第12話 勉強はクッキーのため
十月の風が、昼休みの窓からそっと流れ込む。
木々の葉は色づき始め、校庭の隅ではイチョウが小さく黄金色に揺れていた。
ロッティは、ひかりと沙羅と並んで机を囲み、給食をつついていた。
ひかりがふと顔を上げる。
「ねえ、ロッティ。もう部活、決めた?」
ロッティは箸を止め、ひかりを見る。
その瞬間、あの甘い香りが胸の奥にふわりとよみがえった。
――歓迎会でひかりがくれた、あのサクサクのクッキー。
ロッティは静かに言った。
「ひかりのクッキー……すごくオイシカッタ」
そして真顔で尋ねる。
「Did you make them in your cookie lab?」
「クッキーラボ? ああ、“生活部”のことね。お菓子だけじゃなくて、祭りの準備とかボランティアとか、いろいろやるんだよ」
「でも、お菓子多いよね?」
沙羅が肩をすくめる。
「そのお菓子、誰が一番食べに来るんだろうね?」
ロッティはうなずき、きっぱり宣言した。
「じゃあ、入ります。セイカツブ。ひかりの“クッキーラボ”に!」
沙羅が驚いたように言う。
「え、柔道部は? 来てくれると思ったのに」
ロッティは真面目な顔で答えた。
「脳は、グルコースが必要です」
「……つまりクッキー目当てってこと?」
「いいじゃない。Welcome to Seikatsu Club!」
ひかりが嬉しそうに笑った。
「仕方ない、生活部への入部を認めます! You can join the Seikatsu Club!」
「なんで柔道部の沙羅が許可してるのよ!」
三人の笑い声が教室に弾んだ。
***
夕方の光で、調理室はオレンジ色に染まっていた。
ステンレス台、ボウル、泡立て器――ロッティには実験室のように見える。
「今日から新入部員が一人入ります」
エプロン姿の部長が明るく言った。
「ロッティ・ハートさんです」
「ヨロシク オネガイシマス」
「かわいい!」「日本語上手!」
周りが一瞬で和んだ。
部長がひかりを見る。
「ひかり、ロッティちゃんのサポートお願い」
「はい!」
ひかりは親指を立て、ロッティにボウルと泡立て器を渡した。
「ロッティ、今日は一緒に甘いもの作ろう!」
ロッティはきょとんとする。
「わたしが、しますか?」
「もちろん。部活だからね!」
指示に従い、卵と砂糖をボウルに入れ、泡立て器でかき混ぜる。
白い液体が空気を含んでふわりと変化していく。
ロッティは混ぜながら、ぽそっと呟いた。
「この粘度は……センチポアズで何くらいでしょう?」
「ねんど? センチ……なに?」
「One centipoise is one millipascal second.」
《1センチポアズは、1ミリパスカル・秒です》
ひかりは頭を抱えた。
「理科やめて! 料理中!」
ロッティは、垂れるメレンゲをじっと観察する。
ひかりは笑いながら、泡立て器を取り上げた。
「ほら、“ツノが立つまで”って言うの」
「ツノ? horn?」
ロッティが両手で“牛の角”ポーズをすると、ひかりは吹き出した。
テキパキと混ぜるひかりの手元で、メレンゲに美しい角が立った。
「これがホーン」
「I see. Structural change. High efficiency to capture air molecules.」
《構造変化。空気分子の捕捉効率が高い》
「もうわかんないってば!」
オーブンに入れたメレンゲクッキーがふくらんでいくのを見ながら、ロッティはそっと息をついた。
「Making sweets takes more energy than I thought.」
《お菓子作りって、エネルギー使いますね》
「でしょ? でも美味しいよ」
焼き上がったメレンゲクッキーは淡いクリーム色で、香りは軽やかだった。
「This is the art of... sugar and air.」
《これは、砂糖と空気のアート》
「大げさだけど……ちょっと嬉しいかも」
一つ食べると、口の中で静かに溶けてしまった。
物理法則では表せない幸福が広がる。
ロッティは、この部活をすっかり気に入っていた。
***
クッキーを食べ終えるころ、生活部の顧問・エリカが現れた。
「今日で部活は一旦お休み。明日からテスト準備期間だからね」
「えぇーっ!」「現実を思い出したくなかった!」
ため息が調理室に広がる。
ロッティは、ひかりと一緒にボウルを洗いながら言った。
「Studying is for delicious cookies.」
「え? どういう意味?」
翻訳アプリには、
『勉強は、おいしいクッキーのためです』
と表示される。
「……どういう理屈?」
『When you use your brain, you need plenty of glucose.』
《脳を使うと糖分が必要です》
ひかりは笑い出した。
「それ、ロッティの“クッキー理論”だね?」
「Yes. おいしいクッキーのために、がんばります」
「うん。テスト乗り越えたら、いっぱい作ろうね」
オーブンの残り熱が部屋に漂い、
秋の夕陽が静かに差し込んでいた。




