第10話 完全に詰んじゃってる
翌朝、ロッティは学校を休んだ。
「旅の疲れが出たみたい」とだけ久美に告げる。
――本当の理由なんて、言えるはずがなかった。
山村留学は“博士のプロジェクト”ではなかった。
博士にも「来年まで待て」と言われた。
アメリカの家にも、もう帰りづらい。
胸の奥が、ゆっくりと冷えていく。
――It feels like a dead end.
《完全に詰んじゃってる》
布団の中で膝を抱える。
天井の木目が波打ち、量子の波動関数みたいに揺らいで見えた。
――What's going to happen to me now...?
《私、これからどうなっちゃうの……?》
久美が置いていったサンドイッチも手をつけられない。
M.I.T.で方程式を解いていたころよりもずっと、
“観測できない現実”の揺らぎが、心の中で広がっていた。
***
夕暮れ。
コンコン、とドアを叩く音。
開けると、ひかり、沙羅、陽太、そして翔が並んで立っていた。
ひかりが心配そうにのぞき込む。
「ロッティ、大丈夫? Are you OK?」
「昨日、急にどっか走っていったからさ。マジでビビった」
沙羅が眉を寄せる。
ロッティは申し訳なさそうに、小さく笑った。
「Sorry… I made you worry.」
《ごめん……心配かけちゃった》
陽太が、いつも通りの明るい声で言う。
「ロッティ、やっぱ速かったな! 陸上部、絶対向いてるって!」
「はいはい、今日は勧誘はしないって言ったでしょ」
ひかりが即ツッコミを入れ、沙羅が吹き出す。
その空気につられ、ロッティの表情も少し緩んだ。
「でもね、元気で本当に安心したよ。翔に聞いても“知らねーよ”しか言わないし」
ひかりが翻訳アプリの画面を見せる。
『I'm glad you're doing well.
元気そうでよかった』
「I see… thank you, everyone.」
《ありがとう、みんな》
同年代の子に“心配”されたのは、初めてだった。
胸の奥がほんのり温かくなる。
***
「よし、元気なら……始めよっか」
ひかりがにこっと笑う。
買い物袋から、お菓子、ジュース、紙コップが次々と現れた。
「…Oh? What’s happening? 」
《えっ? なに始めるの?》
「ロッティの歓迎会!
Let’s have a welcome party for you! 」
沙羅が胸を張る。
「翔、コップ!」
陽太が声をかけると、翔は無言で台所へ向かった。
「ロッティ、何飲む?」
沙羅が飲み物を並べ、ロッティはカフェオレを指さした。
「オッケー!」
注がれたコップを手に取り、みんなで掲げる。
「かんぱーい!」
笑い声とともに、部屋の空気が柔らかく揺れる。
光の粒が散らばるような感じがした。
ひかりがクッキーを差し出す。
「ねぇ、ロッティ。もう部活、決めた?
Which club did you decide on? 」
「No, I haven't. 」
「これは生活部で作ったんだよ!
Come on, join us! 」
「ちょっと! “お見舞いの時は勧誘なし”って言ったの誰!?」
「今は“歓迎会”!」
沙羅が笑い、
「じゃあ柔道部!」と手を挙げる。
笑い声が弾け、ロッティはさっきまでの不安を忘れて微笑んだ。
――Ah… there really is a connection here, too.
《ああ……ここにも“つながり”がある》
***
陽太がふと机に目をやり、英語の本の山を見て感嘆した。
「うわ、全部英語の本だ!」
「そりゃそうでしょ、アメリカから来たんだし」
沙羅が笑う。
「でも、これ……数式ばっか。
Can I see? 見てもいい?」
「Yes. 」
陽太が一冊をめくり、目を丸くする。
「これ数学? むっず!」
ロッティは翻訳アプリに『Quantum mechanics』と打ち、
画面を見せた。
「りょ、量子…? すげぇ……」
陽太がたじろぐ。
『Amazing! 』
ロッティは照れたように目をそらした。
そのとき、ひかりが机の端の写真を見つける。
「これ……お父さん? Your father? 」
ロッティは一瞬だけ写真を見つめ、静かに首を振った。
「No… not my father.
He's my teacher. 」
《違う。父じゃない。私の先生》
「アメリカの?」
「Yes, but now…」
視線がふっと落ちる。
それ以上、言葉は続かなかった。
博士の笑顔が映る写真が、胸の奥にずしりとのしかかる。
昨日の声が、まだ耳の奥で反射していた。
そのとき――
コンコン、と再びドアがノックされた。




