第18話 偽りの変革
多分起承転結の転の部分です。特に最後。
湖面を夕日が照らしていた。そんな中、長方形の、ちょうど棺のような形をしたコンテナがゆっくりと水面下に沈められていく。
ダン、シルフィ、エリシア、アリアの四人は湖の上に浮かんだヴァイスフリューゲルの艦上の端に立ち、その様子をそっと眺めていた。四人から少し離れた後方には他のヴァイスフリューゲルのメンバーもいる。
透明度の高い湖だが、やがて棺は見えなくなった。棺に入っているのは、アルファ・プロメテウスだ。
「ダン、私は……間違っていたのかもしれない……な」
やがて、エリシアが絞り出すように言った。
「エリシアさん……?」
「いいや、なんでもない」
エリシアはそっとその場から離れていった。
「ダン……」
その様子を見てシルフィがダンに声をかける。
「シルフィ、俺は……今のエリシアの気持ち、なんかわかる気がするんだ。エリシアさんは俺たちの隊長として、部下の命を預かってきていた。でも、それが招いた結果が、アルファの死であり、ベータの離反だった。だから彼女は、責任を感じて……」
「そんな! なんとかならないんですか!? エリシアさんが元気を取り戻してくれないと、私は……」
「なんとか……。いや、こればっかりは俺たちにはどうにも……」
「でも嫌です! このままだと私も悲しいです!!」
「シルフィ……」
ダンは思った。シルフィの言葉は必ずしもその場その場の最善策を言っているわけではない。だが、人を前向きにしてくれる何かがある。
「分かった。一緒にお前の……いや、俺たちの言葉を伝えに行こう」
エリシアはひとり、艦の食堂テーブルについていた。部屋には誰もいない。
そこにダンとシルフィが入ってきて、向かい側の席につく。
「ダン、それにシルフィもか……」
エリシアはどこか魂の抜けたような声で言った。
「今後の作戦のことなんだが……考え直そうと思う。我々の隊から二機のRAが失われた以上、アルゲン島攻略作戦は不可能に近い賭けになるだろう。せめてシルフィの新しい機体が完成していればとは思うのだが、しかし……」
「そんなことではないはずです」
ダンはエリシアの言葉をさえぎった。
「エリシアさんが……本当に今、考えていることは、そんなことでは……」
「ならばどうだと言うのだ? 私が本当に考えていること。そんなことがお前たちには……」
「エリシアさんはアルファの死とベータの離反に責任を感じている。そうですよね?」
「な……」
エリシアは目を丸くした。
「もし、間違っていたのなら聞き流してくださっても結構です。でも、あなたは、俺たちの隊のリーダーとして、その命を預かる立場にあった。なのに、アルファは命を落とし、ベータは離反してしまった。だから、それについて自分を責めて……」
「フッ、全部お見通しというわけか……」
エリシアは自嘲気味に言った。
「そうだ。私は弱い女だな。そんなことくらいで自分を責めたりして。お前たちには散々偉そうに指示を飛ばしてきたが、私自身まだまだ未熟者だ。それが……今は自分でもよく分かる。こんな未熟者では、お前たちの命は預かれない」
「エリシアさん……。人は、誰でも未熟者です。私は、そう思います」
シルフィがいつになくシリアスなトーンで言った。
「その言葉は……誰かの入れ知恵か?」
「はい。私の尊敬する……エルフさんの……」
確か前に聞いたことのあるゼロムなんとかというエルフのことだな。と、ダンは思った。
「私の幼なじみもよくそう言っていたさ。だが、その人は私を置いて行ってしまった」
シルフィは言葉を続けた。
「でも、私はその言葉の続きを見つけました。人は……誰でも未熟者である。それが故に、誰でも変わることが出来る……と」
「シルフィ……」
エリシアは呟く。
「変わるのに、遅すぎるなんてことはありません。エリシアさんが、自分が未熟者だと思うのなら、今からでも成長すればいい。多分、あの人は今のエリシアさんを見たら、そう言うと思うんです」
