表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
港町異聞録 ―幼馴染と怪異に振り回される日々―  作者: あったくん
第三章 『繰り返される日々』
53/64

協力者

 時任黎明は、薄暗い地下室の冷たいコンクリートの床に、身体を預けるように座っていた。部屋の中は、湿った土と、古びた電子部品の油っぽい匂いが混ざり合い、重苦しい空気が澱んでいる。壁に張り巡らされた配線は、あり合わせのものを無理やり繋ぎ合わせたためか、無秩序な血管のように見えた。その配線の先、地下室の隅で、彼が再構築した小型の試験機が、耳障りな高周波の唸りを上げていた。


 その試験機の筐体は、傷だらけのアルミ板と、ジャンクショップで拾い集めた光沢のない黒いパーツで構成されている。見る者が見れば、それが世界を変えるための試作品だとは信じられないだろう。しかし、筐体の継ぎ目から漏れ出る淡い青色の光は、まるで深海の底に佇む宝石のように、時任の疲労でやつれた顔を照らし出していた。彼の目蓋は重く、頬はげっそりと痩せこけているが、その双眸には、もはや過去の悲劇への絶望の色はなかった。あったのは、冷徹なまでの、新しい世界への確信だけだ。


 彼は、試験機に向かって、静かに語りかけた。それは、誰に聞かせるでもない、彼の内奥からの声だった。


「お前は、この世界の『不理想』を映し出す鏡だ」


 彼の脳裏に流れ込んでくる「残滓」の映像は、依然として止まらない。崩壊するビル群、濁流にのまれる人々の小さな手、そして、火と煙の中で繰り広げられる、顔のない兵士たちの断末魔の叫び。それらは、数秒間の短い断片でありながら、彼の意識を常に、未来の悲劇へと引きずり込んだ。


 かつて、彼はこの現象を、自らの理論が引き起こした「ノイズ」、つまり完璧な法則性から外れた無秩序なエラーだと認識し、深い自己嫌悪に陥った。なぜ、人類に真の幸福をもたらすはずだった自分の理論が、これほどの無秩序な悲劇を生んだのか。彼は、その答えを求めるあまり、食事も睡眠も削り、この地下室で孤独な作業を続けた。手のひらには、乾いた万年筆の痕が深く食い込んでいる。


 彼はディスプレイに、かつて研究所で計測されたデータを展開させた。御厨隆が命を賭して警告した、「磁場の歪み」に関するデータだ。あの時、御厨はこの歪みを『暴走』と呼び、時任の完璧な理論を否定した。


 しかし、時任は今、その歪みを、自分の手で再シミュレーションし、新たな解釈を加える。不安定な量子フィールドが特定の高周波を媒介として、時空に干渉し、異なる時間位相の情報を引き寄せている。それが「残滓」の正体だ。


 御厨はそれを「破滅」と呼んだが、時任の凍りついた理性は、この現象の真の価値を見出した。


「御厨さん。あなたは、この真理に辿り着けなかった。惜しい、実に惜しい」


 時任は、瓦礫の中から拾い集めた、ひび割れた万年筆を指で撫でた。その冷たい感触が、彼の心臓の熱を奪い、冷静な思考へと導く。


 この「残滓」は、ノイズではない。それは、未来が過去へ、あるいは過去が未来へ送る、明確なメッセージ。つまり、人類が避けられなかった、あるいはこれから避けられなくなるであろう、悲劇の予告だ。


 人は、未来が不確定であるからこそ、常に不安に苛まれ、絶望する。いつ、自分の街が津波にのまれるのか。いつ、愛する者が戦争に巻き込まれるのか。この『不確定性』こそが、人類の精神を苛む真の『ノイズ』ではないのか?


 彼の思想は、個人的な失敗への絶望から、人類全体を救済するという、極めて独善的な方向へとねじ曲がっていた。彼は、悲劇を回避するのではなく、悲劇を予め知ることで、人類に『覚悟』を与えるという結論に辿り着いた。


「すべてを予め知覚し、起こりうる悲劇や幸福に、目を逸らさずに向き合える世界」


 それは、時任にとっての真の『平穏』だった。未来のすべてを知り、それに覚悟を持てるのなら、人はもう、突発的な『不条理な絶望』に打ちひしがれることはない。


 彼は、古いデスクトップのモニターに、かつての教え子のデータを呼び出した。


 彼の名は、葉月 拓海。


 葉月は、時任が教鞭を執っていた大学で、最も時任の量子理論を熱心に学び、そして、最も心酔していた学生だった。彼は、時任の完璧な理論を、科学ではなく、宗教的な信仰の対象として捉えていた節がある。その危ういまでの信仰心が、今の時任には必要だった。


 時任は、細い指先で、葉月の経歴を追った。卒業後、大手企業の研究所に入ったが、彼の才能は既存の研究体制に馴染めず、くすぶっている。完璧な理論に心酔していた彼は、実社会の「不完全さ」に、深く失望しているだろう。


 時任の唇が、薄く弧を描いた。彼の声には、乾いた熱がこもっていた。


「葉月。君は、真の理論の力を理解できる数少ない人間だ。この世界は、まだ君の才能を受け入れる準備ができていない。だが、私ならば、君の才能を、理想の世界を創るために最大限に活用できる」


 彼は、政府の監視下にあるため、大規模な資材の調達や、大掛かりな実験を行うことは不可能だ。しかし、葉月という「協力者」を得られれば、その障害は乗り越えられる。葉月は、技術力だけでなく、時任の思想を信じ、その狂気を実行に移すだけの純粋さと、狂気を許容するだけの渇望を持っている。


 時任は、万年筆を握りしめ、地下室の冷たい空気の中で、葉月への接触方法を記した。言葉の選び方、理論の提示の仕方、そして、彼を「理想の世界線」という大義へ引き込むための、完璧な手順。すべてが、緻密に計算されていた。彼の計画は、もはや過去の失敗への復讐ではなく、自らの歪んだ信念を証明するための、壮大な『再構築』計画へと昇華していた。


「完璧な理論は、必ず証明される。そのためなら、どのような犠牲も、些細な『ノイズ』に過ぎない」


 時任の瞳は、目の前の試験機の青い光を映し、一層、冷たく輝いていた。彼は、人類を悲劇から救うという名の下に、自らのエゴを絶対的な真理として掲げた。彼は、孤独な旅を終え、共犯者を得る確固たる第一歩を踏み出したのだ。その足取りは、過去の瓦礫に引きずられることはなく、ただ未来の『覚悟』へと向かう、狂気の計算によって導かれていた。


 地下室の隅で、試験機の高周波の唸りが、彼の歪んだ信念の鼓動のように、低く響き続けていた。彼は、ノートに書き記された数式と、葉月のデータを見比べながら、静かに、満足そうに微笑んだ。それは、世界を救う『神』の笑みであると同時に、救済者であることを自らに言い聞かせる『狂人』の笑みでもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