第47話 この気持ち、消さないように
新緑の風が山門の上でざわりと鳴った。
竹林の中を登ってきた坂道の先に、円城寺校長のお寺が静かに佇んでいる。
昼間だというのに、境内はしっとり薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。
「……ほんとにここで合宿するんですか?」
ロッティが汗をぬぐいながら立ち止まる。
魁人が荷物を担ぎ直して言った。
「なんか出そうだよな、この雰囲気」
「怖いこと言わないで!」
沙羅が慌てて声を上げる。
「お寺の裏にお墓があるんだって。今夜、肝試しとかどう?」
「こらっ、遊びに来たんじゃありません」
久美先生がインターホンを押すと、円城寺校長が穏やかに笑って迎えてくれた。
「よく来たねぇ、みんな」
講堂へ案内され、仏像の前で正座する。
「まずは、合宿の無事を仏さまにお願いするのじゃ」
全員が手を合わせた。
「柔道とは“やわらの道”。己を見つめ、心をやわらかくすることじゃ。
仏の道にも“有痛無碍”という言葉がある。
心をやわらかく保ち、苦しみに縛られず、しなやかに生きるという意味じゃよ」
沙羅が小声で「出た、仏の道シリーズ」とつぶやき、場がくすりと和んだ。
***
合宿の稽古は、想像以上に熱気を帯びていた。
「お願いします!」
ロッティは涼子と組む。
打ち込み、投げ込み、寝技――どれも真剣勝負だ。
涼子の動きは鋭く、重心がぶれない。
「一本!」
畳に落とされた瞬間、声が響く。
「すごい、やっぱり強いね」
「いえ、ロッティ先輩の崩し方、すごく上手です!」
涼子の笑顔がまぶしくて、ロッティの胸が熱くなる。
――去年は投げられるだけだったのに。
今は強い仲間と本気で組み合っている。
沙羅は「先生、追加練習お願いします!」と頭を下げ、
翔や魁人も黙々と技を磨いている。
――みんな、すごい。私も負けられない。
ロッティは再び畳の中央に立った。
***
夜。女子三人部屋――沙羅、ロッティ、涼子。
湯上がりの匂いが漂う中、涼子が髪を乾かしながら突然言った。
「ねえ、ロッティ先輩って翔先輩のこと、好きなんですよね?」
「ぶっ!」
ロッティは飲んでいたお茶を盛大に吹き出した。
「な、なに言ってるのよ!」
涼子は悪びれもなく笑う。
「だって、いつも目で追ってますよ?」
「そ、そんなつもりないってば……!」
沙羅がうんうんと頷く。
「ほら〜、沙羅まで!」
ロッティは顔を真っ赤にして枕を投げた。
「じゃあ、沙羅先輩と魁人先輩って、つき合ってるんですか?」
涼子が矛先を変えると、沙羅は少し得意げに言った。
「うん、保育園のとき告白した」
「そんな前から!?」
「魁人、真っ赤になって“ばーか!”って。かわいかったな〜」
目を細める沙羅。
「で、その後は?」
「それだけ」
沙羅はさらっと言い切る。
涼子がロッティの袖をちょんと引っ張って、ひそひそ声で尋ねた。
「……これって、つき合ってるって言うんですか?」
***
消灯後。外ではカエルの声が遠く響いていた。
ロッティは布団の中で目を閉じる。
――翔のこと、目で追ってる……?
稽古中に見た真剣な顔。
技を教えてくれたときの手の温もり。
耳元に落ちた低い声。
ひとつひとつが鮮明に蘇り、胸がじんわり熱くなる。
――これが“好き”って気持ちなのかな。
気づかないふりではもういられない。
胸の奥に、小さな光が灯った。
***
合宿最終日。
星が瞬き始めた境内に、久美先生が花火を抱えて現れた。
「はい、がんばったご褒美!」
翔が火をつけると、火花が勢いよく噴きあがる。
「きれい……」
ロッティは思わず息を飲んだ。
涼子が夜空に向かって叫ぶ。
「混合戦、絶対勝つぞー!」
「おう、優勝するぞー!」
魁人が拳を突き上げ、沙羅も悠も続けて声を張り上げる。
久美先生が輪の中で言った。
「柔道の“柔”はしなやかさ。
心をやわらかくすれば、どんな壁も越えられるわ」
ロッティは縁側に腰を下ろし、線香花火に火をつけた。
火の玉が大きくなっては、はじけ、また丸くなる。
翔が隣に座り、そっと火を移した。
花火の光に照らされた横顔――
真剣で、やさしい目。
「……私、がんばるから」
ロッティが小さくつぶやく。
「ん? 今なんか言ったか?」
「ううん、なんでもない!」
火の玉がぽとりと落ち、暗闇に消える。
だが胸の奥の光だけは、消えなかった。
――この気持ちは、消さないように……
星が瞬き、山の風が通り抜けていく。
柔道部の合宿は、笑いと光に包まれて静かに終わった。