「フン、お前には……いや、お前の知り合いのそのエルフには脱帽ものだな。だがきっと……私の幼なじみも、そう言っていただろう」
「エリシアさん……」
「お前たちのおかげで気持ちの整理がついた。やはり例の作戦はハルードに進言しよう。お前たちとなら……なんでもやれる気がする。その命、今一度預からせては貰えないか?」
「もちろんです!」
「喜んで!!」
ダンとシルフィは笑顔になった。それを見てエリシアもフッと笑みをこぼす。
「しかしなんだ、シルフィ。そのお前の知り合いのエルフとやら、よもやゼロム……」
「え、ゼロムさんを知っているんですか!?」
「あぁ、いや、その私の幼なじみというのもだな……」
「あ……」
なんてこったい。途中から薄々感づいてはいたがこのふたりにそんな繋がりがあったとはな。ダンはふたりして盛り上がるシルフィとエリシアをよそにそう思った。
アルゲン島にある連邦軍基地の薄暗い一室に、兵士たちによって連行されてきたのはベータだった。
部屋の中には、エル、そしてガンマがいる。
「ベータ……なぜお前は戻ってきたのだ?」
エルは尋ねた。
「やっぱり、俺たちのマスターはあなただけです」
ベータは答える。
「そうか……だがよもや、私の言葉が聞けなかったわけではあるまい。お前はエルフ連合軍に残れと……」
「でも、俺にはマスターと敵対することなんてできません!!」
「フン……ならばいいだろう。私のもとで戦うといい」
エルはそうとだけ言うとベータを連れてきた兵士たちを伴って部屋を出ていった。
部屋にはベータとガンマだけが取り残された。
「アルファは……?」
ガンマが抑揚のない声で訊く。
「殺してやったぜ。アイツ、完全にエルフ式の考え方に染め抜かれてやがるんだ。マスターは俺たちを利用しているだけだって言い切りやがった。そんなやつを俺は生かしちゃあおけない。ガンマ、お前だってそう思うだろ? ……いいや、お前には感情なんてねぇか」
「そう……」
ガンマは、相変わらずに無表情のまま視線をベータから逸らした。
パリの街は、久々の祭りムードに賑わっていた。
アラビア帝国の新たなる宰相となったシェヘラザード・ギザがローマ連邦との友好のため、パリを訪れ、その祝賀パレードが開かれているのだ。通りには両国家の友好を示すため、赤地にSPQRと月桂樹の紋様が黄色く染め抜かれたローマ連邦の国旗と、白地に緑と黄色のアラビア文字、そしてそれをアラベスク模様の枠で囲ったアラビア帝国の国旗がはためいている。
パレードの行列は、アラビア帝国のシンボルカラーである緑色の自動車が続き、列の真ん中では、1機の金色のRAが悠然と歩いていた。全身のアーマーにアラベスク模様が刻み込まれ、頭部には本物の赤いフェニックスの羽根が取り付けられた儀式用のRAである。儀式用のため、武装は取り付けられていないばかりか機動力は低く戦闘向きではないが、それ故に普段RAに乗らない人間でも容易に操縦が可能である。その儀式用RAに乗っている人物こそ、シェヘラザード・ギザ本人なのだ。いや、彼女の後方にはもうひとりの人物が立ち姿勢でコックピットに乗り込んでいた。ディーナ・オルレアンである。
「シェヘラザードさん、こんなことに巻き込んでしまって、申し訳ありませんね」
ディーナは言った。
「いいえ、私たちだってあなたにはだいぶ助けられたのです。それに、その言葉はもう何度も聞きましたよ」
シェヘラザードは笑って答えた。
やがて、パレードの行列は凱旋門広場へとたどり着いた。かつて、ローマ革命の英雄が勝利を記念して新しい都、パリに建てた凱旋門がある。
儀式用RAはその前に立つと、コックピットを開いて集まった群衆を見下ろした。周りには、無数の群衆が集まっていた。群衆の中にはもちろん、新聞記者の姿も見える。作戦通りだ。
