表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
量子少女ロッティの青春エンタングル ―― 山村留学で恋も友情も“もつれ”だす!  作者: 葉月やすな
第 9 章 成長が呼び込むフェーズ・トランジション
48/51

第48話 わたし失恋したのかな

蝉の声が、道場の天井を揺らすように響いていた。

七月の終わり。柔道部の熱気は、真夏の空気をさらに熱くしていた。


ロッティは汗で湿った道着を握りしめ、真正面の涼子をにらむ。


「はっ!」


掛け声とともに仕掛けた大内刈りは、するりとかわされた。

次の瞬間――


どすん。


ロッティは畳に横倒しになっていた。


「一本!」


久美先生の声。

ロッティは畳を見つめたまま、荒い息を整えようとした。

涼子がそっと手を差し出す。


「ありがとうございました、ロッティ先輩」


「……ううん、こっちこそ、ありがとう」


笑おうとしたけれど、唇がうまく動かない。

悔しさが、喉の奥に苦くつまった。


試合形式の練習が始まってから、涼子には一度も勝てていない。

それどころか、以前は互角だった沙羅にすら勝てなくなっていた。


――合宿のあと、みんな強くなった。

  私だけが、止まってる。


練習後、道場の隅でタオルを握りしめていると、久美先生が歩み寄ってきた。


「ロッティ。今日の練習、どう思った?」


「……倒されないようにって、そればっかりで」


「そう。“倒されないように”。でもね、それだけじゃ勝てないの」


先生の視線が、まっすぐ射抜く。


「乱取りでは攻めていたのに、試合形式になると腰が引けて逃げてばかりよ」


ロッティは、力なくうなずく。


「でもね、自分のやってきたことを信じなきゃ、何もつかめないよ」


俯いた指先に汗が落ちた。

涙のように見えた。


――自信を持て。

  逃げないで。


先生の声が胸の奥で反響した。


 


***




その夜。

ロッティの部屋の前で、トントンとノックの音がした。


「どうぞ」


「ここでいい」


翔はドアの前に立ったまま、静かに切り出した。


「攻めるの、怖いのか?」


「……わかんない。攻めようとすると、去年の試合を思い出して、体が固まるの」


「がんばってるのはわかる。でも、焦るな」


「でも、このままじゃ、また……」


“わたしのせいで翔が試合に出られないかもしれない”

その言葉をロッティは飲み込んだ。


翔は、ゆっくりと言葉を重ねた。


「無理に攻めなくていい。いつもの、お前の柔道でいいんだ」


「……攻めなくてもいいの?」


「そうだ。体にまかせろ。考えすぎると動けなくなる。

練習以上のことをやろうとするな。お前は積み重ねてきた。信じろ」


その声が、胸の奥にじんわり広がっていく。

気づくと涙が頬を伝っていた。


――どうしてこんなに心がざわつくんだろう。


ロッティは胸にそっと手をあてた。


 


***




翌朝。

道場の空気は昨日とは違い、ひんやりと澄んでいた。


ロッティは一番乗りで畳の中央に立った。

涼子との練習試合。


「……いつも通りに」


深く息を吸い込む。


無理に攻めない。

逃げもしない。

体が自然に動く。


涼子が襟をつかみに来た――

その瞬間、流れに身を預けた。


翔の言葉。

久美先生の言葉。

全部が背中を押してくれた。


ロッティは一気に体を沈めた。


「せいっ!」


涼子の体が宙に浮き、畳に落ちた。


「一本!」


久美先生の声が道場に響く。


ロッティは息を切らしながら、涼子の手をしっかり握った。


「ありがとうございました。ロッティ先輩……今の、本当にすごかったです!」


「へへ……やっと一本取れたね」


ふたりが笑いあう隣で、久美先生は穏やかに目を細めていた。


 


***




練習が終わるころ、外は雨に変わっていた。

窓を叩く雨音が道場にまで届く。


ロッティは傘を出しながら靴箱の前で立ち止まった。


玄関のひさしの下で、翔が雨空を見上げていた。

傘もささず、ただ静かに。


――翔……


駆け寄ろうとした、そのときだった。


ひかりが傘を差して現れた。

ロッティは思わず柱の陰に身を隠した。


「おまたせ」


「ああ……」


翔が照れくさそうな笑みを浮かべる。


「で、話って何? まさか告白?」


ひかりの冗談に、翔は苦笑しながらうなずいた。


「……まあ、ある意味、そうかもな」


「えっ……マジで?」


「ずっと気にしてた。ひかりが柔道やめたの、俺のせいなんじゃないかって」


「ああ……やっぱり気にしてたんだ」


ひかりの声は雨に溶けるように柔らかかった。


「でもね、あのときは私も変に意識しちゃってただけ。翔のせいじゃないよ」


「そっか……」


ふたりの間に静かな沈黙が落ちる。


雨音だけが降っていた。


「今度の大会、俺の中学最後の試合だ。……絶対、見に来てほしい」


「うん。絶対に行く」


ひかりが傘を差し出す。

翔は少し躊躇してから、その傘の中へ入った。

二人の肩が、やわらかく寄り添う。


ロッティは陰で立ち尽くした。

胸の奥が、きゅっと痛む。


――わたし、失恋したのかな。


傘が遠ざかり、二人の背中は雨の白い幕に溶けていく。


ロッティは小さく息を吐き、空を見上げた。


頬を伝うものが雨粒なのか涙なのか、わからない。

それでも、どこか心が澄んでいた。


「……混合戦、がんばろう」


ロッティは小さく呟き、雨の道に踏み出した。


大会まで、あと数日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