第33話 守らずに攻めた
夏休み。八月に入った最初の週末。
N県柔道大会・地区予選の日がやってきた。
体育館の外では、真夏の光が容赦なく照りつけ、
セミの声が耳を刺すほど鳴き続けている。
「集合!」
久美先生の声が体育館に響く。
道着姿の六人が静かに整列した。
畳に触れる足裏には、熱気がじわりと伝わってくる。
「勝ち負けよりも、悔いの残らない試合をしなさい」
初戦の相手は、青蘭南中学。
「みんなデッカイね……」
ひかりが不安げにつぶやく。
「団体戦は体重区分なんてないようなもんだからな」
魁人が肩を回しながら答える。
「強いの?」
「大したことねぇよ。俺は負けたことないし」
ひかりがわずかに安心した顔になる。
全員で円陣を組み、魁人が声を張った。
「俺と翔で二勝する。残りで一つ取れば決定戦にできる!」
翔も声を上げる。
「絶対勝つぞ! 水守中、ファイト!」
「ファイト!!」
その熱気は、セミの声と混ざって体育館いっぱいに響いた。
***
「第一試合、水守中学・竹本沙羅さん!」
呼び出されると、沙羅が「よしっ」と気合を入れて畳へ進む。
試合開始。
沙羅は積極的に仕掛けるが、相手の重さに押し返される。
体重差がじわじわと効き、次第に手が出なくなる。
延長戦に突入すると、沙羅の足はもう動かなくなっていた。
結果は優勢負け。
スコアは0-2。
「沙羅、よく頑張った!」
久美先生が声をかけると、沙羅は唇を噛んだまま戻ってきた。
「ごめん……一本、取れなかった……」
「気にすんな。まだ始まったばっかだ」
魁人が短く励ます。
――そして悠の番。
長身の相手に組ませてもらえず、間合いに入れない。
延長目前で足を払われ、そのまま抑え込まれて一本負け。
0-4。
スコアが開く。
空気が一気に重く沈む。
「ひかり……お願い……」
沙羅の声に、ひかりは小さく頷いて畳へ。
ひかりは冷静に構えた。相手のペースに乗らず、技を返していく。
ひかりが攻めると、相手は場外に逃げる。
そんな場面が何度も続いた。
「うまいな」
翔が呟く。
審判が二人を畳の中央に戻し、ひかりに“指導”を出す。
「うそ、なんで」
沙羅が驚いて声を漏らす。
「外に出る瞬間、ひかりが押し倒したように見えるんだよ」
「そんな……」
「戻って間もないから、距離感がズレてるんだ。押しすぎなんだよ」
結局、“指導”が続いて優勢負け。
0-6。
――もう一つも落とせない。
「次、水守中学・田島魁人くん!」
魁人が立ち上がり、相手とにらみ合う。
開始、数秒。
見事な一本背負い。
観客席がどよめく。
「よっしゃあ!」
翔が叫び、沙羅も涙を拭きながら拍手した。
魁人はわずかに息を吐いて戻ってくる。
「魁人、ナイス!」
「まあ、当然だけどな」
2-6。
――そして、ロッティの番。
***
ロッティが勝てば翔に繋がる。
ロッティが負ければ、その瞬間終了。
「……あんな大きい人とやるの?」
沙羅が心配そうに囁く。
「そのための小外刈りだろ」
翔が静かに言う。
「ロッティなら、できる」
みんなの視線が集まる。
その重さが怖い。
ロッティは立ち上がる。
手のひらが汗でじっとり濡れていた。
――負けたら全部終わる。
畳に立った瞬間、相手の体格が壁のように見えた。
「はじめ!」
掴まれたら終わり――ロッティは逃げる。
伸びてくる手を全部払う。
相手が止まれば、すぐ足を出して疲れさせる。
――相手が消耗するまで、続ける。
試合が止まる。
「指導、一!」
(指導なら三つまで。一本取ればいい)
ロッティは続ける。
相手の呼吸が荒くなり、手が伸びる速度が明らかに遅くなる。
――今。
踏み込み、足を払う。
そのまま体を倒す。
「技あり!」
水守中のベンチが沸騰した。
「よっしゃ!」「ロッティ、いける!」
あとは逃げ切れば優勢勝ち。
しかし――
相手の引き手が、ふっと緩んだ。
あ、と思うより早く、身体が前に出ていた。
次の瞬間、視界がぐるりと回る。
天井。
畳。
衝撃。
どんっ!!
「一本!!」
会場が静まり返る。
ロッティは畳に沈み込み、しばらく動けなかった。
何が起こったのか分からなかった。
でも、負けたと分かると、その場で泣き声をあげた。
「ロッティ! 立ちなさい。まだ終わってない!」
久美先生の声で、ロッティは涙をこぼしながら立ち上がり、礼をした。
「4対2で、青蘭南中学の勝ち!」
水守中、敗退。
翔の出番は来なかった。
「……ロッティ、お疲れ」
久美先生が静かに声をかける。
ロッティはその胸に顔を押しつけ、震える声で繰り返した。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「守らずに攻めた。……それでいいよ」
翔はロッティの肩を軽く叩いた。
ひかりがそっと言葉を添える。
「……仕方ないよ。あれ、勇気の技だった」
魁人も、悔しそうにぼそっと呟く。
「他の技も、教えとけばよかったな……」
ロッティは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら泣き続けた。
でも、その痛みの奥に――
みんなと、ちゃんとつながっている温度があった。
それが、ほんの少しだけロッティを支えていた。