シェヘラザードは座席を立ち上がると、群衆に見える位置にまで歩みを進める。群衆から大きな歓声が上がった。
シェヘラザードは話し始める。
「我々、アラビア帝国政府は、我が国の近代化に伴い多大な貢献をしてくださったローマ連邦政府へと感謝の意を表するとともに、両国の未来永劫の友好を願います。ですが……」
と、ここでシェヘラザードは言葉を少し切ってから続けた。
「建前は以上です!」
思いもよらぬ発言に群衆はどよめいた。
「実は、私が今ここに来たのは、そのことを伝えるためではありません。あなたたちの国がこれから犯そうとしている過ちを正すため、ここにやって来たのです。それは、私の友人のかねてからの頼みでもあります」
ディーナがゆっくりとシェヘラザードの隣へと進み出た。
群衆の一部から息を飲むような声が上がる。
「ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私はディーナ・オルレアン。数ヶ月前に暗殺されたと発表されたローマ連邦議会議員です」
ディーナは話を続ける。
「もちろん、幽霊なんかじゃあありません。幽霊ならば生前の記憶をしっかり保ったままこの場に立つなんてことはありませんからね。……おそらく、皆様は魔獣攻撃隊JACによって私が暗殺されたと聞かされたことでしょう。ですが……それはまったくの事実無根です。私を暗殺しようと暗殺者をしむけてきたのは連邦の軍部なのです。そしてそんな私を救出してくださった方たちこそ、魔獣攻撃隊JACのメンバーです。軍部は……自らの軍備拡張に反対する私を亡き者にし、同時にそれをJACの仕業として書き立てることにより自らの権力基盤強化への足がかりとした。それが事の真相です。あなたたち誇り高き二五〇〇年の伝統を持つローマ国民は、今こそその目を覚ます時なのです! どうか、目の前の幻想に惑わされず、自らの意思で……立ち上がることを。それが、今は亡きこの私の意志でもあります」
「ドゥンヤ、ついにこの時が来た……っつー感じだな」
群衆たちの中からディーナを見上げていたジャーファルは、隣に立つバスラに言う。
バスラは、こくりと頷いた。
ライラック・ソフィアとクローネ・コペンハーゲンはパリからやや離れたローマ連邦軍の基地にある応接室へと通されていた。机とひとりがけソファーが四つほど向き合って置かれたシンプルな部屋だ。
「ソフィアさん、私、とても緊張して……」
クローネが言う。
「大丈夫、フローラは別に君を取って喰ったりはしないよ」
「で、ですが……歴戦の艦長さんなんでしょう? 私なんかがお会いして……」
「君はこれからその艦長のもとで戦うんだ。何も心配することはないさ」
「そ、そうですよね。もっとシャキッとした方がいいというのは自分でもよく分かっているんですが……」
その時、部屋の扉が開いてギムールとフローラが入ってきた。
ふたりはライラックとクローネの向かい側に座る。
「あなたがクローネ・コペンハーゲンさんですわね?」
フローラがクローネの顔を見るなり言った。
「は、はい。もしかして、あなたが……?」
「ええ、そうですわ。わたくしがフローラ・リヨン。ブルーバード……じゃなくて新生RGヴェーダ隊の艦長ですわ」
「RGヴェーダ……。ということは新しい艦が見つかったんだね?」
「おかげさまで。なかなかいい艦ですわよ。とっておきの秘密兵器なんてのも持っていますし……」
「秘密兵器?」
「ま、それは置いておいて。あなたたち、自分のRA。見たいんではなくて?」
ライラックの問いをはぐらかし、フローラは新たな話題を切り出した。
「それはもちろん!」
ライラックはクローネと顔を見合わせる。
「その答えを期待していましたわ。では、ついてきてくださいまし」
フローラはギムールを伴って席を立ち上がる。ライラックとクローネもそれに従った。
