恋ヶ崎緑地
高校生活にもすっかり慣れた結城は、桜とアクプラに行った日のあの不鮮明な「影の画像」をすっかり忘れていた。
ある日の放課後、教室を出ると、神楽が廊下を歩いてくるのが見えた。
「神楽〜!」結城が呼びかけると、神楽ははにかむように微笑んだ。
「これから部活?」
「……ん。もう終わり。これから恋ヶ崎緑地へ行く」
神楽の言葉に、結城は少し驚いた。恋ヶ崎緑地は、地元ではちょっとしたデートスポットとしても知られている場所だ。まだ行ったことはなかった。その名を聞いて、桜が見せた「影の画像」の噂が、アクプラ周辺だけでなくこの場所でも話題になっていることを思い出した。
「へえ、緑地か。何しに行くんだ?」
「……ただ、静かに過ごす。草花を眺めたり、海を見たり……」
神楽の声は小さかったが、その瞳には澄んだ光があった。彼女のそんな一面に興味を覚えた結城は、ふと口にした。
「もしよかったら、俺も行ってもいいか? 実はまだ行ったこと無いんだ。」
神楽は一瞬、戸惑ったような表情を見せたが、すぐに小さく頷いた。
「……ん。別に構わない」
学校から恋ヶ崎緑地までは、歩いて十分ほどの距離だった。港の景色が広がる海沿いに位置し、潮風が心地よい。緑地に入ると、手入れの行き届いた芝生が広がり、その先には青い海が見えた。公園内には木製のボードウォークが整備されており、海に向かって伸びる遊歩道を歩くと、レトロな赤レンガ倉庫や、かつての駅舎を思わせる資料館、そして古い神社が遠くに見えた。港町のロマンチックな雰囲気が凝縮されたような場所だが、どこか静かで、少しだけ神秘的な空気が漂っていた。
二人はボードウォークをゆっくりと歩き始めた。沈黙が続く。どう話題を切り出すか悩んで、ふと神楽をみると、彼女はただ静かに景色を眺めていた。その穏やかな横顔を見ていると、心も自然と落ち着いてくる。
「ここ、昔からあったんだな」結城が先に口を開いた。「なんか、空気が違うっていうか…落ち着くんだな」
「……ん。ここは、昔から多くの人々の想いが集まる場所。風も、海の音も、全てがここに溶け込んでいるよう……」
神楽は静かにそう答えた。彼女の言葉は、まるで周囲の自然に溶け込むようで、結城は彼女の持つ繊細な感性を垣間見た気がした。神楽は道の脇に咲く小さな草花にそっと目を向けたり、遠くの波打ち際をじっと見つめたりと、一つ一つの風景を慈しむように観察していた。
しばらく歩き、海が見渡せるデッキにたどり着いた。そこで立ち止まり、自分でもなぜそうしたのか分からないが、桜が見せたあの画像について尋ねた。
「なあ神楽。最近、スマホで変な画像が出回ってるって知ってるか? なんか、影みたいなのが映ってるやつなんだけど…」
神楽は一瞬、目を伏せた。その表情に、ほんのわずかな変化があったように見えた。
「……少し、耳にした」
彼女はそれ以上は何も言わず、ただ静かに海を見つめていた。何かを期待したが、神楽は多くを語ろうとしない。ただ、その短い沈黙と、どこか深い意味を含んだような視線が、その噂が単なるイタズラではないこと、そして神楽が何らかの事情を知っているように思えて、それ以上深く詮索するのをやめた。
二人はその後も緑地を散策し、静かな時間を共有した。夕暮れが迫り、空が茜色に染まる。
「今日はありがとう、神楽。ここ、いい場所だな」
「……ん。また、ね。」
神楽の小さな背中を見送り、結城は一人、夕焼けに染まる恋ヶ崎緑地を見つめた。神楽との交流を通して、彼女の内気ながらも芯のある、そしてどこか神秘的な一面に触れることができた。同時に、あの「影の画像」と、神楽のわずかな反応が、彼の心に引っかかりを残した。