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かき喰へば  作者: 合羽 洋式
第一章 火種
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第一章 九 審問の始まり





 種を植えてから3日が過ぎた。


 1日で発芽し浦須たちを驚かせた奇妙な種はその成長の速さを緩めることなく、むしろ日を追う事に成長速度を上げているように思う。

 黒い土の中から一寸程しか姿を見せていなかった小さな新芽は、次の日には浦須の腰辺りまで幹を伸ばし、そして今日、浦須の身長を優に越えて六尺程の高さにまで伸びている。


 「さすがに早すぎるよな、これ」


 まさか3日で自分の身長を越されるとは流石に予想していなかったが、成長著しいのは高さだけではない。

 これを目にした者のほとんどがこれを『木』、あるいは控えめに評して『若木』と見るくらいには、幹も太く、そこから伸びる枝には葉が茂っており、それが一定の歳月を以て伸長した樹木であることを疑わせない。


 「誰も信じないだろうな」


 たったの3日でここまで育ったと言って一体誰がそれを信じようか。


 そうして大きく育った柿の木の周り、日照りで乾いた茶色い土を水気のある黒い土に戻してやるようにたっぷりと水を掛けていたところに神妙な面持ちをした岩津がやって来た。


 「…………」


 硬い表情に真剣そうな目をした岩津を見るに、重大な何かが起きたのかもしれない。そしてそれは良い報せではなく、悪い報せのような気がするのだが、


 「...えっと、岩津、、さん?」


 悪い予感に落ち着かない心持ちの浦須は手に持ったままだった水の入った桶を慌てて足元に置いて話の先を促そうとした。


 「お兄様が来ます」


 「……え?」


 「ですから、お兄様が来るんです!」


 何事かと構えていた浦須だったが、内容の緊張感のなさに思わず呆気に取られて聞き返してしまった。そして聞き返した岩津から帰ってきた情報はやはり『兄が来る』という一点のみだった。


 『兄』というのは岩津の兄妹であり伊奈岐の長男でもある阿散多のことで、その阿散多がここ、農園を訪れるとそういうことなのだろう。


 「ふむふむ。……で、だから何なんだ??」


 簡単に状況を整理してみたのだが、いまいちピンとこない。阿散多が農園を訪れることが岩津にとって都合の悪いことだと言うのは「どうしましょう…」と頭を悩ませている岩津の様子からわかるのだが。


 「阿散多さんが来ると何がまずいの?」


 まだ浦須の知らない何かが岩津の懸念を生んでいるようなのでもう少し詳しい事情を聞くことにした。

 すると、岩津がハッとして「そうですよね、浦須さんはご存知ないですよね」と口元を手で隠して含羞んだ後、考え込むように頬に手を当てた。やがて「身内話でお恥ずかしいことですが」と苦笑を深めながら商会の内部事情を打ち明ける。


 「お兄様はこの農園の経営をあまり快く思っていないのです」


 「岩津のやり方に文句があるってこと?」


 「いえ。私の手腕については評価して頂いています。ですので私のやり方ではなく、農園を経営すること自体ーーーもっと言えば農園の存在そのものを疎ましく思っていらっしゃるようなのです」


 岩津の兄である阿散多は妹が経営するこの農園の存在自体が気に食わない。故にそんな兄をこの地に迎え入れれば、色々と文句を言われるのかもしれないし、もしかしたら農園の経営から手を引くように言われることもあるのかもしれない。


 「何がそんなに気に食わないんだろうな。それにそこまで兄の顔色を窺わないといけないの?」


 兄を立てることも大事だとは思うが、岩津は少しばかり実の兄に気を遣い過ぎではないだろうか。そう感じた浦須の苦言に、岩津は「真意の程は私にもわからないのですが」と前置きした上で、


 「お兄様は手堅い手を打たれる方なので実験的な要素の強いこの農園の経営をそれも当主の娘である私が担うことを良しとはしないでしょうし、次期当主のお立場なのでその発言の重さは現当主であるお母様に次ぐものと考えていいです」


 農園の経営も上手くいっている今の内は良いかもしれないが、失敗をすれば責任者である岩津に批判の矛先が向かうばかりでなく、当主として経営を一任した伊奈岐、ひいては伊奈岐商会の看板にも傷を付けることになる。それに加えて、当主である伊奈岐が自分の娘に農園の経営を任せているため、いざ批難の火勢が強くなった場合にトカゲの尻尾切りのようなことが難しいのも痛い点だ。


