どんな顔?」
「まるで……」
ミレーヌの声が震える。
「まるで、本当に私を祝福しているみたいじゃない」
私は少しだけ考えた。
そして、微笑んだ。
「祝福しているもの」
「……!」
「だって、あなたはずっと欲しがっていたのでしょう?」
「何を……」
「幸せを」
私は白耀の器へ視線を戻した。
「だったら、きっとこの光も、あなたの未来を祝ってくれるわ」
「……やめて」
「え?」
「もう、やめて……」
ミレーヌの顔が歪む。
けれどアルベールは、何も知らないまま彼女へ手を差し出した。
「ミレーヌ」
「……」
「行こう」
差し出された手を、ミレーヌは見つめる。
「……」
「さあ。皆が待っている」
ミレーヌの手が、震えながらアルベールの手に重なった。
二人が白耀の器の前へ並ぶ。
会場から、静かな拍手が起こった。
「では」
彼がミレーヌを見る。
「僕たちの未来に、祝福を」
ミレーヌは答えなかった。
ただ、青ざめた顔で白耀の器を見つめている。
やがて。
会場が、静まり返った。
ーー白耀の器は、白い光を放つことなく。
ただ、そこに置かれていた。
私はその光景を眺めながら、ふと思った。
――不思議なものね。
あの日、私から婚約者を奪った女が。
今度は、自分が望んだ婚約を、自分自身の手で壊そうとしている。
「……あれ?」
誰かが呟いた。
アルベールが眉を寄せる。
「おかしいな」
もう一度、器へ手をかざす。
それでも、何も起こらない。
ざわめきが広がっていく。
「故障では?」
「いや、そんなはずはない」
「白耀の器が……」
会場がざわめく中で、ミレーヌは震える身体を抑えるように爪を噛む。
「……違う」
誰に言うでもなく、呟いた。
「そんなはずない……」
アルベールが彼女を見る。
「ミレーヌ」
「違うわ」
「何が?」
「私は……」
言葉が続かない。
その瞬間だった。
ミレーヌが突然、私のところへ駆け寄ってきた。
「あなたでしょう!」
「……私?」
「そうよ! あなたが何かしたんでしょう!」
会場中の視線が、一斉にこちらへ向く。
「こんなものを持ち込んで……!」
「落ち着いて」
「あなたが私を陥れようとしているのよ!」
「ミレーヌ」
アルベールが制止する。
けれど、彼女は止まらなかった。
「だって、そうでしょう!? どうして今日になってこんなものを持ってくるのよ!」
「本当は、後で渡そうと思っていたの。けれどーー」
私は、先ほど渡された花束を見た。
(この花束がなければ、この場で行うこともなかったでしょうね)
「嘘よ!」
ミレーヌが叫ぶ。
「あなた、最初から知っていたんでしょう!?」
私は彼女を見つめた。
「何を?」
「私が……私が……」
そこまで言って、ミレーヌは口を閉ざした。
自分から口にすることはできないらしい。
私は、静かに微笑んだ。
「私は何もしていないわ」
「……!」
「器を用意したのは私。でも、光らせることも、光らせないことも、私にはできないもの」
「そんなの……!」
「真実は、器が教えてくれたみたいだけど」
ミレーヌの顔が歪んだ。
「違う……」
「なら、どうして光らなかったのかしら?」
「……」
答えは返ってこない。
私は責めることもしなかった。
ただ、事実だけを口にした。
「私はあなたに何もしていない」
「……」
「だから、私を責めるのはやめてちょうだい」
ミレーヌは唇を震わせた。
その隣で、アルベールがゆっくりと口を開く。
「ミレーヌ」
「……」
「君に聞きたい」
アルベールの声は、先ほどまでとは違っていた。
「なぜ、器が光らなかったと思う?」
ミレーヌは答えない。
ただ、俯いたまま、小さく震えていた。
アルベールはそんな彼女をしばらく見つめていたが、やがてふっと笑った。
「……なるほど」
その声には、先ほどまでの穏やかさがなかった。
「アルベール様……?」
ミレーヌが恐る恐る顔を上げる。
