押し入れの鈴音 -夜の異変ー
高校を卒業し、憧れの東京で新生活が始まった。僕は会社の借り上げ寮で暮らすことになった。部屋は3DK、先輩の高橋さんと同期の佐藤、そして僕の3人での共同生活だ。
じゃんけんで勝った僕は、4畳半の洋室を選んだ。隣の6畳の和室は襖で仕切られているだけだから、先輩の高橋さんの隣は避けたかった。そんなささやかな気遣いが、のちに思わぬ方向へと僕を導くことになろうとは、その時は知らなかった。
部屋は古く、壁にはところどころシミがあり、天井も少し剥がれている。昼間は気にならなかったが、夜になるとそのシミが何かを形作っているように見え、まるで部屋全体が薄く息をしているかのような、不思議な空気を漂わせていた。
初日、先輩がふとつぶやいた。
「ここ、なんかいるからな」
軽い冗談かと思ったが、その声にはどこか真剣な響きがあった。僕たちは笑い飛ばしたけれど、何か引っかかるものがあった。
それから1年、特に目立った怪奇現象はなかった。が、夏のある夜、異変は静かに訪れた。
3人で夕食を囲んでいた時のことだ。僕がリクエストを聞いて作った、ナスの揚げ物と生姜焼きの香りが部屋いっぱいに広がっていた。
その時、ふと耳を澄ますと…
「チリーン」
かすかな鈴の音が、壁の奥の方から聞こえてきた。まるで風鈴が揺れるような、繊細で細い音色だ。
僕は一瞬、聞き間違いだと思った。けれど、その音は間違いなく存在した。音はかすかで、部屋のどこからともなく、壁の中から響いてくるようだった。
沈黙の中に静かに浮かび上がるその音は、不思議なことに決して不快ではなく、どこか心に引っかかるものがあった。
「聞こえた?」佐藤が不安そうに声をひそめた。
「いや、気のせいだよ」
僕はそう言ったものの、胸の奥がざわつき、冷たい汗が背中を流れていった。
しばらくして、また「チリーン」と音が鳴った。前よりもわずかに大きく、少し近づいたように感じられた。
その鈴音は、決して規則的なリズムではなく、不規則に、まるで誰かが壁の中でゆっくりと歩き回っているかのような音だった。
僕たちは口をつぐみ、ただその音に耳を澄ませた。鈴の音は夜の静寂に紛れ込んで、何度も何度も繰り返された。
やがて、僕らは不気味さを通り越して、どこか引き込まれるような、奇妙な感覚に包まれていた。
その夜、僕たちは互いに見つめ合いながら、3人で同じ部屋で眠ることにした。