第一章 七 団欒
播種の立ち会いはあっという間に、そしてあっけなく終わった。
果樹が数本立ち並ぶ前列の左端、1本分空いた空間の真ん中に老人が掘って作った小さな穴があり、そこに種を置いて土を被せるだけの簡単な作業のため、作業としては1分掛かったか、掛からなかったかくらいだろう。その前後に種を植えることを了承しているか伊奈岐が浦須に最終確認したり、種を植えた場所に水をやってから豊穣を願う祈り文句を捧げたりして種植えは完了した。
「ところでさっきのあれ、なんですか?」
「ん?なんだい?」
先程の出来事を思い返していた浦須はその時から気になっていたことを伊奈岐に尋ねた。
「あの水撒いた後にお祈りしてたやつですよ。初めて聞いたけど、何か植物を植えたときはあれを言うんですか?」
言葉足らずな尋ね方をして伊奈岐に聞き返された浦須は言葉を補い改めて問う。すると伊奈岐は思い出すように顎に手を遣ってから「ああ、」と思い当たり、
「あれは願い柿の伝え話と一緒に伝わってるおまじないらしくてねぇ。あれを唱えると成長が早くなるってことらしいよ」
成長を早めるための『おまじない』と聞いて、浦須はそれを再び思い起こす。
『早く芽を出せ、かきの種。出さねばハサミでちょん切るぞ』
『おまじない』というより、有り体に言って種に対する『脅し』である。通常、植物の発芽には数日を要する筈なので種からしてみれば無理難題を要求され、その上で要求の達成が叶わない場合は貴様の命はないと宣告されているわけだ。もっとも、植物の種に意思などあるはずもないので何を言われたところで芽を出せるときに出すだけだろう。
「ハサミでちょん切るなんておっかないことだけど、早く育ってほしいのも本音だからねぇ。これを初めに言った人も実が成るのが待ち遠しくて仕方なかったんだろうねぇ」
伊奈岐もまた、芽が出ないからといって種をどうにかしようとは思っていない。それに伊奈岐のように待ち遠しく思う程ではないが、種の成長を楽しみにする気持ちくらいなら浦須にもある。伊奈岐がその『おまじない』を唱えたくなる気持ちも浦須には少しわかった。
「確か伝承だと種を植えてから翌日には芽が出てるってことなんですよね?」
「ああ。早速ではあるけど、明日どうなってるか楽しみだねぇ」
何よりこの柿の種は願い柿といって、普通の柿とは成長の早さも異なるというのだ。ならば1日で芽を出せというのも無理難題とは言えないのかもしれない。
「あら、お母様はもちろんですが、浦須さんも期待に胸を膨らませているご様子ですね」
「それを言うなら、岩津もそうだろ。伊奈岐さんと一緒に『おまじない』唱えてたぐらいなんだから」
成長を促すおまじないは伊奈岐だけでなく岩津も一緒になって唱えていた。「あら、これは一本取られてしまいましたね」と口元に手を当てて楚々と笑う岩津もまた、この種の成長を心待ちにする一人であるらしい。
と、そうして談笑をしたり、教えてもらった軽作業をしている内に日が西に傾いてすっかり茜空になっていた。
「もうじき日も暮れます。外での作業はこれくらいにして夕飯にしましょう。じいや、ばあや。お願いできますか?」
山間に沈んでいく太陽を一瞥した岩津は老人と老婆に夕飯の支度に取り掛かるよう指示した。
「おおぉ、わかりました。今日は奥様と、それに大事なお客人がお見えですからのう。腕によりを掛けてご用意させていただきます」
岩津から夕飯の支度を頼まれた老人は快く返事をして袖を捲った腕をぐるぐる回している。
しかし、浦須は雇われの身だ。明日からはもう農園の労働者として働くことになっている。それに今日も少しではあるが仕事を教えてもらっている。そんな立場の者が客人待遇というのは過ぎた話のように浦須は感じた。
「俺は明日からここで働かせてもらう身だし、せめて炊事の手伝いでもーー」
「これこれ。今日のうら坊はお客さんですじゃ。奥様やお嬢様と一緒に良い子で待つんじゃよ」
恐れ多さにいたたまれて手伝いを申し出るが、これは老婆にあっさりと断られた。
すると、手伝いを断られた浦須の傍ら、老婆の発言に伊奈岐と岩津が反応する。
「ばあや、ばあや。私は良い子なんて歳はとうの昔に過ぎてるよ。びっくりするじゃないかい」
「それを言うなら私もですよ。もう子ども扱いしないで下さい」
二人揃って不服を表明するが、当の老婆はそんな二人の反応を楽しそうに見て大きな笑い声を挙げる。
「かっかっか!この老いぼれからすれば奥様もお嬢様も子ども子ども!お嬢様に至ってはおしめが取れてから間もないですじゃ!」
「間もなくありません!いったい何年前の話をしてるんですか!?」
嗄れた声で大きく笑う老婆に岩津は頬を赤らめながら「う〜〜」と唸り、伊奈岐も「やれやれ」と手の平を返して嘆息している。この場にいる中で最も立場の高い二人をもってしても老婆には敵わないらしい。「ほっほっほ。ついこないだのことの様ですのう」と朗らかでありながらもしっかり悪ノリする辺り老人も同じような調子なのだろう。
年寄り、もとい人生経験豊富な先達の言うことには素直に従った方が良さそうだ。
「てなわけで、私たちと一緒に『良い子』で待っていようねぇ、浦須くん」