 「ーーー家族の縁は簡単に切れるものじゃない」


 胸中に苦々しいものを感じながらも浦須には自身の経験から得た確信があった。

 阿散多が浦須と同じような考えを持っているかどうかは阿散多のことをほとんど知らない浦須にはわからないが、普通の感覚の者であれば少なからず家族を追放することに抵抗を覚えるはずなので、敢えてそうなる可能性を高めるような選択は取らないと考えられる。

 次期当主という重い立場に立っているからこそ、足を踏み外せば真っ逆さまの岩壁をよじ登るのでは無く、時間を掛け着実に整えられた登山道を歩いて登るように、より安全に確実に商会を発展させなければならない。そうした責任感から阿散多が不確実性の高い試みを拒むのは浦須にも十二分に理解できる。


 「でもそれは当主の伊奈岐さんが許可してるわけだから別に問題ないような…?」


 「はい。もちろんお兄様のご意見を蔑ろにすることはできませんが、農園経営の撤退にはお母様の許可を覆さなければなりません」


 「今はまだそれをひっくり返す手がないってこと?」


 「断定はできませんが、恐らくは。何か隠していらっしゃったり、私には見えていない裏で動かれている可能性も全くないわけではないですが、そういった手をお兄様はあまり好まれませんので」


 岩津の手から農園の経営を取り上げようと思っても、他でもない当主の伊奈岐が農園の存続を望んでおり、岩津の経営手腕についても評価している。変えるならまずは伊奈岐の考えから変えなくてはいけないが、それをするための有効打を阿散多は持ち合わせていないようだ。


 「だったら、何も心配することはないんじゃないの?今まで通り農園は岩津が切り盛りして行けばいいんじゃ…?」


 「ええ。浦須さんの仰る通り、経営も上向いていますので、お兄様の想いだけでどうこうはできないと思います」


 杞憂ではないかとの浦須の問いに対して、岩津はそのままそうと肯定した。では岩津は一体何に思い煩わされているのか。困惑顔の浦須を見て、岩津が「すみません、話が遠回りになりましたね」と肩を竦めて、


 「今日、ここにお兄様が来られて商会の経営会議を行うのですが、」


 気まずそうに目を横に流しながら今日の予定を伝える岩津だが、やがて決心がついたのか、申し訳なさそうな顔ながらも浦須の目を真っ直ぐに捉え、


 「その会議に浦須さんを出席させるように言われたのです」




 「…………へ?」




 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 ーーー昼下がりのとある一室。農園の本邸に設えられた畳の和室は主として農園を訪れた賓客を饗したり、重要な会議を行う際に使用される。


 『重要な会議』とは何か。


 それは農園にとっての重大事、に留まらず、胴元である伊奈岐商会の行く末を左右するような事柄さえも扱い、評定を下す場だ。

 通常、そういった場に参加するのは、当主を始めとした重要な役職者や責任者、あるいは商会の外部であれば取引相手を含む利害関係者など一部の立場ある者達に限られるはずだ。


 「間違ってもつい先日入ったばかりの心得知らずが居ていい場所じゃない気がする」


 自分自身の場違いさ故の気後れ、緊張感が胸中に去来しているせいで、岩津に伝えられてから今まで浦須は溜息を漏らしてばかりいる。

 商会の経営会議に出席するよう命じられた浦須は、まず会議が行われる部屋のすぐ隣りの部屋に連れていかれ、お呼びが掛かるまで部屋の中で待つよう言われた。ばあやが淹れてくれた煎茶を一緒に啜りながら、お茶請けの饅頭を頂いて待つこと暫く、伊奈岐たちから浦須のことを呼びに行くよう言われたじいやに声を掛けられ、会議が行われている部屋の前に現在立たされている。


 「はぁ…」


 商会の経営会議は少し前から既に始まっており、浦須は途中からの参加だ。

 ただ、これについては商会の内部情報・重要機密など聞かせてはならないこと、聞かせてもしょうがないことがあるだろうから、当然の措置だと浦須も思う。ーーーそれならいっそ、


 「もうこのまま会議に出なくてもいいんじゃないかな、じいや?」


 「浦須殿。この老いぼれに何を言おうとも、どうにもならんことですのう」


 どうにか会議に出席しなくてもよいことにならないかと浦須は傍らに控えるじいやに同調を求めるが、逆にやんわりと窘められてしまった。彼もまた商会に仕える身なので上の者の指示には従わなければならない。それでも浦須に同情はしてくれているのか、じいやは「どうか気張ってくだされ」と浦須に向かって軽く頭を下げてみせた。


 「ーーー失礼します。浦須殿を連れてまいりました」


 じいやが部屋の中にいる伊奈岐たちに入室の許可を求めると、一拍置いてから「どうぞ」と返事があった。すると、返事を確認したじいやは驚くほど静かに、滑らかに襖を引いてみせた。


