第36話 誰かのためで決めてはいけない
翌日。
ロッティはエリザベスとマイケルと一緒に、水守中学校を訪れた。
夏休み中で静まり返った校舎は、いつもの何倍も広く感じられる。
円城寺校長室では、ロッティの退学手続きが進められていた。
念願の山村プロジェクトに参加するためだ。
円城寺は書類を揃えながら、満足そうに微笑む。
「ほんとうに立派な一年でした。水守の子たちも、ずいぶん刺激を受けましたよ」
「数学の成績は県でもトップクラスです」と真田教頭が続ける。
ロッティは少し照れながら通訳した。
「Thank you, Mr. Enjoji.」
エリザベスは誇らしげに頷き、ロッティの肩を軽く叩いた。
「See? Isn't that great?」
《すごいじゃない》
「I'm proud of you.」
《誇りに思うよ》
マイケルがロッティを抱きしめる。
「……Yes.」
《……うん》
その返事は、どこか力が抜けていた。
***
ロッティはエリザベスたちを調理実習室へ案内した。
ひかりたち生活部のメンバーが、文化祭に向けて集まっている。
「ロッティ!」
真っ先に駆け寄ってきたのは、ひかりだった。
いつもの明るい笑顔――だけど、その奥に少し影があるように見えた。
「聞いたよ、転校しちゃうの?」
「うん……たぶん」
「“たぶん”ってどういうこと?」
ひかりが首をかしげる。
クッキーの甘い香りの中で、ロッティは小さく笑った。
「一年間の約束だから……」
「そうだったね。……やっぱり、ロッティがいなくなるの、さみしいな」
その言葉に、真琴も手を止めた。
「ほんと。ロッティいないと、部活さびしくなりそう」
「うん、いろいろ助けてもらったし」
「わ、わたしそんな……!」
ロッティは両手をぶんぶん振る。
だが、胸の奥にじんわりと温かさが広がった。
エリザベスが静かに微笑む。
「Lottie, you've made good friends, haven't you?」
《いいお友達ができたのね》
「Yes. Everyone is kind.」
《うん。みんな優しい》
エリザベスの視線が、ほんの少しだけ探るように細められた。
「Are you sad about saying goodbye?」
《別れるのがさみしいの?》
「That's also true.」
《それもある》
「Also?」
《“それも”?》
ロッティは言葉を飲み込んだ。
胸の奥に渦を巻いている感情――それは、“さみしい”だけではなかった。
エリザベスはそっと肩に手を置く。
「Let's talk properly later.」
《あとでちゃんと話しましょう》
***
帰宅後。
ロッティの部屋。
「Hey, Lottie. What's this picture of?」
《ねえ、ロッティ。これ、何の写真?》
エリザベスが指さしたのは、机の写真立てだった。
ひとつは山村博士との写真。
その隣には――柔道部の集合写真。
畳の上で肩を並べて笑うロッティ、翔、魁人、ひかり、沙羅、悠、そして久美先生。
汗と笑顔が混ざったその一枚は、どんな賞状よりも輝いていた。
「That's from the judo tournament.」
《柔道大会のときの写真》
ロッティが答えると、エリザベスは小さく眉を上げた。
「Judo... Are these kids the reason you're confused?」
《柔道……迷っている理由は、この子たちなの?》
胸の奥を、やわらかく突かれる。
ロッティはしばらく黙り――そして、ぽつりとつぶやいた。
「Because of me, Sho couldn't participate in the team competition.」
《わたしのせいで、翔が団体戦に出られなくなったの》
「What do you mean?」
《どういうこと?》
「I lost the mixed team match...」
《混合団体戦で負けてしまって……》
「So I want to let him fight again.」
《だから、もう一度、翔に戦わせてあげたい》
言葉にしても、胸のもやは晴れなかった。
それが“翔のため”だけだとは、自分自身も思えなかった。
エリザベスはしばらくロッティを見つめ、やがてそっと微笑んだ。
「Lottie, I'm sure your feelings are genuine. But...」
《ロッティ。あなたの気持ちは本物よ。でも……》
「But?」
《でも?》
「Don't make decisions “for someone else.”」
《“誰かのため”だけで決めてはいけないの》
「Think carefully about what you want to do.」
《“自分がどうしたいか”を、きちんと考えるのよ》
ロッティは視線を落とした。
畳の上に落ちる影が長く伸びていく。
その影の向こうで、柔道部の写真が小さく揺れて見えた。
「What do I want to do...」
《自分がどうしたいのか……》
エリザベスはロッティの頭をやさしく撫でた。
「Yes. There's no need to rush.」
《ええ。焦らなくていいのよ》
「You still have time to think about it.」
《考える時間は、まだあるでしょう?》
ロッティは小さく頷いた。
風がカーテンを揺らす。
ロッティの中で、何かが静かに形を取り始めていた。




