第21話 何かできることはないかな
学年末テスト期間が始まり、午前授業となる。
校門を出たロッティは、車いすを押す陽太の姿を見かけた。
亜香里が明るい声で話しかけている。
――この前のことがあるから……気まずい。
ロッティは咄嗟に気づかないふりをしたが、亜香里の声が飛んできた。
「ロッティちゃん!」
手を振られては、素通りするわけにもいかない。
ロッティは立ち止まり、二人を待った。
「どうも」
「居残り?」
「図書室で勉強」
「そっか」
他愛ないやりとりなのに、胸の奥がどこか重かった。
「ロッティちゃん、診療所でこれ読んでよ」
亜香里が膝の上に置いていた絵本を差し出す。
“SESAME STREET”
「だめだよ、ロッティは帰って勉強するんだから。絵本ならお兄ちゃんが読んでやるって」
「お兄ちゃん、英語読めないじゃん。ロッティちゃん、だめ?」
その甘えた声に押され、ロッティは「ちょっとだけなら」と頷いた。
「やった! 亜香里ね、今、英語の勉強してるの」
「偉いね」
「サンキュー。マイネーム イズ アカリ、ナイスツゥ ミーチュー」
「上手。Nice to meet you, too.」
無邪気な笑顔に、ロッティは少し心が軽くなった。
歩きながら、陽太がバツの悪そうな声で言った。
「この前のこと……」
「あっ、大丈夫……誰にも言ってない」
「あれ、冗談だよ。ちょっと玲子先生を困らせてみたいっていうか……な~んて」
ロッティは曖昧に頷いたが、胸の奥にはまだざわつきが残っていた。
***
診療所の待合室につくと、亜香里がさっそく絵本を開いた。
「ロッティちゃん、読んで!」
ロッティは流れるような英語で読み始める。
「Yummy, yummy, I love cookies.」
「ねえ、ヤミーって何?」
「“おいしい”って意味。赤ちゃんことばだよ。
Cookie Monster loves cookies. クッキーモンスターはクッキーが大好きです」
「へへっ、あたしもクッキー大好き! ヤミーヤミー」
「Yummy, yummy!」
ページをめくるたび、二人の声が待合室に弾む。
ロッティの胸にあった重さも、不思議とふわりと軽くなっていった。
***
診察が終わり、帰り道。
陽が沈みかけ、風は一段と冷たかった。
車いすを押しながら、陽太がぽつりと言った。
「亜香里はぜんそくで運動ができないんだ。だから俺がその分、陸上で頑張ってる」
ロッティは黙って耳を傾けた。
その声には、決意と、少しの疲れが混ざっているように聞こえた。
「マラソンでは一番になる。亜香里を元気づけたいから」
陽太の言葉は力強い。
亜香里は「がんばれー!」と笑い、ロッティもつられて微笑む。
――そういえば、わたしは……誰かのために何かをしたこと、あるだろうか?
胸の奥で、じんわりと小さな痛みが生まれる。
冬の空に、三人の白い息がゆっくり溶けていった。
***
学年末テストが終わり、マラソン練習が本格的に始まった。
校庭では、陽太がいつものように明るくふるまっている。
「テスト終わったと思ったら、今度はマラソン。もう地獄だわ」
「大会までの辛抱、辛抱!」
「でも陽太なら余裕だよな」
「優勝狙いだって聞いたぞ!」
「亜香里ちゃんも応援に来るんだって?」
みんなの声に、陽太は笑顔で返す。
その笑顔はまぶしいほど明るい。
――でも……あれ、本物?
ロッティには、どこか無理をしているように見えた。
スタートラインに並び、久美先生が声を張る。
「位置について――よーい、スタート!」
一斉に走り出した列の中で、ロッティは陽太の背中を追いながら考えていた。
――『元気ないい子でいることに疲れる』って……あれは冗談なんかじゃない。
胸がざわめいたその瞬間――
「こらっ! ロッティ、ぼーっと走ってたらまた転ぶわよ!」
久美先生の声にハッとし、ロッティは前の子を追ってペースを上げた。
***
放課後。
部活帰りの校庭で、陽太が黙々と走っていた。
「お、ロッティ。部活終わった?」
陽太が軽く手を振る。
「うん。陽太は?」
「俺は、もうちょっと走る」
「……無理しないでね」
思わずこぼれた言葉に、陽太は笑って答えた。
「大丈夫だって! 走るの好きなんだから」
そう言って走り出す背中。
風を切る音が、乾いた空気に響く。
――亜香里ちゃんの応援が、陽太の力になってるんだ。
でもロッティには、あの笑顔が「無理」を隠しているようにも見えた。
考えがまとまらず、胸がぎゅっと締めつけられる。
***
夜。
ベッドに横になったロッティは、天井を見つめながら考えていた。
――わたしは……誰かのために、あそこまで頑張れるのかな?
陽太の言葉、自分の思い、亜香里の笑顔が胸の中で混ざり合う。
冬の風が窓を揺らす音だけが、静かに響いていた。
――わたしも、亜香里ちゃんに……何かできること、ないかな?
その気持ちはまだ小さいけれど、確かにそこにある。
胸の奥で、温かい光のように灯っていた




