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港町異聞録 ―幼馴染と怪異に振り回される日々―  作者: あったくん
第三章 『繰り返される日々』
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時任 黎明

 それは、悪夢のような日々だった。


 時任黎明は、崩壊した研究所の瓦礫の中から救出されたが、彼の精神は、あの日の出来事を境に、完全に蝕まれてしまった。


 彼は、病院の白いベッドに横たわりながら、絶えず幻影に苛まれていた。それは、彼の目に映る歪みの渦が、彼の脳に焼き付けた「記憶の残滓」だった。


 目を閉じれば、燃え盛る家屋から逃げ惑う人々の姿が見える。耳を塞げば、津波にのまれる街の悲鳴が聞こえる。それは、現実には起こっていない、あるいはまだ起こっていない、未来の悲劇の断片だった。彼の完璧な計算は、この現象を「ノイズ」と切り捨てた。だが、今、その「ノイズ」が彼の現実を塗りつぶし、彼の精神を拷問している。


「…なぜだ…」


 彼は、何度も、何度もその言葉を呟いた。なぜ、自分の完璧な理論が、このような悲劇を生んだのか。なぜ、自分だけが、この悪夢に苛まれなければならないのか。


 彼の完璧主義は、自分自身を深く傷つけた。失敗を許容できない彼は、その失敗がもたらした悲劇を、自分の脳裏から消し去ることができなかった。


 事故から数週間が経ち、時任は退院した。研究所の事故は、政府によって徹底的な情報統制が敷かれた。報道は「大規模なガス爆発事故」として処理され、時任は、その事故の「唯一の生存者」として、厳重な監視下に置かれた。


 彼は、見舞いに来る政府関係者や元同僚の言葉に、何も感じなかった。彼らが口にする「気の毒に」「ゆっくり休んでくれ」といった言葉は、時任には偽善にしか聞こえなかった。彼らは、あの日の真実を知らない。彼らが信じている「ガス爆発」という虚偽の情報が、時任の心をさらに深く抉った。


 彼の脳裏には、瓦礫の下で息絶えているであろう、御厨や他の同僚たちの姿が常にあった。彼らの最後の絶望的な叫び、そして、それらすべてを予測できなかった自分自身の無力さが、時任を苛み続けた。


 ある夜、彼は自室で、拾い上げた万年筆を握りしめていた。ペン先はひび割れ、インクは乾ききっている。だが、彼はその万年筆を、まるで失われた信念を繋ぎ止めるかのように、強く握りしめた。


 その時、彼の脳裏に、再び「残滓」が流れ込んできた。それは、ある小さな漁村が、巨大な津波にのまれる光景だった。人々は、突然の出来事に混乱し、ただ為す術もなく死んでいく。その悲劇の映像の中で、一人の少女が、叫び声を上げながら流されていくのが見えた。


 その瞬間、時任の心が、完全に変容した。


 彼は、今まで感じていた絶望とは異なる、冷たく、そして確固たる感情に支配された。


「違う…」


 彼の口から、掠れた声が漏れた。


「これは、悲劇ではない…」


 彼の瞳に、狂気じみた光が宿った。


「これは、不条理だ…」


 彼は、津波にのまれる少女の姿を、まるで何かを理解したかのように見つめていた。


「人々は、この悲劇を知らないから、絶望するのだ…」


 彼は、万年筆を強く握りしめた。乾いたペン先が、彼の掌に深く食い込む。


「もし…もしも、この悲劇を予め知っていたとしたら、人々はこれほどまでに絶望しなかったかもしれない…」


 彼の頭の中に、一つの「理論」が構築されていく。それは、かつて彼が追求した、完璧で美しい理論とは似ても似つかない、歪んだ、しかし彼にとっては唯一の希望となる理論だった。


「人類は、不確かな未来に翻弄され、不条理な悲劇に苦しむ…」


 彼は、静かに立ち上がった。窓の外には、穏やかな夜の街並みが広がっている。だが、時任の目に、その街は、いつか訪れるであろう悲劇によって、無残に崩壊していく未来の幻影をまとっていた。


「ならば、私が…」


 彼の瞳は、もはや恐怖も絶望も映していなかった。そこにあるのは、人類を「救う」という、歪んだ使命感だけだった。


「私が、人類に『覚悟』を与えなければならない…」


 彼は、自らが作り出してしまった「時間位相の歪み」を、もはや「失敗」とは捉えていなかった。それは、人類が未来の悲劇を知り、それに備えるための、唯一の**「みち」**だった。


 時任は、瓦礫の中から持ち帰った、自身の研究データが詰まったメモリーチップを、静かに見つめていた。その小さなチップの中に、彼が信じたすべてと、彼がこれから創り出す、歪んだ「理想の世界」の設計図が詰まっていた。


 彼は、そのチップを握りしめ、静かに呟いた。


「さあ…『再構築』を始めよう…」

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