第40話 迷う必要がない
冬の朝。
校庭の霜が光り、空気はすうっと冷たかった。
「来週から、職業体験ウィークが始まります」
担任の亜紀先生が教卓の前に立ち、プリントを配りながら言った。
朗らかな声に、教室の空気が少しやわらぐ。
「今日は事前講習として、“働くって何か”を考えてみましょう」
「働くって、給料をもらうってこと?」
陽太が手を挙げる。
「それも大事だけど、それだけじゃないわね」
「じゃあ、社会貢献?」
美央が真面目な顔で言った。
「それも一つの考え方です」
亜紀先生は微笑んだ。
「でも、もっと根本的なこと。“働く”って、自分の人生をどう使うか、ということでもあります」
教室がふっと静まる。
ロッティは窓の外に目を向けた。
白く光る霜の向こうに、山の稜線が浮かんで見える。
――自分の人生をどう使うか。
その言葉が、胸の奥に残った。
***
今度は久美先生が口を開く。
「皆さんは、自分がどんな仕事に向いているかって考えたことはありますか?」
数秒の沈黙。
「では、なりたい職業が決まっている人はいますか?
……沙羅さん、あなたは何になりたいですか?」
「は~い。まだ決まっていませ~ん」
ようやく笑いが起きた。
「職業体験は、将来の選択肢を考えるための第一歩です。
自分がどんな仕事に向いているのか、診断書で見てみましょう。
結果を参考にして、行きたい職業体験先を考えるのもいいですね」
配られた適性診断に、みんなが向き合う。
教室にはペンの音だけが響いた。
亜紀先生が机の間を巡回する。
その中で、真っ先に声を上げたのは沙羅だった。
「先生、あたし、人と関わる分野が向いてるんだって!」
「じゃあ、職業体験は保育園なんかいいんじゃない?」
陽太がすかさず茶化す。
「そこ、行きたい! 亜紀先生、お願い!」
沙羅が身を乗り出し、教室にまた笑いが広がる。
「私は……芸術・表現分野」
真琴が小さな声で呟く。
沙羅が「おおー! マンガ家って天職じゃん」と拍手すると、真琴は頬を赤らめた。
でも、その瞳には、少し誇らしさが宿っていた。
ロッティは自分の紙をそっと見つめる。
「わたしは、研究・探究分野」
その言葉に、周囲から「やっぱり!」と声が上がる。
「先生、この占い、すごいよ! めっちゃ当たってます!」
沙羅が興奮気味に立ち上がる。
「占いじゃありません。適性診断です。
いいですか、みなさん、あくまで参考ですからね」
少しきつめの声に、笑いの空気がすっと収まった。
ふと、ひかりの机に目をやると――
――適性分野:グローバル・社会活動分野。
その横で、ひかりのペンは止まったままだった。
「ひかり、何か思ってたのと違った?」
ロッティが小声で聞くと、ひかりは小さく首を振る。
「別に……」
でも、その目はどこか遠くを見ているようだった。
***
放課後、道場の更衣室。
道着に着替えながら、沙羅が「将来か~」とため息をつく。
「ねぇ、ロッティはもう決まってるんでしょ? 山村プロジェクト、だっけ?」
「うん」
「そこで何するの?」
「う~ん……前みたいに研究かな、たぶん」
「“研究かな”って……うー、カッコいい。一生言えないセリフだわ」
沙羅が笑い、ロッティも苦笑した。
「もう〜、茶化さないでよ。それより沙羅はどうなの? 何かやりたいこととか」
「まだ、わかんない。でも、人と関わる仕事がいいかなって思ってる」
ロッティは、沙羅らしいなと思った。
「じゃあ、体験先の希望は保育園にしたの?」
「うん。ロッティは?」
「たかとお」
「なんで?」
「私は、沙羅みたいに知らない人と上手く話せないから」
「意外。そんなふうには見えないけど?」
「ううん、ほんとだよ。だから、ひかりのお母さんなら会ったことあるし、いいかなって」
沙羅が着替えを終え、スニーカーを履く。
「美央はお医者さん、真琴はマンガ家、ロッティは研究者かぁ……
いいなぁ、決まってる人は。迷う必要がなくて」
その「いいな」が、ロッティの胸に小さく刺さった。
――「迷う必要がない」って、ほんとうに“いいこと”なのかな。
道は決まっているはずなのに、胸の奥が落ち着かない。
そんな不思議な感覚だけが、静かに残った。




