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港町異聞録 ―幼馴染と怪異に振り回される日々―  作者: あったくん
第三章 『繰り返される日々』
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旧試験型動力炉研究所 II

 旧試験型動力炉研究所の無機質な廊下を、時任黎明は一人、静かに歩いていた。彼の足音は床に吸い込まれるように小さく、その静寂は、まるで嵐の前の凪のようだった。明日、この研究所の運命、ひいては人類の未来を左右する最終実証実験が行われる。しかし、時任の表情に焦りは見られない。ただ、ガラス張りの窓の向こうで淡い光を放つ量子コアを、満足げに見つめていた。


 彼は、自身の研究がどれほどの偉業であるかを誰よりも深く理解していた。空間の揺らぎからエネルギーを取り出すという、常識を遥かに超えた理論。多くの天才たちが夢見ては挫折した領域に、彼はたった一人で辿り着いたのだ。彼の脳裏には、明日には証明されるはずの理論の美しさが、完璧なパズルのように描かれていた。


 廊下の角から、御厨隆が声をかけた。その声には、時任を気遣う優しさとともに、拭いきれない不安が滲み出ていた。


「先生、もうお休みになっては?」


 時任は振り返ることなく、静かに問い返した。


「御厨さん。あなたは、この研究所で最も優秀な科学者の一人です。しかし、なぜあなたは私の理論を信じられないのですか?」


「信じられないのではありません。ただ、その速さが恐ろしいのです。前回、小型実験で発生した『磁場の歪み』について、再シミュレーションを重ねましたが、やはりその挙動は、私たちの予測をはるかに超えている。計算上では、わずかなパラメータの変動で暴走し、局所的な重力変化や時間の乱れを引き起こす可能性が否定できません。このまま最終実証実験に臨むのは危険すぎる」


 御厨の言葉は、まるで何かが起こることを予言しているかのようだった。しかし、時任は首を横に振る。


「私の計算は完璧です。それに、御厨さんが危惧している現象は、すべて私の理論が予測した範囲内のものです。それは問題ではなく、新しいエネルギーが持つ特性なのです。それに、磁場の歪みは、量子フィールドが周囲の空間に与える、単なる些細な『ノイズ』に過ぎません。人類に真の幸福をもたらすためには、些細なノイズに囚われていてはいけない」


 時任の言葉には、御厨の不安をねじ伏せるような強い意志が宿っていた。彼の揺るぎない信念は、もはや科学者の探求心を超え、一種の宗教的信念に近いものになっていた。彼は、自らの理論が人類を救う唯一の道だと信じて疑わなかった。


 御厨は、時任の背中を、悲しげな瞳で見つめていた。御厨は、時任が天才であることは疑いようがなかった。だが、彼の完璧すぎる理論は、不確定な要素をすべて「ノイズ」として切り捨てる危うさを孕んでいた。それは、彼が人間的な感情や他者の意見をも「ノイズ」として排除する、孤独で傲慢な存在になりつつあることを意味していた。


 御厨は最後の手段として、時任に懇願するように声をかけた。


「時任くん…。君が完璧な天才であることは、誰もが認めている。だが、科学は完璧ではない。我々の知らない未知の要素が、必ず存在する。明日、この実験を強行すれば、取り返しのつかない事態になるかもしれない。もう一度、再検証する時間を与えてくれないか?」


 その言葉は、御厨の心の底からの叫びだった。彼は、時任の才能が、同時に破滅をもたらす危険な刃であることを直感していた。しかし、時任は眉一つ動かさなかった。


「御厨さん。あなたは、いつからそんなに臆病になったのですか?」


 時任のその言葉は、御厨の心を深く抉った。御厨は、自分が信じる科学者の道と、時任が突き進む道との間に、決定的な亀裂が生じたことを悟った。時任はすでに、彼にとっての「ノイズ」である御厨の言葉に耳を傾けることはなかった。


「…私の信念は、明日証明されます」


 そう言い残し、時任は一人、廊下の奥へと消えていった。


 御厨は、その場に立ち尽くした。背後では、量子コアが微かな共鳴音を響かせている。透明なコアの内部で、淡い青い光が脈打つように輝き始めている。それは、人類に新たな未来をもたらす光か。それとも、すべてを破壊する破滅の光か。その問いに、もはや答える者は誰もいなかった。


 御厨は、明日、この街に何が起こるか、漠然とした予感を抱きながら、ただ静かに夜が明けるのを待つしかなかった。

お付き合いいただきありがとうございました!


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次回もまた、港町でお会いしましょう。

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