第50話 すべてのものは移ろう
二月。
真冬には珍しい暖かな陽射しが降り注ぐ。
校庭の雪はすっかり解け、校舎の軒下では氷柱がぽたぽたと落ちていた。
渡り鳥の影が、山の稜線を越えていく。
風はまだ冷たいが、どこか柔らかな匂いを含んでいる。
“冬”の気配の奥に、確かに“春”が息づいていた。
全校集会の日。
講堂に並ぶ生徒たちの前で、円城寺校長が静かに告げた。
「この春をもって、水守中学校は隣の青蘭市の中学と統合されることが正式に決まった」
その言葉に、ざわめきがすっと引いていく。
天井の蛍光灯が、冬の残りA光のように白く瞬いた。
「諸行無常とは、仏教の言葉で”すべてのものは形を変え、移ろっていく”という意味。
終わりもなければ、始まりもない。ただ、移ろっていくのじゃ」
――Everything changes...
《すべてのものは、移ろう……》
「皆さんの学校は、なくなるのではありません。新しい学校へと変わっていくのです」
その声に、ロッティはまっすぐ顔を上げた。
誰も言葉を発しなかった。
けれど、その静寂の中に、確かな「時の流れ」が感じられた。
ロッティの心に、かつて山村博士が話してくれた言葉が浮かぶ。
Quantum uncertainty.
《量子の不確定性》
すべては止まらず、揺らぎながら、移ろってゆく。
――今、わたしは、それを実感として感じている。
***
ひかりの高校の合格発表の日。
校庭の隅の残雪が日の光を浴びて、きらきらと輝いていた。
「語学コース、受かったよ!」
ひかりからのメール。
ロッティはすぐに返信を送った。
「おめでとう、ひかり」
「ありがとう! いつか海外でも通用する人になるの。ロッティにも負けないように!」
美央が「さすが、ひかり。超難関校に受かるなんて。これでひかりも春から東京か~」と笑う。
沙羅は少し羨ましそうに呟いた。
「美央だって名門大の付属に受かってるじゃん。あたしたちは公立、これからだよ」
「翔も、スポーツ推薦を決めちゃってるしね」
美央の言葉に、翔は少し照れくさそうに笑った。
「俺、スポーツインストラクターを目指してるんだ」
その言葉に、ロッティは胸が熱くなるのを感じた。
――みんな、自分の夢を追いかけている。
***
その夜。
ロッティの部屋の机の上で、スマホが震えた。
画面には「山村博士」の文字。
「――ロッティ、久しぶりだね」
博士の声は、懐かしく、どこか春風のように穏やかだった。
「もうすぐ卒業だね。とっても良い知らせがある」
「良い知らせ……?」
「うん。ギフテッド教育プロジェクトへの正式な入学許可が下りた。
このプログラムに入る初めての外国人だよ。おめでとう」
「ありがとうございます」
「詳しいことは、卒業式のときに話すよ」
「来て頂けるんですか」
「もちろんだよ、君の晴れ姿も見たいしね」
博士の声が誇らしげに響くのに、胸の奥で何かが静かにざわめいた。
――うれしい……はずなのに。
窓の外に目を向ける。
夜の山の稜線が、月明かりに白く浮かんでいた。
水守の空気に慣れた今、その静けさが心を落ち着かせる。
――ギフテッドとして特別な授業が受けられる。
ロッティは思った――「自分が本当に望んでいたのは、これだったのか?」と。
それは、ずっと追い求めてきた夢のはずだった。
けれど今は、あの頃のようには喜べない。
アメリカにいたときは、それが自分の進む道だと信じていた。
山村博士と一緒に追い続けた夢――それしか知らなかったし、それで十分だと思っていた。
でも今は違う。
水守に来て、いろんな人と出会い、いろんなことを経験した。
泣いたり、笑ったり、ときにはケンカみたいなこともしたし、少しだけ恋もした。
ロッティは、アメリカにいた頃より、自分の世界が広がったことを感じていた。
――広い世界へ行きたい。
ひかりが言った言葉の本当の意味が、今なら分かる。
机の上に置かれた博士との写真が、月明かりに照らされている。
「Now, my world—my quantum field, expands endlessly.」
《今、わたしの世界、私の量子場は、限りなく膨張している》
ロッティは静かに目を閉じた。
山の向こうから吹き抜ける風が、窓ガラスをかすかに鳴らした。
春が来る。
そして、彼女の新しい旅も、また始まろうとしていた。
二月。
真冬には珍しい暖かな陽射しが降り注ぐ。
校庭の雪はすっかり解け、校舎の軒下では氷柱がぽたぽたと落ちていた。
渡り鳥の影が、山の稜線を越えていく。
風はまだ冷たいが、どこか柔らかな匂いを含んでいる。
“冬”の気配の奥に、確かに“春”が息づいていた。
全校集会の日。
講堂に並ぶ生徒たちの前で、円城寺校長が静かに告げた。
「この春をもって、水守中学校は隣の青蘭市の中学と統合されることが正式に決まった」
その言葉に、ざわめきがすっと引いていく。
天井の蛍光灯が、冬の残りA光のように白く瞬いた。
「諸行無常とは、仏教の言葉で”すべてのものは形を変え、移ろっていく”という意味。
終わりもなければ、始まりもない。ただ、移ろっていくのじゃ」
――Everything changes...