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伊奈岐や岩津と共に大人しく『良い子』で待っていた甲斐もあってか、老人と老婆によって振る舞われた夕餉の数々はどれもこれも浦須の舌を十二分に満足させるものばかりだった。
「言ったろう。じいやとばあやの作るおまんまはちょっとしたものだってねぇ」
夕餉が出来るまでの間、伊奈岐から老人と老婆の作る料理の自慢話を聞いて期待をしていたが、その期待通り浦須の箸は止まることなく進み続けた。
「そのおかげでこんなだけど」
そう自分で言いながら擦る浦須の下腹はぽっこりと出ており、何とも格好がつかない姿になってしまっている。いくら食べ盛りと言っても胃袋がいっぱいになるまで詰め込んでしまえばこうもなるだろう。
「本当に浦須くんの食いっぷりは大したものだよ。見ていて気持ちが良いくらいさねぇ」
「おおぉ、ほんにその通りですのう。なあ、ばあさんや?」
「かっかっか!沢山作った甲斐があったのですじゃ」
腕を組んで感心している伊奈岐に老人と老婆も顔を見合わせながら皺くちゃの笑顔で喜んでくれている。
空腹で死にかけてからというもの、食欲に歯止めがきかなくなっている気がする。伊奈岐には昼時も同じような光景を見られているので大層食い意地の張った男だと思われていそうだ。
もっとも、ご馳走を作ってくれた当人である老人や老婆が喜んでくれているのならば、そんなことは気にしなくてよいのかもしれない。
「私はそんなに食べる方ではないのでとても驚きましたよ」
一方で浦須のドカ食いを間近で見ていた岩津は食事の間、終始目を白黒させて驚いていた。いや、驚いていたという意味で言えば老人や老婆も同じだが、岩津はどちらかというと信じられないものを見ているような感じだった。
「そりゃあまあ、引くよな、普通」
岩津にみっともない姿を見られたことに恥ずかしさを覚える浦須は肩を落として自嘲した。
「あ、いえ。まあ、びっくりしてますよ。でも、その、………良いのではないでしょうか?」
「……うん。結構頑張って気を遣ってくれてることにありがたさと申し訳なさを感じるよ」
そんな浦須の自嘲に対して岩津は庇おうとしてくれたが、続く言葉の歯切れが悪いせいで落ちていた浦須の肩はもう一段下がることになった。
「そ、それよりも!浦須さん、お腹が膨れ過ぎて少々お苦しいご様子です。少し早いですが横になってはいかがですか?」
話題を変えるために声を大きくした岩津は、先程から下腹を擦りながら時折げっぷを漏らしている浦須へ床に就くよう提案した。
「ありがとう、岩津。ならお言葉に甘えさせてもらうよ」
腹が膨れれば眠気が来る。生き物として当然の反応だ。そうした本能として刷り込まれた身体の働きに抗えるはずもなければ、抗う理由も浦須には特にない。ここは岩津の厚意をありがたく受け取っておこう。
「これ以上岩津を困らせるのも可哀想だし」
「もう。浦須さんまで私のことをからかわないで下さい。ーーばあや、浦須さんを寝所まで案内して下さい」
岩津を困らせたくないのも嘘ではないが、おちょくっているように捉えられてしまったらしい。頬を膨らませて不満げにする岩津に合掌して謝ってから老婆と共に部屋を後にした。
「ここですじゃ」
老婆に付いて歩いてすぐのこと、寝所として案内されたのは、母屋の隣に建つ一階建ての離れの一室であった。布団が1組敷いてあるだけで他に物が置かれていない簡素な部屋ではあるが、掃除や手入れは行き届いているようで、埃が落ちていたり、壁や床の汚れ等は見当たらない。老人か老婆か、普段から掃除や手入れを欠かしていないことの現れだろう。
「今日からここで寝起きするのですじゃ。ほれ、じいさんが布団を敷いてくれとるから早う横になるのですじゃ」
老婆に促されるまま敷布団の上に寝転がり、上から掛け布団がふわりと掛けられるのを浦須はなんの抵抗もなく、ただぼんやりと受け入れた。
ーーー暖かい
ここ数日の間、浦須はまともに睡眠を取れていない。屋敷を追い出されてから、夜になると一晩泊めてもらえる所を求めて集落内を歩き回った。金品の類いを持たない浦須のような者が宿に泊まれるはずもなく、家々を巡っては家主に頼み込み、渋い顔をされながら物置小屋や馬小屋の片隅を借りて一晩を過ごしていた。日中の気温もまだ低く、夜は一段と冷え込む初春の厳しい寒さの中、敷地内で死なれては困ると言う家主の『温情』で借りた古布を何枚も重ねてどうにか寒さを凌ぐことが出来ていたが、寒気を堪えるのに必死で意識は覚醒したままだった。
今、浦須の身体は食後の満腹感と布団の温もりに包まれている。寒さや飢えを心配する必要は全くない。だからここで意識を手放してしまって、、、
「ゆっくりおやすみ。うら坊」
思考が途切れ、瞼が降りた浦須の脳内に、老婆の声が柔らかく温かみを帯びて届いた。
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「…………………………」
「…………………………」
「………………………ル」
「…タ……………テ…ル」
「ワタシタチハミテイル」