けれど、もうアルベールと視線が交差することはなかった。
「父上」
「なんだ」
「今日はここまでにしましょう」
公爵が一瞬、目を細める。
「これ以上続けても、祝いの席にはならないでしょう」
そして、何事もなかったかのように微笑んだ。
「皆様には、不愉快なものをお見せしてしまい申し訳ありません」
「アルベール様……」
ミレーヌが縋るように名前を呼ぶと、彼はゆっくりと微笑んだ。
「安心して」
優しい声色だった。
けれど、その目は少しも笑っていなかった。
「この件については、後日話そう。白耀の器が光らなかった理由も含めてね」
ミレーヌの顔から、再び血の気が引いた。
アルベールはそれ以上、彼女を見なかった。
「本日はこれでお開きとします」
公爵も頷く。
「皆様、本日は我が息子とロシュフォール嬢のために集まっていただき、感謝する。騒がせてしまったことは、こちらから改めて説明させてもらおう」
ざわめきが残る中、貴族たちは少しずつ席を立ち始めた。
私はその様子を眺めていた。
やがて、参列者たちは会場を後にし始めた。
「まさか、白耀の器が……」
「モンフェラン家の婚約者ともなれば、ただでは済まないだろう」
「ロシュフォール子爵家は、どうするつもりなのかしら」
「それにしても、ミレーヌ嬢は……」
あちらこちらから好き勝手な噂話が聞こえてくる。
私は聞こえないふりをして、会場を出ようとした。
「エリザ」
呼び止められて、振り返る。
アルベールが立っていた。
「少しは溜飲が下がったかい?」
「……頼んでいないわ」
私は呆れたように彼を見る。
「しかも、わざわざあんな回りくどいやり方で」
「必要だったんだよ」
「何が?」
「君なら分かるだろう?」
アルベールは笑った。
「僕が何も調べずに、ミレーヌ嬢との婚約を決めたと思う?」
「……」
確かに。
それは私も疑問に思っていた。
モンフェラン公爵家の嫡男ともなれば、婚姻相手について調べないはずがない。
「ミレーヌ嬢のことを調べたのね」
「ああ」
アルベールはあっさり頷いた。
「当然だろう」
「なら、どうして彼女を選んだの?」
「釣書が送られてきたからだよ」
彼は何でもないことのように答えた。
「でも、ミレーヌ嬢は学院時代……」
そこまで言って、私は口を閉ざした。
アルベールは私を見る。
「リュシアンのことだね」
「……知っていたの?」
「もちろん」
少しも驚く様子がない。
「君の婚約者だった男の周辺くらい、調べているよ」
「……」
「僕が留学している間に、君に婚約者が決まったと知ったときは」
そこでアルベールは、ふっと笑った。
「腸が煮えくり返ったよ」
「……あなたに関係ないじゃない」
「そうだね」
あっさり認める。
「当時の僕には、何の権利もなかった」
「だったら――」
「分かっているよ」
アルベールは苦笑した。
「だから何もできなかった」
その声音が、少しだけ低くなる。
「だから諦めた」
「あなたが?」
「僕だって諦めることくらいある」
私は疑わしげに彼を見る。
するとアルベールは、肩をすくめた。
「……まあ、少なくとも表面上はね」
「嘘じゃない」
「細かいことはいいだろう」
私はため息をついた。
「それで?」
「それで?」
「リュシアンとの婚約が、すぐに解消されたでしょう」
「ああ」
「そこに、ミレーヌ嬢がいた」
アルベールの目が細くなる。
「そう」
短い返事だった。
「僕が帰国して知ったのは、君に婚約者ができていたことだけじゃない」
「……」
「その婚約が、ほどなくして解消されたこと。そして、その少し前から君の婚約者の周囲に、ミレーヌ嬢がいたこと」
「……調べたのね」
「調べた」
「どこまで?」
「必要なところまで」
それ以上は言わない。
けれど、その顔を見れば十分だった。
「君は、何も言わなかっただろう?」
「……言う必要がなかったもの」
「そうだね」
アルベールは静かに頷いた。