基地の建物を地下に降りていくと、そこはRA格納庫へと繋がっていた。格納庫は薄暗く、数人の作業員たちが計器類をいじっている。
そして格納庫の真ん中、竪穴状になった場所に、2機のRAが直立姿勢で保管されていた。
一機は白い機体色、頭部には四本のアンテナが伸びており、目に当たる部分には水色のツインアイが光っていた。どちらかというとシンプルな作りである。
もう一機は、深い紫色の機体色をしており、頭部には烏の羽根のような2本のアンテナ。目に当たる部分はツインアイだが、右の目は、ひし形のバイザーに覆われていた。後頭部からは長めのポニーテールよように赤いコードが何本も伸びている。
「白い方がエンディミオン、ライラックの機体で、紫の方がレイブンフェザー、クローネの機体だ」
ギムールが説明をする。
「これが……僕の機体……」
ライラックは思わずにエンディミオンへと歩み寄っていた。
「あっ、ちょっと、ソフィアさん待ってください!!」
クローネも慌ててそれに続く。
「クローネ、僕のことはそんな畏まって苗字で呼ぶ必要はないよ」
ライラックはエンディミオンを見上げながら言った。
「いえ、いいんです。私みたいな人が……あなたを名前で気軽に呼ぶなんて……」
「はーぁ。まったく、よそよそしいですわね!」
いつの間にかふたりの背後に来ていたフローラが言う。
「で、ですけど……!」
「ま、呼び方なんてどうでもいいですわ。問題はあなたがどう戦えるかですもの」
「そこなんですが……」
と、クローネは不安を打ち明ける。
「やっぱり、私は上手く戦えるかどうか心配なんです。模擬戦の時は……必死になって色々やりましたけど……」
「あなたの過去に何があったのか、どんな扱いを受けてきたのかはわたくしは知りませんし、辛いのなら訊くこともしませんわ。でも、戦場では誰もが必死。模擬戦で必死になってできたのなら、きっと戦場でもできますわよ。あんまり思いつめないこと。沈んだ顔ばっかりしていると、あなたの可愛い顔も台無しですわよ」
フローラはそう言ってから自分よりも身長の高いクローネの頭をポンポンと叩いた。
「さーて、わたくしは新しい副艦長およびギムールと作戦会議に行ってまいりますわ。ライラ、クローネのこと、よろしく頼みましてよ」
「分かった、フローラ。行ってらっしゃい」
フローラはふたりに手を振るとギムールを伴って格納庫から出ていった。
「なんか……安心しました」
フローラたちの姿が見えなくなるとクローネは言う。
「安心?」
「はい。なんか、この人たちのもとでなら私も頑張れるかもしれないって……。こんな気持ちは、今まで感じたことがなかったので、上手くは説明できませんが……」
「僕もだ、クローネ。僕だって、ギムールやフローラ、それに君となら……上手くは言えないけど全力で戦えるような気がする。だからこれからもよろしくね、クローネ」
「はい、私……あなたに感謝しなきゃいけないのに……それを言うのを忘れていました」
「感謝?」
「ソフィアさんは……私に……初めてちゃんとひとりの人間として向き合ってくれた方なんです。それだけじゃあなくて、こんな素敵な方たちとも巡り合わせてくれた。そのことに……」
「どういたしまして。でもやっぱり呼び方は変わらないんだね」
「ごっ、ごめんなさい! やっぱりなんか、慣れなくって……」
「いいよいいよ。君がそう呼びやすいのなら、そう呼べばいい。それが君のやり方ならね」
クローネはライラックの方を見て少し微笑んだ。大丈夫、きっとこの人と一緒にいれば、それだけで私は幸せになれる……。クローネは心の中でそう直感していた。
基地にある作戦室で、フローラは、ギムールと共に、新たにRGヴェーダの副艦長として任命された銀色の髪の少年と向き合って立っていた。彼は、RGヴェーダの設計者でもある。
「さぁーて、それでは作戦会議を始めますわよ」
「とは言いつつ、もう何をやるのかだいたい決まっているんでしょう?」
