初めて、友達ができました。 〜蒼(あおい)と柴内くんの秋〜
教室のざわめきが、僕には重くのしかかっていた。
長い闘病生活は、淡く色褪せた日々だった。
病室の白い天井と機械音だけが続き、窓の外の季節は遠くで変わっていった。
気づけば孤独は体の一部となり、胸の奥で静かに息づいていた。
クラスメイトの笑い声や声が、まるで遠くの雷のように胸に響き、体の奥で小さな震えを残す。
久しぶりに戻ったこの教室は、空気は変わらないはずなのに、僕だけが遠い世界に立っているようだった。
ざわめきは、ただの音ではなく、目に見えない壁となって僕を隔てた。
誰かと目が合うたび、心臓が小さく止まるような感覚。
孤独は僕の身体に根を下ろし、胸の奥でひっそりと息づいている。
窓の外では、赤や黄色に染まった木々の葉が揺れ、静かな音を落としていく。
秋の匂いがそっと鼻をくすぐるたび、胸の奥がひんやりと震える。
季節は美しいのに、心の内側はいつも曇り空だった。
窓の外の世界と、自分の世界は、まるで異なる時間を生きているように感じられた。
その日も、一人で席に座り、教科書の隅をなぞるように文字を追っていた。
文字は眼に入っても、頭に届かない。
触れるペン先の冷たさだけが、唯一、現実を確かめられる感覚だった。
「よっ、お前、一人か?」
耳に届いた声は、ふいに僕の世界を揺らした。
金色の髪と小さな光を帯びた笑顔。
彼――柴内くんは、窓の外から差し込む光のように、僕の目の前に現れた。
怖かった。
でも、目を逸らせなかった。
「ほら、これ。うまいから食べてみろよ」
差し出された袋から、ポテトチップの香ばしい匂いがふわりと漂う。
軽く折れたチップの感触、塩気の匂いが胸にまで届く。
指先が触れた瞬間、胸の奥に小さな火が灯るようだった。
温かさが、孤独の隙間をそっと満たしていく。これまで誰も触れてくれなかった距離が、少しだけ薄くなった。
「俺、柴内颯太。お前は?」
「……松藤蒼です」
声が震えたのを自分でも感じた。
でも、その震えは不思議と恥ずかしくなかった。
目が合った瞬間、言葉にならない何かが交わり、孤独の壁が静かに揺れた。
⸻
放課後。
僕は一人で図書室に向かっていた。
廊下には落ち葉がそっと舞い込み、柔らかな足音と交じり合う。
胸に穏やかな鼓動を伝えるはずだった。
「なあ、蒼、どこ行くんだ?」
振り返ると、柴内くんが少し笑って立っていた。
僕の後ろを、そっと並んで歩いてくる。
「え、あ、図書室……」
普段なら気にも留めない廊下が、誰かと並ぶだけで別の場所になる。
視界の端に差す光、足音、肩に触れる冷たい風。
それらすべてが胸を微かに震わせた。
「じゃあ、俺もついてく」
笑顔に、僕は小さく頷く。
嬉しさと戸惑いが胸の中で交差した。
誰かと歩く――それだけで、世界は重く、同時に柔らかく揺らいでいく。
⸻
図書室は静けさに満ちていた。
午後の光が差し込み、本の匂いと紙の冷たさが混ざる。
柴内くんは、僕の小さなノートを覗き込む。
そこには、柔らかな鉛筆線で描かれた秋の風景が広がっていた。
枯れ葉が舞う並木道、遠くに沈む夕陽、薄紅色の空。
そして小さく描かれた僕と誰かの影――二人が寄り添うように歩く姿。
「……すごいな。上手いじゃん。今度、俺にも教えてくれよ」
初めて、自分の世界を誰かに差し出していいと思えた。
心の奥に閉じ込めていた扉が、そっと開く。
怖さと安心が入り混じる、その瞬間。
「……初めて、誰かと話せた気がする。」
僕の声は小さく、震えていた。
窓の外を通る風が落ち葉をそっと揺らす。
夕暮れの匂いが、僕の胸に小さく光を落とした。
⸻
翌日の放課後、柴内くんに誘われて校庭を歩く。
夕方の空は青から淡い茜色へと染まり、雲の縁を金色に溶かしていた。
秋の風が頬を撫で、枯れ葉の匂い、土の匂い、遠くの笑い声が胸の奥に染み込んでいく。
「なあ、蒼、見ろよ。めっちゃ綺麗だろ」
柴内くんの声は、無邪気でいて、どこか温かく、そして少し切なかった。
僕は目を上げる。
銀杏の黄と楓の赤が夕日に溶け、儚い光の海を作っていた。
胸の奥が震える。
長く忘れていた感覚――世界の美しさと、誰かと共有する喜び。怖がらなくていいんだ、と自然に思えた。
小さく笑う僕を見て、柴内くんはくしゃっと笑う。笑い声は澄んでいて、胸に淡い温度を残した。
落ち葉を踏む感触が、頑なだった心をそっとほどく。ひらひらと舞う葉を追い、柴内くんが駆ける。その後ろを、僕はゆっくり歩く。
走らなくても、ただ一緒にいるだけで胸が満たされる。
「こういうの見ると、子どもに戻った気分になるな」
僕は頷く。
言葉は少ない。
でも、その静かな瞬間に、互いの心が触れ合っていた。
夕日が二人の影を長く伸ばす。
肩に触れる風が、過去の暗い日々をそっと洗い流す。
怖かった時間も、寂しかった時間も、今この瞬間に溶けていく。
「明日も、一緒に行こうな」
「……うん」
声に震えを混ぜ、僕は頷く。
心の奥に、小さく、でも確かな友情の光を抱きながら。
校庭の片隅、赤や黄に染まった落ち葉の間を歩く二人の影は、儚く、でも確かな温度を持って、秋の午後に溶け込んでいった。
孤独だった僕の世界に、初めて友達という光が差し込んだ瞬間だった――。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
少年漫画の友情のようなまっすぐさを、純文学寄りの文体で表現してみました。
書きながら、自分自身も「友達っていいな」と改めて感じることができました。
リアクションや星評価、ブックマーク登録や感想で応援していただけると、とても励みになります。
また他の作品でもお会いできたら嬉しいです。