「だから僕も、君には聞かなかった」
「どうして?」
「君が自分で終わらせたことなら、僕が掘り返す必要はないと思ったから」
意外な言葉だった。
「ただ」
アルベールは白耀の器へ目を向けた。
「ミレーヌ嬢の名前は、僕の中に残った」
「……」
「そして今回、父から彼女の釣書を見せられた」
アルベールは笑った。
「運命というものを信じたことはないけれど、あのときだけは随分と意地の悪い巡り合わせだと思ったよ」
「それで婚約したの?」
「した」
「随分あっさりね」
「彼女が器を光らせることはないからね。絶対に」
「……」
「いつまでも君に執着している彼女と、モンフェラン家に嘘の釣書を送ってくる当主。まとめて退場してもらういい機会だと思ったんだ」
私は目を瞬いた。
「だから、今日?」
「そう」
「白耀の器で?」
「そう。彼女は確実に君を呼ぶ、この場が豪華であればあるほど、ね」
あまりにも淡々と言うので、私は呆れてしまう。
「……本当に性格が悪くなったわね」
「君に育てられたんだよ」
「私のせいにしないで」
「昔は泣き虫で弱虫だった僕の尻を、散々叩いていただろう?」
「あなたが情けなかったからでしょう」
「おかげで立派に育った」
昔は泣き虫で、弱虫で。
何かあれば私の後ろに隠れていた少年。
私は彼の尻を叩いては、
――泣いてないで、自分で言いなさい。
と叱っていた。
それがいつの間にか。
こんな、何を考えているのか分からない男になってしまった。
「こんな腹黒い男になると分かっていたなら、あのまま放っておいたのに」
「それは困るな」
アルベールは、昔と変わらない笑顔で笑った。
「僕は君に構ってもらえなくなるほうが嫌だから」
「……本当に、そこだけは変わらないわね」
「何が?」
「図々しいところ」
「君が甘やかしたんだろう?」
「甘やかしてないわよ」
私は踵を返した。
「もう帰るわ」
「送るよ」
「結構」
「昔は一緒に帰ってくれたのに」
「昔の話でしょう」
背中から、楽しそうな笑い声が聞こえる。
私は振り返らなかった。
――本当に。
こんな腹黒い男になると知っていたなら。
あの頃の私は、もう少しだけ。
彼の尻を叩いておけばよかった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
白耀の器……なかなか気持ち悪いですよね。笑
現代の倫理観で考えたら、私も「いや、これはちょっと……」と思いますw
昔の貴族社会ならではの、今ではほとんど廃れてしまった風習ということで、どうかお許しください。
今回のお話は、昔の知人を見ていて思ったことがきっかけでした。
知人は昔、色恋方面でかなり好き放題していたのですが、過去のトラブルが原因で、いざ自分が婚約するというときに問題が降りかかってきて。
それを見ていて、ああ、やっぱり因果応報ってあるんだなぁ……と思ったんです。
そんな出来事から、こんなお話を書いてみました。
事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったもので。
ちなみに、リュシアンのその後を書くか少し迷ったのですが。
彼はその後、少し年上の強気な女性と結婚し、無事に公爵家を継いでいます。
……それでよかったのかもしれません。笑
そして、書き始めたときはこんなはずじゃなかったのですが、アルベールが思ったよりずっとやばい男になってしまいました笑
幼馴染って、どうしてこうなった。
二人の関係は今後どうにかなるのかな……いつか書いてみたいなぁ、とも思いつつ、作者にもわかりません。。笑
細かいところまで考えると、いろいろと矛盾点もあるかもしれません。
そのあたりは、どうか大目に見ていただければと思います。
それでも、少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!




