深淵
御凪遥の事故、そして親友である桜の意識不明。二つの事件は、結城と呉羽の日常を一変させた。何が起きているのか、その正体を探るべく、秘密基地では連日の解析が続いていた。
翌日、秘密基地にやってきた結城は、既にPCに向かう呉羽に声をかけた。
「呉羽、何か分かったのか?」
「ああ、見てくれ、結城。りんたんが搬送された病院のネットワークにアクセスして、桜さんの検査データを入手してくれたんだが、その内容が俺たちのデータと完全に一致したんだ。」
呉羽が示したモニターには、桜の脳波データと、検出された謎の電磁波の波形が並んで表示されていた。その形状は驚くほど酷似している。
「桜さんの意識不明は、この電磁波による脳機能の一時的な停止が原因だと断定できる。そして、この電磁波は、『影』の出現と同時に観測されているんだ。」
凛のホログラムが、画面の隅に現れ、心配そうな声を出した。
「マスター…。桜さんの状態は不安定ですぅ。このままでは、どうなってしまうのか、私にも分かりませんですぅ。」
凛の声には、いつもの快活さがなく、不安がにじみ出ていた。結城の胸に、ずしりと重いものがのしかかる。
「呉羽、何か、電磁波の発生源を特定する方法はないのか?」
「それが…この電磁波、通常の物理法則では説明できない挙動を示しているんだ。まるで、この空間そのものに干渉して発生しているかのような…」
呉羽は珍しく言葉を選んだ。彼の表情には、困惑と同時に、得体の知れない現象への好奇心が見え隠れしていた。その説明はまるでSF小説のようだったが、彼の真剣な様子から嘘ではないことが伝わった。
「空間に干渉?」
「ああ。これまでのデータから推測するに、この現象は特定の高周波を媒介として、異なる次元、あるいは位相空間のようなものから情報が漏洩している可能性がある。」
「異なる次元…そんなことが本当にありえるのか?」
「確たる証拠はない。だが、現状ではそれが最も有力な仮説だ。そして、その『漏洩』が人体に影響を与えていると考えられる。」
凛が再び口を開いた。
「マスター、今、『海鳴りの幻影』って言葉がSNSでトレンドに上がってきてますぅ!これも、この電磁波の異常と連動して報告されてますぅ!特に御食津の松原で、意識不明者と一緒に目撃情報が増えてるんですぅ!
そして、先日SNSで話題になっていた『海母教会』ですぅ。彼らが主張する『啓示』の内容に登場する特定のシンボルや紋様が、呉羽の解析で導き出された電磁波の視覚的なパターンと酷似している部分があるんですぅ。」
「海母教会、か…。」
結城はスマートフォンで海母教会について検索した。特に目を引いたのは、教会の紋章だ。それは、どこか既視感のある奇妙な波紋が描かれている。
「この波紋…どこかで見たような…」
結城の脳裏に、漠然とした記憶がよぎった。
呉羽は思考するように腕を組み、モニターのデータを見つめながら呟いた。
「科学的に説明できないこの現象が、まさか古来の伝承や信仰と符合するとは…。」
結城はさらに検索を続けた。すると、海母教会の信仰対象が、古来より海の神とされる「ワタツミ」であること、そして「ワタツミ」にまつわる伝説の中に「海鳴りの幻影」という記述があることを発見した。それは、海が荒れるとき、幻覚と幻聴を伴って現れるとされる奇妙な現象だった。
結城は、再びスマートフォンの画面を凝視した。そこに映し出された海母教会の紋章と、呉羽の解析データ、そして目の前で不安げな表情を浮かべる凛の姿が重なる。
「呉羽。海母教会だ。そこから何か手掛かりを掴むしかない。」
「しかし、それは危険な可能性もあるぞ。」
「分かってる。でも、もう俺たちは立ち止まっていられない。桜や御凪さん、そして他の被害者たちのためにも、この『影』の正体を突き止める必要がある!」