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回帰

 再びアーク・プラザへと足を踏み入れた結城の胸に、数週間前の記憶が蘇った。目の前で『影』に襲われ、意識不明のまま動けなくなった桜の姿が、彼の脳裏に焼き付いている。その出来事が、彼にこの街で戦うことを決意させた、直接的な理由だった。


「…また、ここに」


 結城の唇から漏れた呟きに、神楽と呉羽は無言で頷いた。三人にとって、ここはただの広場ではない。呉羽は手に持ったタブレットに視線を落とし、警戒を怠らない。神楽もまた、周囲の空気に張り詰めたものを感じ取っていた。


 彼らが広場の中央へと進むにつれて、周囲の異変はさらに顕著になった。人々はショッピングバッグを手に、虚ろな表情でただひたすらに歩いている。ベンチに腰掛けている者たちも、その瞳に光はなく、まるで魂が抜かれた人形のようだ。


「おかしいな。これまでの『影』が起こした現象とは、明らかに様子が違う。波動の数値も、桁違いだ…」


 呉羽がタブレットの画面を凝視しながら呟いた。そのとき、タブレットの画面の隅に、凛のホログラムが現れ、不安そうな声で話しかけてきた。


「マスター。アーク・プラザから観測される波動の急上昇、過去のどのデータとも一致しませんですぅ。これは…未知の現象ですぅ」


 凛の声には、いつもの快活さがなく、不安がにじみ出ていた。


 その時、神楽が突然立ち止まり、顔を歪めた。彼女の能力である「残滓観測」が、広場全体から発せられる膨大な「負の感情」の奔流を捉えていた。苦しみ、後悔、絶望、怒り……。人々の心に渦巻く黒い感情の奔流が、彼女の意識を侵食しようとする。神楽は息をのむと、両手で頭を押さえ、その場に膝をついた。


「神楽!」


 結城が駆け寄ろうとしたその瞬間、彼の頭の中に、直接、あの声が響いた。それは、海の底から響いてくるような、重く、深く、そして異質な声。教主の声だった。


『悲劇から目を背けているのか? お前が一番よく知っているはずだ。この街に満ちた、淀んだ感情の濁流を。大切な者を目の前で失いかけた、あの日の絶望を』


 教主の声は、結城の脳内に直接語りかけ、彼の心の最も深い場所に隠された痛みを言葉に変えていく。桜が倒れた日の、あの時の絶望。助けられなかった自分への苛立ち。教主の声は、結城の脳内で当時の光景を鮮明に再現し、再び無力感を植え付けようとした。


『お前は、大切な者を救えなかった。その無力感に、溺れ続けるがいい。お前たち人類は、過ちを繰り返すだけの、取るに足らない存在なのだ』


 結城は周囲を見回したが、教主の姿はどこにもない。しかし、その声は確かに、結城の脳内から直接響いてくるようだった。教主の声に呼応するように、広場の人々の虚ろな瞳が、一斉に結城へと向けられる。その眼差しは、彼らが抱える憎しみや絶望を、結城個人に向けられているかのように感じさせた。


「お前は…何がしたいんだ!?」


 結城の問いに、教主の声は涼やかに応えた。


『私は、この街を、古き調和へと導く者。この街は、すでに『母なる海』の波に飲まれつつある。ワタツミの力が解放されれば、人類は文明という虚構を捨て、あるべき「根源」へと回帰するのだ』


 教主の声が響き渡ると同時に、呉羽のタブレットの数値がさらに跳ね上がった。


「馬鹿な…まさか、あの儀式は、ワタツミの力を完全に解放するための、ただのスイッチだったとでも言うのか…!?」


 呉羽が愕然と呟く中、広場の異変は加速した。教主の声に操られた人々は、まるで操り人形のように一斉に立ち上がり、アーク・プラザの中心へと向かって歩き始めた。彼らの足取りは、まるで深い海の底をさまようようだ。


 アーク・プラザの中心部から、巨大な水の塊が天へと昇り始めた。それは、海母神であるワタツミの力を具現化したものだった。水の塊はまるで生きているかのように蠢き、やがて巨大なうねりとなって、夜空を覆い尽くしていく。


 結城たちの眼前に現れたのは、これまでの『影』とは比較にならない、圧倒的な存在感を放つ脅威だった。空に浮かぶ水のうねりは、まるで一つの巨大な眼のように、街全体を見下ろしているようだった。

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