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第20話 本当は無理している

診療所からの帰り道。


車いすを押す陽太に、亜香里が話しかける。


「お兄ちゃん、お勉強中だったの?」


「ああ……そうだよ。マラソン大会の練習で、ロッティと一緒に走ってたんだ」


「ロッティちゃん、お兄ちゃんね、すっごく速いんだよ。知ってた?」


「知ってるよ。学校で一番かも」


「ちょっと、ロッティ、盛りすぎだよ」


陽太が慌てて否定する。


「亜香里、応援に行くから、一番とってね」


「わかった、その代わり亜香里も病気になんか負けるな」


陽太は車いすを押しながら、ふいに駆けだした。


「わっ、早ーい!」


亜香里の楽しげな声が、冬の光に弾けた。


陽太の母親は、松葉杖で歩くロッティの速度に合わせながら歩き、

「寒いでしょう」と自分のマフラーをそっと肩にかけてくれる。


「ありがとうございます」


――陽太の家族って、みんな優しい。温かい。


「陽太は、亜香里の面倒をよく見てくれるの。ほんと助かるわ。妹も陽太が大好きでね」


「亜香里ちゃん、すっごくかわいいです」


「でも、ときどき心配になるの」


「心配……?」


「陽太に、無理させてるんじゃないかって」


――無理……している?


ロッティは言葉を返せず、そのまま胸の奥にしまい込んだ。


校門の前では、陽太と亜香里が手を振って待っていた。


「もう、あんたはロッティさんの付き添いなんだから、先に行ってどうするのよ」


母親が呆れたように言うと、陽太は肩をすくめて亜香里に目配せをする。

亜香里も同じように肩をすくめて見せた。


「じゃ、俺たち学校に戻るわ」


マフラーを返し、軽く会釈する。


「ロッティちゃん、また遊んでね」


「うん」


亜香里と指切りを交わす。

その小さな手のぬくもりに、ロッティは思わず微笑んだ。




***




数日後。

ロッティの足の痛みはすっかり引いていた。


部活帰り、借りていた松葉杖を返そうと、再び診療所へ向かう。


「おや、ロッティ。もう歩けるようになったのね」


玲子先生が笑顔で迎えてくれる。


「はい、もう大丈夫です。ありがとうございました。それで、松葉杖なんですけど……」


「ああ、それならそこに置いといて。後で太田さんに戻してもらうわ」


「すみません、お願いします」


そのとき、パーティション越しに人影が動き、陽太がひょいと顔を出した。


「陽太? どこか悪いの?」


「こいつ、時々ここに来てサボってんだよ。ロッティ、連れて帰ってよ」


「ひでーな先生。暇そうだから、話し相手になってやってるのに」


陽太が楽しげに笑う。


「ロッティ、知ってる? 玲子先生、N大病院を追い出されてここに来たんだぜ」


「人聞きの悪いこと言わないでよ。私は医師派遣で来てるの。へき地医療に協力する、献身的な医者なの」


「イシハケン……? ケンシンテキ……?」


ロッティがスマホを取り出し、翻訳アプリを開く。


「Doctor dispatch. I am a dedicated doctor who cooperates in remote area medical care.」

《医師派遣。私はへき地医療に協力する献身的な医師です》


ロッティがうなずくと、玲子先生は「そうそう」と笑った。


「いつも、こんな田舎いやだって言ってるくせに」


「もう、余計なこと言わなくていいの」


玲子先生はむすっとしながら、二人にペットボトルのお茶を渡した。


「亜香里ちゃん、最近どう? 変わりない?」


「うん、元気だよ。マラソン大会に応援に行くって、張り切ってる」


「じゃあ、頑張らないとね。でも無理はダメよ」


「マラソン大会では絶対優勝して、亜香里を喜ばせたいんだ」


その声には、軽口の奥にある“決意”のような響きがあった。

ロッティは、それを聞き逃さなかった。




***




診療所を出て少し歩いたところで、スマホがないことに気づいた。


「あのとき……置いてきちゃったんだ」


慌てて引き返す。


待合ロビーには誰もいない。


机の上にスマホがぽつんと置かれていた。

ロッティが手を伸ばそうとした、そのとき――


パーティション越しに声が聞こえた。


「……玲子先生。俺、ときどき“元気ないい子”でいることに、疲れてしまうんだ。

どうしたらいいのかな……?」


陽太の声だった。


ロッティは、意味を完璧には理解できなかった。

けれど――陽太が苦しんでいる、その事実だけは鮮烈に伝わった。


「……っ」


小さな息が漏れた瞬間、パーティションが揺れた。


「ロッティ……今の、聞いてたのか?」


陽太の表情が驚きから険しさへと変わる。


「ご、ごめん……」


陽太は強い口調で言った。


「このことは、絶対に誰にも言うな。いいな?」


ロッティは息を呑んで頷くことしかできなかった。


陽太はそれ以上何も言わず、足早に診療所を出ていった。


残されたロッティは、スマホを強く握りながら、その背中を見送った。


――陽太……本当は、苦しんでいる?


廊下の奥から戻ってきた玲子先生が

「――あれ、ロッティ? どうしたの?」

と声をかけてきたが、ロッティは何も言えなかった。


「スマホ……忘れた、だけ」


絞り出すように言う。


――秘密を抱えてしまった。


胸の奥が、冬の空気よりもずっと重く痛んだ。

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