副艦長の少年は訊く。
「もちろん。あなたたちはわたくしの決めたプランに従って動くだけで充分ですわ。でも、情報の共有はしておきませんと」
「やれやれ、とんだ独裁艦長ですね。あなたは」
副艦長は嫌味っぽく言う。
「あら、この世は権力を持った者がそれ相応の権限を振り回すもの。そう認識しておりましてよ」
「はいはい、そうでしたね。ところで艦長殿のプランは?」
「至って簡単ですわ」
そう言ってフローラは、デスクの上に置かれた地図の一点を指さした。湖の上に浮かぶ島である。
「おそらく敵はこう考えてきますわ。『アルカイド渓谷での勝利の勢いが収まらないうちに次なる一手を打っておきたい。さらに戦いを長期化させないためには敵の本拠地を叩くのがもっとも手早い策であろう。だから我々はアルゲン島のエルフ攻略軍本拠地を潰す』ってね!」
フローラは何故かウインクをする。
「だが我が軍とて本拠地の防備が手薄なわけではあるまい。本当にエルフ軍がそんなハイリスクハイリターンなことをやるとも……」
「防備が固ければ、それを引き剥がせばいいんですわ」
ギムールの言葉にフローラはそう返した。
「引き剥がす?」
「ええ、こういう作戦は敵の身になって考えること。わたくしがエルフ軍の参謀ならばこう考えますわ。『敵の鉄壁の防備を剥がすにはどうしたらいいか。そうだっ、陽動作戦があるじゃあないか』なーんて」
「陽動作戦?」
副艦長が聞き返した。
「そうそう、例えば、自軍の部隊の一部を敵軍、すなわちこの場合ローマ連邦軍がいちばん攻められると困るような場所に向かうように見せかける。おおかた首都のパリか……そこら辺でしょうね。そして敵がそこに気を向けている隙に、本隊が一斉に本来の攻撃目標に攻めかかる。ローマ軍を敗退させるには完璧ですわっ」
フローラは目を輝かせて言う。
「嬉しそうに言っているが、お前のその脳内シュミレーションで敗北しているのは連邦軍の方だよな……」
ギムールがツッコミを入れる。
「脳内シュミレーションならどっちが勝っても面白いじゃあありませんこと!?」
それからフローラは話題を戻した。
「と、とにかく、わたくしたちが艦を置くならばここですわね」
「島の……真ん前。エルフ軍が島を攻めてくれば真っ先に通過する地点ですか」
副艦長はなるほどと納得する。
「そして、決してどんなことがあろうと、どんな誘惑があろうともわたくしたちはここを動きませんわ。わたくしたちがここを動けばすなわちそれは、陽動作戦に乗せられたということですからね」
「そうか……それで出立は……いつになるんだ?」
「そんなの愚問ですわよギムール。今すぐにでも。メンバーもいれば艦もある。そしてRAとそのパイロットもある。もうわたくしたちにはこんなところで躊躇している必要性なんてありませんわよ」
「やっと来たな……フローラちゃん式戦術が。生きている間にまた見られるなんて、光栄だぜ」
ギムールはニヤリと笑うと答える。
「あら、これからは飽きるほど見せて差し上げますわよ」
フローラも瞳に不敵な光を浮かべて言った。
サザーム・ジェノバは、バフェル・ビルボ軍務大臣により、彼の執務室に呼び出されていた。
バフェルはかなり取り乱した様子を見せている。
「どっ、どういうことだ!? ディーナ・オルレアンは死んだのではなかったのか!? それに我が軍図を糾弾して!! 国民はそれに……!!!」
バフェルは自身のデスクの上に大量の新聞を並べて叫ぶ。
どの新聞の見出しにも軍部に否定的なことが書かれていた。
「明らかに軍部の権力では押さえつけられないほどに国民の反感は高まってしまったようですね」
サザームは、バフェルとは対照的に落ち着き払って言った。
「サザーム、なぜ貴様は落ち着いていられるのだ!! ディーナ・オルレアンが生きていて、国民の反感は我々に……!!」
「それは先程から何度も聞いています」
