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レイドの素晴らしさを実感していると、不意に指先を握られた。
驚いて見れば、レイドが顔を赤くしながら、繊細な物を扱う様に優しくルルーミネの手を掴んでいる。
そのままこちらを見て、大きく息を吸った後に声を出した。
「あの! 俺以上に良い人なんて、沢山います…………でも、ルミ様がまだ出会ってないからだとしても………………今は、今だけでも、憧れのルミ様が、俺に好意を持ってくださって……………………その、嬉しい、です」
か細く、それでも芯を持った言葉。
ルルーミネの頭で祝福の鐘が鳴り響いた。
「今すぐ教会で婚姻届を出しましょう」
「うぇえ!?」
「どなたか、近くの教会を教えてくださいませ」
「待ってください待って下さい! 展開が早すぎます!」
恥ずかしがってじたばたと暴れるレイドを腕の中に収めつつ、辺りを見渡すルルーミネ。
すると、近くから別の声がかかった。
「ちょいとお姫様! その坊主、聖側から来たんだろ? 一年経たねぇと、婚姻とか受理されねぇんじゃなかったかい?」
「……そうでした。その法が今はとても憎たらしいですわ」
様子を見ていた露店の店主の言葉に、暴走した理性が戻ってくる。聖側と魔側、商売などで渡る際には証書が必要となる。
それに加え、婚姻や移住などの場合は一年の経過措置が必要となるのだ。
生活は似ているとはいえ、見た目や考え方による破綻を防ぐ為だという。かなり昔に成立された法だ。
当事者の考えなど歴史書や記録文書でしかない。
つまりは、レイドとすぐに婚姻できない。なんと忌々しい。
歯を思い切り食いしばる。やはり、顔に出ている感じはない。
その間にレイドは腕から抜け出して、店主の方へと目を輝かせて向かう。
「ありがとうございますっ。それとっ、リザードマンですよね? 本物……!」
「そうさぁ! 聖側に行く奴ァ少ないから、どの亜人も物珍しいんじゃねぇか?」
「はい、はい! 有名な亜人種位しか知らないので、すごく勉強になります!」
「勤勉なのはいいこったぁ! 今なら、うちの商品も珍しく思えるぜ!」
リザードマンの店主は豪快に笑う。その言葉通り、レイドは店主の前に並べられた品に興味津々だ。
ルルーミネも近づいて、品物を眺める。青果店らしく、聖側で見た事のある果物や野菜が、変色あるいは変形した状態で並んでいた。
「瘴気で変わっているけど、俺が見た事ある物の原型は残っていますね」
「元はおんなじもんだからな! 味もほぼ一緒だって、向こう側の商人が言ってたぜ? 何か気になるもんはあるか?」
店主に問われ、レイドは横目でルルーミネを見た。真剣な瞳が愛おしい。
「じゃあ、ベリー系みたいに甘酸っぱい果物はありますか? できればラズベリーに似ている物がいいです」
ルルーミネの好物。真っ先にそれを求めるレイドの尊さを噛みしめ、思わず天を仰ぐ。
産まれて来てくれて、自分に好意を持ってくれて、心から感謝。そうとしか言えない。
視線を外している分、聴覚はレイドの声を逃さずに聞き取る。店主の計らいで、該当の果物を試食させてもらう事になったようだ。
これは見逃してはいけないと、顔をレイドに向ける。
薄黄色の丸い果実を口に含み、噛みしめるごとにレイドは美味しいと破顔させた。その顔でこちらの理性も破壊されそう。
「美味しい~! 甘みも酸っぱさも段違いですね!」
「だろ? お姫様も一つどうだい?」
「では、いただきますわ。レイド様、取って渡してくださる?」
「え、あ、わかりました!」
ルルーミネのお願いを、レイドはすぐに受け取ってくれた。一粒、同じ果実を親指と人差し指で摘まんで、ルルーミネに差し出す。
艶々の果実を挟む、少し荒れた手指。髪や服同様に、手入れがろくに施されていない。
だが、レイドの物だと思うと何よりも美味しそうだ。
ルルーミネは徐ろに手首を掴んで固定し、レイドの指ごと口に入れた。
「ルルルルルルルミ様ぁ!?」
果実の熟しきった甘味と酸味が口に広がる。それ以上に、レイドの味が美味しい。
舌を這わせ、啄み、堪能していると、不意に後ろに引き寄せられた。
口から指が離れ、ルルーミネの名残惜しさを表すように銀の糸が引く。
「ルルちゃぁん。飛ばしすぎぃ?」
「……何が?」
「亜人の求愛行動はぁ、聖側からすれば激しいし急なのぉ。スノーはラミア並に激しいっていうのぉ、忘れてたぁ」
「何か問題でも?」
「簡単に言えばぁ、レードくんには刺激強すぎ、ほらぁ」
邪魔をしてきたメランコリーに苛立ちを覚えたが、指で示された前方を見て血の気が失せた。
レイドが倒れている。正確には、リュシオンに抱えられて気を失っていた。
「店主! 冷たい果実はあるかい? あるならありったけ持ってきてくれ! 全て頂こう!」
「毎度! しっかりしろよ坊主!」
リュシオンと店主が頭上で慌ただしく掛け合っている。真っ赤な顔で目を回すレイドに、心臓が潰れそうだ。
「メラン、メラン、レイド様が……!」
「考えてみればぁ、憧れの人の首が飛ばされてぇ、王族に怒ってたら生きててぇ、何故か距離が近くて溺愛ルゥト。レードくんからしたらぁ、急展開過ぎてキャパシティが超えちゃったのかもぉ」
「どうしたらいいの?」
「徐々にスキンシップ、が大事だよぉ。でもまずは、お城に帰ろぉか? レードくん気を失っちゃったし、ここにはまた四人で来よぉ?」
「連れ込み宿」
「却下」
メランコリーが語尾を伸ばす事も忘れて、ルルーミネが言い切る前に止めてきた。レイドの容態が心配だから、すぐに休ませたいが故のいい案だと思ったのだが駄目らしい。
ほんの少しの下心があるが、ルルーミネとて気を失った状態でさせるわけない。
どんどんと欲望が肥大している事は理解しているが、血の本能だから仕方ない。早くレイドが欲しくてたまらないのだ。
不服そうなルルーミネに、メランコリーは飲み物を手渡してきた。
それを両手で受け取った隙に、メランコリーは腕を掴んでルルーミネを引きずって行った。
「メラン」
「先に馬車に戻るよぉ? レードくんはリューくんが連れて来てくれるからぁ」
「私が抱えるわ」
「レードくんの男のプライド、なくなっちゃうよぉ?」
そう言われば、反論できない。能力はあるのに、自分を卑下しているレイドだ。
ルルーミネは自信を与えて支えるべきであって、奪うことなど言語道断。
なるべく早く馬車に戻るようにとリュシオンへ言い、渋々、本当に渋々とレイドから離れて馬車に向かった。
愛情、青天上




