第9話 どうして今じゃダメなの
ロッティは校長室の前に立つと、そのまま勢いよくドアを開けた。
「どうしたんじゃ、急に? What happened? 」
「Isn't this Dr. Yamamura's project!?」
《ここは山村博士のプロジェクトではないのですか!?》
円城寺はぽかんと口を開けた。
「What? 」
ロッティは早口でまくしたてる。
「This is a gifted education project by Dr. Shinichiro Yamamura from M.I.T.!」
《M.I.T.の山村信一郎博士によるギフテッド教育プロジェクトのはずです!》
円城寺は数回まばたきしてから、やんわりと言った。
「No, it's… a school in the Rural Village Study Program.」
《いや、ここは“山村留学プログラム”の学校じゃ》
「Rural village…? Not… Yamamura…?」
《田舎の村……? 博士の名前じゃないの……?》
円城寺は壁のポスターを指さした。
「Exactly. This word doesn't mean a person's name. It literally means ‘rural village.’」
《その通り。 “山村”は名前ではなく“田舎の村”という意味なんじゃ》
ロッティの指先が震えた。
「No... It’s his name. It’s his project…」
《そんな……博士の名前で、博士のプロジェクトのはずで……》
「I'm afraid not. Maybe… a translation mistake. 」
《違うんじゃ。たぶん……翻訳か手続きのどこかで行き違いがあったんじゃろう》
その言葉が、静かに世界の“基底状態”を反転させた。
ポスターの文字が、ひとつひとつ意味を失っていく。
“山村”は博士の名ではなく、ただの単語。
ロッティは小さく、息の仕方を忘れた。
「No… That can’t be right…」
《そんな……わたしが……間違ってたなんて……》
紙を握る手がゆっくりと震え、世界が褪色していった。
***
「I wanna check with Dr. Yamamura!
Could you call him right now, please!?」
《山村博士に確かめたいです! 今すぐ連絡を取ってください!》
「お、おお……落ち着けい、シャーロット」
円城寺はあわててスマホを取り出し、
教育委員会→文科省→博士
と回線をつないだ。
数分後、スピーカーから優しい声が響いた。
「Hello, Lottie? Is that you? 」
《もしもし、ロッティか?》
「Yes, Dr. Yamamura!
Oh good — we finally got connected! 」
《はい博士! やっと繋がりました!》
博士は不思議そうに息をのむ。
「I didn't expect you to be in Japan already. Why are you there? 」
《日本に来ていたとは思わなかった。どうして?》
「I came to join your project!
But they sent me here instead! 」
《博士のプロジェクトに参加するために来たんです!
なのに、なぜかこんな場所に送られて……!》
博士が小さく「ああ」と息を漏らした。
「Ah… that’s… quite a mix-up, I see. 」
《ああ……それは大きな行き違いだったんだね》
ロッティは遮った。
「That's not funny! I'm serious! 」
《笑いごとじゃありません! 本気なんです!》
短い沈黙ののち、博士の声が柔らかくなった。
「Charlotte, the project's been delayed.
It'll begin next year. 」
《シャーロット、プロジェクトは遅れているんだ。
始まるのは来年度だ》
胸の奥で何かが止まった。
「Next year…!?
But I can come now! 」
《来年!? でも、今すぐ行けます!》
「No, not yet.
Please wait until it starts. 」
《まだだよ。正式に始まるまで待ちなさい》
通話が切れた。
ロッティは動けなかった。
頭の中で、博士の声だけが反響した。
ゆっくりと唇をかみしめ、頬をふくらませる。
――Why… why not now…
Doc, you dummy.
《どうして今じゃダメなの……博士のバカ》
その瞬間、彼女の“論理”が初めて世界に通じないことを知った。
そして心の奥底で、静かに、軋むような音がした。




