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港町異聞録 ―幼馴染と怪異に振り回される日々―  作者: あったくん
第三章 『繰り返される日々』
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約束

 結城が能力を解放した後、空間を満たしていた歪みは、音もなく、静かに融解していった。まるで水に溶けた絵の具のように、歪んだ風景は現実に吸い込まれ、元の姿を取り戻していく。


 セミの大合唱が再び降り注ぎ、夏の強い日差しがアスファルトを照りつけた。街には、先ほどまで薄れていた人々の喧騒と活気に満ちた匂いが戻ってきた。それは、紛れもない、いつもの夏休みの一日だった。


 だが、その場にいた結城たちは、その日常に溶け込めずにいた。

 目の前で起きたあまりにも非現実的な出来事を、現実との乖離を埋めるように必死で理解しようとしていた。

 若葉という少女の言葉、彼女の悲しみに満ちた瞳、そして結城の能力によって一瞬だけ垣間見えた、歪みのない真の日常。その全てが、彼らの心を激しく揺さぶっていた。


「…若葉さんは…?」


 最初に口を開いたのは、桜だった。彼女の声は小さく震え、不安を隠せない。その問いかけに、誰も言葉を返せない。


 結城は、彼女が自分たちの目の前から消えた場所をじっと見つめていた。そこにはもう、彼女の姿はない。まるで最初から存在しなかったかのように、ただの路地裏が広がっているだけだ。物理的な存在ではなく、時間位相の歪みに囚われた存在。だから、歪みの融解とともに、彼女もまた元の場所に戻っていったのだろう。結城は、その考えに至り、胸の奥がきりりと締め付けられるのを感じた。


「呉羽!何か分かったのか?」


 結城は、タブレットを操作している呉羽に声をかけた。呉羽の顔は、いつもの冷静な表情を失い、興奮と驚き、そして戸惑いが複雑に混じり合っていた。


「ああ、とんでもないことだ、結城。凛が若葉さんのデータを解析してくれたんだが……」


 呉羽は珍しく言葉を選び、唾を飲み込んだ。


「彼女は、あくまでも歪みの『一部』に過ぎなかった。つまり、君が今回融解させたのは、この街に複数存在する特異地点の一つ。そして、これこそが最も恐ろしいことなんだが……」


 呉羽は、結城たち一人ひとりの顔をじっと見つめた。


「このまま放置すれば、それぞれの歪みが互いに引き合い、いずれは大規模な時間位相の歪みが世界規模で発生する危険性があると推測できる。」


 その言葉は、彼らの耳に信じがたい警告として響いた。


 呉羽の言葉に、神楽が静かに反応した。彼女の瞳は、歪みの奥に閉じ込められた過去の悲劇を視るたびに苦痛に歪んでいた。


「若葉さんが、言っていた…、私たちなら、助けてくれるって…」


 彼女は震える声でつぶやいた。この状況を、神楽は誰よりも深く理解していた。自身の能力【残影観測】が、悲惨な事故の記憶の断片を視るたびに、彼女の精神を蝕んできたのだ。


 結城は、自分の手のひらをじっと見つめる。


 一度は若葉を救えたという達成感と、自分の力が、本当に正しい使い方をされているのかという戸惑いが、彼の心を激しく揺り動かした。若葉の悲しい瞳と、彼女が託した願いが、その戸惑いをかき消していく。


 その時、桜が結城に優しく語りかけた。その声は、夏の騒がしい喧騒の中でも、彼の心にまっすぐ届いた。


「結城くん…、理屈なんて、後から考えればいいんだよ。あの時、若葉さんを助けたいって、そう思ったんでしょ?その想いこそが、結城くんの力なんだよ。」


 桜の言葉は、結城の心を温かく包み込んだ。それは、過去に彼がアビスの教主と対峙した際、桜を守りたいと願った時の力の感覚と重なるものだった。


「…そうだな」


 結城は、迷いを振り払うように顔を上げた。彼には、若葉という、もう一人守るべき存在ができた。

 自分の力に戸惑いながらも、若葉や事故に巻き込まれた人々を解放し、この街の歪みを完全に終わらせることを決意する。

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