7.王国サイド
「ジェナス・カーマイン。サーシャは早くに天に旅だたれましたが、私の良き友人でしたわ。貴方、ご実家の肖像画など観ていませんの?」
「みまひた……へも、ただのふゅうひぃんがでひゃふぁっていりゅと、ひゃひゃふえが」
「どなたか、通訳をお願いできますか? 不敬など問いませんから、この者の言い分そのままに伝えていただきたいの」
あまりにも腫れが酷く、まともに聞き取れない。テレサの願いに、宮廷医師が恐れながらと前に出た。
「僭越ながら。私の耳と理解力が正しければ、こう言っております。『見ました……でも、ただの友人が出しゃばっていると、母上が』と」
マックスとテレサの額に青筋が浮かぶ。
特にテレサは麗しい顔を険しくさせ、周りの者達はたじろいだ。絶対零度の視線のまま、言葉を続ける。
「耳障りな声で頭も痛くなりそうだわ。ワンド医師、申し訳ありませんが、その者の近くで通訳して頂ける?」
「王妃様のお言葉のままに」
「それで? 家族の肖像画に友人が出しゃばって自分がいないなどと、今の今まで疑いませんでしたの? そもそも、その母上とはいつお会いになりました?」
ジェナスは近づいてきた宮廷医師に小声で伝える。大声も難しいだろうから、ジェナスにも負担が少ないのだろう。
それを聞き、宮廷医師は答える。
「『私が幼い頃、庭で遊んでいると母上が来て一緒に遊んでくださった。今は一緒に暮らせないけれど、大切な私の子供だと頭を撫でてくれました。父上が誤解で母上を遠ざけているのだと、ヌガーも言っていました』」
「ヌガーだと!? 色に狂って不法侵入を手伝った愚か者だぞ!?」
「ええ、はぁ。『不法侵入? 違う! カーマイン公爵家の色を持つあの人が母上に決まっています! なのに、ヌガーがいなくなってから、母上に会えなくなって、すぐに違う色の妹を見せられて。あれは妹なんかじゃないと言うのに、誰一人として信じてくれませんでした』」
「当たり前だ! そもそも、貴様の言う時期が正しければサーシャは臨月で伏せていた時期だぞ!」
マックスの言葉は、もはや怒りを通り越して呆れに変わっている。ジェナスの認識の違いが、ここまで酷いとはマックスもエイダンも思わなかっただろう。
すでにエイダンは、ジェナスを見知らぬ生物の様に見ている。
怒鳴りすぎたマックスが力が抜けて崩れ落ちそうな所を、近くの騎士がすかさず支える。
この場にいる誰もが、ジェナスの言う母上が元凶だと考えた。
どう対処すればいいか悩むグレッグを他所に、扇で口元を隠したテレサが、冷ややかに尋ねる。
「もしかしてですが。貴方の言う母上には、特徴がありましたか? 例えば…………そう、口元の左下に、二つの黒子があるとか」
テレサの言葉に、ジェナスの顔がぱっと明るくなる。やっと理解されたと言わんばかりだ。
隣で、大きく肩を震わせたキティは目に入っていない。
嬉しそうに頷くジェナス。途端に、玉座の間がざわついた。
若者三人以外、誰もが覚えのある特徴らしい。
最も顕著に反応したのは、グレッグだった。肘置きをぎりぎりと握りしめ、国王としての威厳をなんとか保っている。
体裁がなければ、先程のマックス同様に怒り狂っただろう。そのマックスは逆に、限界を迎えて頭を抱えていた。
一人、テレサは予想していただけあり、まだ心構えができていた。訳を知らない三人に、昔を思い返しながら語りかける。
「私達が貴方達と同じく、学院の生徒だった頃。一人の女学生が問題視されていました。男爵の養女となったばかりの令嬢で、マナーは何もかも出来ておりませんでした。特に問題視されていた行為が、異性への過剰な接触。婚約者がいるにも関わらず、次々と高位貴族子息を魅了していきました」
小さくため息をついた。いい思い出ではないと、扇に込められる力が示している。
「遂には、当時王太子だった陛下まで手にかけようとしました。尤も、陛下は見向きもせず、その間に婚約が破談した令嬢や令息の実家から告発がありました。多くの貴族に詰め寄られた時、彼女は何と言ったと思います?」
テレサは尋ねるが、エイダン達には何も思いつかない。答えを期待していなかったテレサは、間を置かずに続けた。
「『アタシの髪色を見て! 素敵な赤髪でしょ? だから、アタシの本当のパパはカーマイン公爵なの! アンタ達みたいな奴ら、全部潰してやるんだから! 公爵の娘なんだから、王子様と結婚するのは当然なのよ!』……今思い出しても、不快ですわ」
その言い分は、ジェナスと同じ。驚くエイダン達を他所に、テレサは話を止めない。
「これはカーマイン公爵家の醜聞として世間に広まりました。ですが、直ぐに否定されました。何故なら前カーマイン公爵は奥方、つまりはマックス殿の母君の方です。婿養子に入った父君も、体を重ねたと思われる時期は領地へ赴いていて不可能。情婦の母親も父親については知らないというのに。養子縁組を切られ、平民が貴族を侮辱したと有罪。貴族と関わりを禁止され、娼館へ送られて終わったはずですが…………どうやら、隙を見て次期カーマイン公爵を洗脳していたようですね」
「ふぇ、ふぇんのうなんて!」
「その耳障りな声は止めなさい! さて、その女性の名はキャンディ。そこの貴女の母親ですよね?」
その場の視線が、キティへ全て向く。
声を出そうとして言葉にならず、身体を震わせ、涙を零して庇護欲をそそっている。そうして、自分を守って欲しいと全身でアピールしていた。
ちらりと視線がエイダンやジェナスに向くが、エイダンは目を逸らしてジェナスは腫れの所為で見えていない。
「母親が叶えられなかった事を、娘が叶えようとする。浅ましい三文芝居ね」
「違、違うわ……あたし、あたしは…………!」
「テレサ。いつの間に調べておった?」
「いいえ。残念ながら、まだ調べてはおりませんの。でも、貴方を私から奪い取ろうとした、あの女と同じ醜い表情をしていたもので、もしやと思いましたの」
「何それ!? ヒドイ! カマかけたの!? あなたの勘でしかないじゃない! そんなのであたしを」
王妃への無礼に、騎士が咄嗟に猿轡を噛ませた。それでも唸り声を上げる様は、まるで獣のようだ。
ふと、窓を叩く音がする。見れば、黒い鳥が手紙を咥えて窓の傍にいた。
マックスが近づき、手紙を預かり開く。その中身に、目頭を押さえた。
「…………一週間後、ドクマール魔帝国が皇帝陛下、直々に抗議に来るそうです。それまでに情報は集めておいてほしいが、元凶は嬲らないでほしいと」
その言葉に、グレッグは力なく返事をした。そのまま、三人を牢へ戻すよう指示を出す。
帰る間際のエイダンは、どこかほっとした顔をしていた。ドクマール魔帝国の最後の言葉を、そのままで捉えたようだ。
犯人を暴行してはいけないという、優しい理由などではない。
自分達が痛めつけるから、手を出すなという事だ。
「ああ、それと国王陛下。不承ながら願いがあります」
「……前から言っていた事か?」
「その通りでございます」
マックスの言葉に強い意志を感じ、グレッグは説得を諦めざるを得なかった。脱力する身体に、隣の王妃が手を重ねる。
もはや、かの国との関係修復は不可能だ。グレッグとテレサの無念が広がり、玉座の間はなんとも言えない虚しさに包まれた。
次回、視点が戻ります