《すべてのものは、移ろう……》
「皆さんの学校は、なくなるのではありません。新しい学校へと変わっていくのです」
その声に、ロッティはまっすぐ顔を上げた。
誰も言葉を発しなかった。
けれど、その静寂の中に、確かな「時の流れ」が感じられた。
ロッティの心に、かつて山村博士が話してくれた言葉が浮かぶ。
Quantum uncertainty.
《量子の不確定性》
すべては止まらず、揺らぎながら、移ろってゆく。
――今、わたしは、それを実感として感じている。
***
ひかりの高校の合格発表の日。
校庭の隅の残雪が日の光を浴びて、きらきらと輝いていた。
「語学コース、受かったよ!」
ひかりからのメール。
ロッティはすぐに返信を送った。
「おめでとう、ひかり」
「ありがとう! いつか海外でも通用する人になるの。ロッティにも負けないように!」
美央が「さすが、ひかり。超難関校に受かるなんて。これでひかりも春から東京か~」と笑う。
沙羅は少し羨ましそうに呟いた。
「美央だって名門大の付属に受かってるじゃん。あたしたちは公立、これからだよ」
「翔も、スポーツ推薦を決めちゃってるしね」
美央の言葉に、翔は少し照れくさそうに笑った。
「俺、スポーツインストラクターを目指してるんだ」
その言葉に、ロッティは胸が熱くなるのを感じた。
――みんな、自分の夢を追いかけている。
***
その夜。
ロッティの部屋の机の上で、スマホが震えた。
画面には「山村博士」の文字。
「――ロッティ、久しぶりだね」
博士の声は、懐かしく、どこか春風のように穏やかだった。
「もうすぐ卒業だね。とっても良い知らせがある」
「良い知らせ……?」
「うん。ギフテッド教育プロジェクトへの正式な入学許可が下りた。
このプログラムに入る初めての外国人だよ。おめでとう」
「ありがとうございます」
「詳しいことは、卒業式のときに話すよ」
「来て頂けるんですか」
「もちろんだよ、君の晴れ姿も見たいしね」
博士の声が誇らしげに響くのに、胸の奥で何かが静かにざわめいた。
――うれしい……はずなのに。
窓の外に目を向ける。
夜の山の稜線が、月明かりに白く浮かんでいた。
水守の空気に慣れた今、その静けさが心を落ち着かせる。
――ギフテッドとして特別な授業が受けられる。
ロッティは思った――「自分が本当に望んでいたのは、これだったのか?」と。
それは、ずっと追い求めてきた夢のはずだった。
けれど今は、あの頃のようには喜べない。
アメリカにいたときは、それが自分の進む道だと信じていた。
山村博士と一緒に追い続けた夢――それしか知らなかったし、それで十分だと思っていた。
でも今は違う。
水守に来て、いろんな人と出会い、いろんなことを経験した。
泣いたり、笑ったり、ときにはケンカみたいなこともしたし、少しだけ恋もした。
ロッティは、アメリカにいた頃より、自分の世界が広がったことを感じていた。
――広い世界へ行きたい。
ひかりが言った言葉の本当の意味が、今なら分かる。
机の上に置かれた博士との写真が、月明かりに照らされている。
「Now, my world—my quantum field, expands endlessly.」
《今、わたしの世界、私の量子場は、限りなく膨張している》
ロッティは静かに目を閉じた。
山の向こうから吹き抜ける風が、窓ガラスをかすかに鳴らした。
春が来る。
そして、彼女の新しい旅も、また始まろうとしていた。




