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第27話 名前入れといた

放課後の家庭科室。

窓の外では春の風がカーテンをやさしく揺らしていた。


机の上には、漫画の原稿用紙、ペン、スクリーントーン、定規――。

いつもの家庭科室の一角が、まるで小さな“マンガ工房”に変わっていた。


「ロッティ、ここのベタ塗りお願い。黒で、はみ出さないように」


「お、おっけー!」


ロッティは緊張した面持ちで筆を慎重に動かす。

線を塗りつぶすだけなのに、指先が震えてしまう。

集中しすぎて、息をするのも忘れそうだった。


「……そこ、ちょっと塗りすぎ」


「えっ!? あ、ほんとだ、ごめん!」


「いいよ。白ペンで直せば大丈夫。落ち着いて」


真琴の声は、前よりずっとやわらかかった。

数日前まで張りつめていた空気が、少しずつほどけていくようだった。


真琴がトーンナイフでスクリーントーンを器用に切る。

サクサク、と規則正しい音が静かな教室に響く。


「ここ、影になるから……ロッティ、貼ってみる?」


「えっ、わたしが?」


「うん。できる?」


「やってみる!」


ロッティはピンセットを持ち、緊張しながらトーンを重ねた。

指先が汗ばみ、空気がほんの少し張りつめる。


……ペタ。


貼り終えた瞬間、真琴がのぞき込んだ。


「――けっこう器用じゃん」


「実験で液晶板に偏光フィルム貼るのと同じ感じ」


「よくわかんないけど……こっちのもやってみて」


「上手いじゃん!」


ロッティの顔がぱっと明るくなる。


「やった! わたし、才能あるかも!」


「調子に乗らない」


「えへへ……」


ふたりの笑い声が、トーンナイフの音に溶けていく。

その時間が、ロッティには少しだけ特別に感じられた。




***




しばらくして、真琴が手を止めた。

ペン先を紙から離し、ぽつりとつぶやく。


「……あのラスト、アルパが笑うシーン。あれ、ロッティがモデル」


「え……わたし?」


真琴は小さく頷いた。


「ロッティってさ、どんなときも人と仲よくしようとするじゃん。

失敗しても、また話しかけて……そういうの、見てるとさ」


少し間をおいて、こぼれた言葉。


「……ずっと、うらやましいなって思ってた」


ロッティは言葉を失った。

ひかりにも似たことを言われたけれど、真琴に言われると胸の奥がじんと熱くなる。


「仲よくなんて……ただ、人の気持ちがわからなくて、どんどん行っちゃうだけだよ」


「それが、できない人もいるんだよ」


真琴の声は淡々としていたが、その奥に微かな震えがあった。


「私ね、母親に捨てられて、ここに来たの」


ロッティは息をのむ。


真琴は目を合わせず、淡々と続けた。


「学校でいじめられて……不登校になって……

家でうずくまってたら、『学校も行かないなら、家のこともしないなら出ていって』って言われたの」


「そんな……ひどい」


「何もできないから、じゃまにされて、放り出された。

だから、家族に大事にされてるあんたが羨ましかった」


ロッティは、胸が痛んだ。

真琴が“世界を壊すマンガ”を描いた理由が、ようやく骨の底までわかる気がした。


「もう、何もかも嫌で。

人も、学校も、世界も――全部壊れればいいって思ってた。

だから、あのマンガを描いたの。

壊すことでしか、生きてる気がしなかった」


ロッティの胸が、さらに締め付けられる。


「でも、ロッティが読んでくれて……

『全部壊すのは変』って言ったとき――なんか、止まった。

壊したいだけじゃない、

“私もほんとは誰かに見てほしかったんだ”って気づいた」


真琴は小さく笑った。

それは涙をこらえるような、弱くて強い笑顔だった。


「……だから、アルパのラストはロッティを見て描いたの。

ひとりで笑うんじゃなくて、誰かと一緒に笑えるように」


ロッティの目に涙が滲む。


「真琴……」


「言っとくけど、感謝とかいらないから。

ただ――ロッティみたいにしたかっただけ」


ロッティは胸の奥に、ぽっと温かい光が灯るのを感じた。




***




水守バザーの前日。


「……やっと、できた」


真琴がペンを置いた。


原稿の上には、最後のコマ――笑顔のアルパと仲間たち。

その表情は、前よりもずっと穏やかで、あたたかかった。


「きっと、バザーでたくさんの人が読むよ」


ロッティが言うと、真琴は少し顔を赤らめる。


「……そんなの、わかんないじゃん」


「わかるよ。だって、真琴の気持ちがちゃんと描かれてるもん」


その言葉に、真琴は照れくさそうに唇をかすかに震わせた。


ロッティは原稿の端に書かれた文字に気づく。


『制作協力:Charlotte Grace Hart』


「えっ……これ、わたしの名前?」


真琴は顔をそむける。


「……手伝ってくれたし、名前入れといた。クレジットってやつ」


ロッティは目を丸くして、それから弾けるように笑った。


「ありがと! なんか、夢みたい!」


「まったく、単純なんだから……」


真琴はため息をついたが、その声に棘はなかった。


ふたりの間に、やわらかな沈黙が流れる。


「完成したみたいね」


ひかりが後ろからのぞき込んだ。


「じゃあ、さっそく印刷して製本しよう。みんなでやれば間に合う!」


「わたし、職員室でコピーしてくる! 原稿、貸して!」


「あたしたちも製本手伝う!」


「うわーい、早く読みたい!」


「どのくらい刷る? 売れたら真琴のデビューだね!」


みんながわいわい騒ぎながら職員室へ向かっていく。

笑い声が廊下にこだまして、放課後の学校が少しだけ温かく感じられた。


窓の外では、夕日がゆっくり沈んでいく。


――まるで、あのマンガの“ラストシーン”と同じ光が、現実にも差し込んでいるようだった。

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