秘密基地
恋ヶ崎緑地での神楽との一件以来、結城の心には、あの「影の画像」がずっと引っかかっていた。不気味さというよりも、なんとも言えない違和感が、日常の風景の裏に張り付いているような気がしてならなかった。
「マスター! そのアルゴリズムでは、到底目標達成には至りません!」
「ああもう、分かってるって、りんたん! でも、このアプローチも検証しなければ気が済まないんだよ、僕としてはね!」
校門をくぐった結城の耳に、聞き覚えのある騒がしい声が届いた。見れば、呉羽がスマホを弄りながら、何やらブツブツと呟いている。その隣には、ホログラムのAI「凛」が、文句を言うように腕を組んで浮遊していた。いつもの調子だ。
「呉羽、お前ら朝から何やってんだ?」
結城が声をかけると、呉羽はパッと顔を上げた。
「おお、結城か! ちょうどいいところに来たね。少し、僕の研究について見識を深めていかないか?」
半ば強引に呉羽は興奮気味にスマホの画面を指差す。
「見てくれ! これは僕が開発中の次世代型AI、その名も『リンタナティクス・ゼロ』! 目標は、人類のあらゆる未解明な事象を論理的に解き明かすことだ!」
結城は、『リンタナティクス・ゼロ』という耳馴染みのない単語が気になった。
「なあ、その『リンタナティクス』ってどういう意味なんだよ? やけに大層な名前だが…」
結城の質問に、呉羽は得意げに胸を張った。
「よくぞ聞いてくれたね、結城! その『リンタナティクス』とは……僕の相棒である『りんたん』と、分析や解析を意味する『アナリティクス』を組み合わせた、僕のオリジナル造語さ! どうだい、このセンス!」
ドヤ顔で言い放つ呉羽に、結城は引いて固まった。
すると、りんたんが可愛らしい声で「マスターはいつもそうなんですぅ!」と同意した。
その後も呉羽は、自分の研究について熱っぽく語り続けた。結城は専門用語の羅列に戸惑いつつも、彼の純粋な情熱と、AIらしからぬ表情豊かな凛の存在に、どこか引き込まれていった。
話が一段落したところで、結城はふと、例の「影の画像」について尋ねてみた。
「なあ呉羽、お前に聞きたいことがあるんだけどさ。最近、スマホで変な画像が出回ってるって知ってるか? なんか、影みたいなのが映ってるやつ」
呉羽の表情が一変する。彼は説明を始める前に、トレードマークのメガネをクイッと指で押し上げた。
「ああ、あの画像かい? もちろん把握しているよ。僕もデータを入手して、早速解析に着手したところだ」
呉羽はそう言うと、手元のタブレットを操作し、結城が見たものと同じ、しかし詳細に分析された画像をいくつか表示した。
「結論から言うとね、あの画像に合成や加工の痕跡は一切見当たらない。つまり、写っているものが物理的な法則からすれば、そこに存在し得ないはずの場所で撮られている、という事実が導き出されるんだよ」
結城は息を飲んだ。
「え、じゃあ、これって……」
「その通り。これは単なるイタズラや、レンズフレアのような光学現象では説明がつかない。僕とりんたんの解析によると、写っている『影』は、既知のあらゆる物質の組成パターンに当てはまらない、未知のエネルギー体に近い反応を示している。これは、僕の知的好奇心を大いに刺激する謎だね!」
呉羽は目を輝かせながら語った。神楽が言葉を濁したのとは対照的に、呉羽は科学的な視点から、その「影」の異常性を具体的に指摘したのだ。その言葉は、結城の漠然とした不安に、具体的な輪郭を与えた。
「それに、これらの画像が特定の場所、特にアクプラや恋ヶ崎緑地の周辺で集中的に確認されていることも、非常に興味深いデータだよ」
呉羽はそう付け加えると、ニヤリと笑った。
「もし、結城がさらに深掘りしたいなら、僕の『秘密基地』に来たまえ。そこには、この謎を解き明かすための、とっておきの情報があるからね」
結城は呉羽の言葉に、好奇心と、かすかな戦慄を覚えた。彼の知識と技術が、この不可解な現象にどう関わってくるのか、想像もつかなかった。
放課後、結城は呉羽の案内で彼の「秘密基地」へと向かった。それは、彼の実家である寺の境内にひっそりと建つ、古い蔵だった。中は驚くほど広く、最新のサーバーラックやモニター、奇妙な形をした自作の機械が所狭しと並べられ、無数のケーブルが床を這っていた。そして、その間には新旧問わずの様々なゲーム機、ボードゲームの箱、アイドル関連のグッズなどが雑多に積み上げられ、一目で呉羽の“ヲタク”的趣味が凝縮された空間だとわかる。中央には、煌々と光る大型モニターがあり、その上には凛のホログラムが常時浮かんでいる。まるでSF映画のセットのようだ。
「どうだい? 僕のプライベートラボは!」
誇らしげに胸を張る呉羽の横で、結城は言葉を失った。この基地で、呉羽はどんな「謎」を追いかけているのだろうか。そして、あの「影」の正体に、彼はどこまで迫っているのだろうか。