第15話 99点ではダメ
真田教頭が答案の束を教卓に置いた。
「はい、返すぞ。平均点は五十八点。まずまずだ」
ざわめきとともに数学の答案が配られていく。
めくる音、ため息、ちょっとした歓声——点数という数字が教室の中で跳ねるようだった。
ロッティの机にも、一枚の紙。
端には、赤いペンで「100」。
――Perfect score.
《満点だ》
沙羅がのぞき込み、素っ頓狂な声を上げる。
「え、ロッティ、百点!? すごっ!」
その声は教室の後ろまで届いた。
「うわー、俺の倍以上じゃん! 奇跡の五十が遠い〜!」
陽太が大げさに叫び、ひと笑い起こる。
すぐ後ろから、別の声。
「うわ、こっちは九十九点!? 一点差でトップ交代か〜!」
美央がぱしん、と机を叩いた。
「……勝手に見ないで!」
空気が一瞬しんとする。
「ほら、しゃべらない」
真田教頭の低い声が響き、笑いはぴたりと止まった。
ロッティは、その微妙な空気の変化を、肌で感じていた。
***
放課後。
金色の夕日が坂道を染めていた。
バス停のベンチには、美央が一人。
スマホをいじりながら、時おり顔を上げては、また目を落とす。
ロッティは、いつもの調子で手を振りながら近づいた。
「Hello, Mio.」
《おーい、ミオー》
隣にちょこんと座ると、満面の笑み。
「ドコ、行きますか?」
「塾」
「ミオ、数学、好きですか?」
「は? いきなり何?」
「Because 99 points is amazing.」
《だって、99点ってすごい》
美央は肩をすくめ、視線をそらした。
「You got 100 points. Are you picking a fight again?」
《自分は100点のくせに。またケンカ売りに来たの?》
ロッティはぽかんとする。
「Fight? We are math friends.」
《ケンカ? わたしたち、数学友達ですよ》
「Math friends……」
その言い方に、美央は思わず吹き出してしまった。
その笑顔は、昼間の険しさとは違って柔らかい。
ロッティもつられて笑った。
「Mio, your English is really good. Where did you learn it?」
《英語、上手。どこで習ったの?》
「英会話教室。小さいころから通ってるの。
At an English conversation class.」
風がベンチの足元を抜けていった。
しばらくして、美央が小さくつぶやく。
「…Lottie, how can solving problems be so fun?」
《ロッティは、勉強…楽しいの?》
ロッティは迷わず答えた。
「Because I like to understand. It's like a puzzle.」
《理解できるのが好き。パズルみたいだから》
美央の表情に、かすかな陰りが浮かんだ。
「I'm not doing this as a puzzle. I want to win.」
《パズルだなんて思えない。私は“勝ちたい”の》
ロッティは首をかしげる。
「Win? Study is to know the world. Not a game.」
《勝ちたいって? 勉強は世界を知るため。ゲームじゃない》
美央は短く吸いこんだ息を、少し強い声で吐き出した。
「What is that? Such nice words don't work in reality.」
《そんなきれいごと、現実じゃ役に立たない!》
夕暮れの風が、二人の間をすり抜ける。
ロッティは美央の目を見つめた。
怒りの奥にあるのは——焦り、孤独、そして、小さな不安。
ロッティは、その心のパズルをどうやって解けばいいのか分からなかった。
「So what will you do… after you win?」
《じゃあ、勝ったあと、どうするの?》
ロッティの声は小さかったが、真剣だった。
美央は答えられず、視線をそらす。
沈黙が、夕暮れの坂道に長く落ちた。
――このパズルは、数式よりもずっと難しい。
***
坂の向こうから、バスが近づいてきた。
風とともに、夜の匂いが漂う。
「I don't agree with you.」
《あなたとは、考え方が合わない》
美央は立ち上がり、そのままバスに乗り込んだ。
ドアが閉まり、ライトの光が遠ざかってゆく。
ロッティは黙って見送った。
――I still can't understand how she feels.
《美央の気持ちが、まだわからない》
風だけが、ロッティの隣に残った。