 思えば、こうして客人を主がいる部屋に案内する役割は、浦須が意竺の屋敷で務めていた時によくやっていた。音を立てず、滑らかに襖を引くのもこれが意外とコツがいるもので、慣れないうちはよく引っ掛けて音を立てていたものだ。じいやほど上手くできたことは終ぞなかったが、それでも何回かやっていくうちにコツを掴んで静かに引けるようになっていたのだ。客人ではなく、会議の出席者としてではあるが、こうして『引く』立場から一時的にでも『引かれる』立場になるというのは、何とも不思議な感覚を覚えるというか、


 「……あの、浦須さん?」


 「…………あ、すみません。失礼します」


 じいやの姿にかつての自分を重ねて感傷に浸ってしまったが、そんな場合ではなかった。

 部屋に入らず呆然と立ち尽くしているところを岩津に心配され、慌てて頭を下げながら入室した。

 部屋の中には4名が車座で腰を下ろしており、浦須は「こっちです」と手招きする岩津の左隣りに座った。


 「よっ」


 浦須が腰を落ち着けた左隣り、岩津と同じように自分の座る位置をずらして浦須が座る場所を空けてくれたのが、軽く手を挙げて挨拶する伊佐方だ。


 「伊佐方も来てたんだ」


 伊奈岐の次男であり、普段は店の方で働いている伊佐方も会議に参加していた。友誼を結んだ仲である伊佐方がこの場に居てくれるのは浦須にとってとても心強いことだ。緊張で張り詰めた糸が程よく弛みつつあるのを自分でも感じられる。


 「おう。会議なんて堅苦しいのは嫌だけど、母さんに出ろって言われてるからな。仕方なくさ」


 肩を竦めて不本意を表明する伊佐方に浦須は心の中だけで激しく同意した。仕方なくであり、嫌々なのは伊佐方も同じらしい。


 「いつまでも文句を言うんじゃないよ。お前さんは自分で思ってるより大事な立場があるんだから、もっと自覚を持ってもらわないとねぇ」


 「へいへい。母さんの仰せのままに」


 岩津の右隣に座る伊奈岐が伊佐方の態度に釘を刺すが、当の伊佐方は一応は応じつつも何処吹く風といった様子だ。伊奈岐もそこまで気にしているわけではないようで「まったく、しょうがないねぇ」と嘆息するに留めている。


 「浦須くんにも来てもらったことだし、会議を再開することにしようかねぇ」


 円を描く様に座る一同を見回して、伊奈岐は浦須の入室で一旦止めていた会議の再開を促す。と、そこで自分の右隣と浦須を交互に見た。


 「そう言えば、浦須くんと阿散多は顔は合わせたことがあっても、ほとんど話はしてないんだよねぇ?ちょっとばかり紹介しといた方がいいさねぇ、阿散多」


 「…………」


 伊奈岐から時計回りに、岩津、浦須、伊佐方の順に並び、最後の一人が先程から一言も発さず浦須を鋭い眼で見据える阿散多であった。


 「ーーー阿散多」


 浦須を睨んだまま何も語ろうとしない阿散多に伊奈岐は少し声を低くして再度呼び掛ける。すると、阿散多は伊奈岐の方を一度見て頷き、再び浦須の方に顔を向けた。


 「申し遅れた。俺は伊奈岐商会当主、伊奈岐が長男の阿散多という」


 体格に合った野太い声で阿散多は名乗った。


 「あ、浦須と申します。先日からこちらで奉公させていだいています。よろしくお願いします」


 「…………」


 相手が名乗った以上こちらも名乗らなければ失礼にあたると思って挨拶を返したが、特に反応がなく、ギョロっとした目が浦須を捉えたままである。


 ーーー何か間違えたのだろうか?


 それと気付かず阿散多に対して失礼な言動を取ってしまったのだろうか。仏頂面に沈黙を選ばれると、どうにも自分が疾しいことをして追及されているかのような錯覚に陥る。

 伊佐方の登場のお陰で弛んでいた緊張の糸は再び張りつめ、背中を嫌な汗が流れていく。


 「……あ、あの、」


 「浦須といったな」


 「あ、はい」


 沈黙に耐えかね何か話そうと口を開くが、折り合い悪く同時に阿散多が話し掛けてきた。慌てて返事を返すと阿散多は「ふぅ……」と深く息を吐きながら、目線を下に下げた。

 そして、再び鋭い目で浦須を見据えて問うた。


 「ーーーお前は一体何者だ?」


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