「ではサザーム、お前はどうするのだ!!」
「どうもいたしません」
「なんだと!?」
「よく考えてください。確かに国民の軍部に対する反感は高まっていますが、彼らは同時に軍部の中の誰が今回の謀に関わっていたのかを知らない。おそらく多くの国民は、誰かが責任を取り、また、誰かがその責任を追求して英雄となればそれで納得することになるでしょう」
「どういうことだ……?」
「バフェル軍務大臣。あなたが責任を取るのです。軍務大臣であるあなたはどう足掻いても今回のことの責任を逃れることは出来ない。ですが逆に言えば、あなただけが責任を取れば国民の多くは納得するでしょう。バフェル軍務大臣、あなたを逮捕します。罪状は……そうですね、国家騒乱罪とでもしておきましょうか」
「サザーム、裏切ったのかッ!!」
バフェル軍務大臣の執務室に、数名のローマ軍兵士たちが入ってきて、バフェルを取り押さえた。
「バフェル軍務大臣。私は残念です。あなたがこんな過ちを犯していたなんて……。次は法廷で会いましょう。状況次第では証人として立って差し上げますよ」
「サザーム!! 貴様!!!」
バフェルは叫んだが、兵士たちは無慈悲にも彼を連行していった。
「さて、それでは話題の姫君に会ってくるとするかな……」
部屋から部屋から誰の姿も見えなくなると、サザームはひとりそう呟いた。
ディーナたちは、パリにあるアラビア大使館に招かれていた。
ディーナとシェヘラザードは、暖炉のある広い応接間にてやってきた報道陣たちの質問に椅子に腰をかけて答えている。
ジャーファルとバスラは、ふたりの護衛役に紛れて部屋に控えていた。
そこに、シェヘラザード配下のアラビア人が飛び込んでくる。
「ローマ連邦軍のサザーム・ジェノバ元帥が参りました……!!」
「連邦軍元帥……!?」
ジャーファルはその言葉を聞いて身構えるが、バスラが彼の服の裾をつかみ、無言でそれを制する。
「そ、そうだよな……暗殺……なんてことはこんな人がたくさんいる前ではやらねぇよな……」
「あの……じゃあ記者さんたちには外してもらって……」
ディーナは言いかけるが、シェヘラザードがそれを止めた。
「いいえ、記者さんたちにはいてもらいましょう。真実を国民に伝えるためには、その方がいいに決まっています」
「そ、そうですね……」
ディーナは居心地が悪そうに周りを見た。どうにもこう落ち着かない環境は苦手だ。
やがてクリーム色の髪をした青年が部屋に入ってくる。ディーナとシェヘラザードはそれを迎えるために立ち上がった。
「ディーナ・オルレアン議員。お会いできて光栄です」
サザームはディーナと握手を交わす。
「そして、あなたが生きておられたなんて未だに信じられません。……あぁ、もちろん殺したはずだ……とかそういう意味ではありませんが……」
「その分ですと、元帥であるあなたですら今回のことは知らなかった……と?」
シェヘラザードが尋ねる。
「なにぶん私は元帥になってからは日が浅いものでして。ディーナ議員が殺さ……失礼、亡命された時には私はまだ首都防衛軍区の長官という役職でした。ですので、今回のことはまったくの寝耳に水で……」
「そのことを伝えに……わざわざここに?」
ディーナは相手を疑いの眼差しで見つめながら訊く。
「いいえ、そうではありません。実は、バフェル軍務大臣が逮捕されました。いいえ、私が逮捕しました」
「へ?」
「あぁいえ、驚くのも無理もありませんが、あなたの言葉を聞き、私が独自に調査を進めた結果、ディーナ・オルレアン暗殺未遂事件にはバフェル軍務大臣およびその息のかかった者たちが関与していた可能性が高く、彼らをまとめて逮捕した……ということです。おそらく、裁判はおいおい開かれるでしょう」
「元帥は……それでいいのですか? 軍務大臣と軍務省の幹部が多く逮捕されたとなると、あなたへの風当たりもそれなりに……」
「軍の全てが野心を持って策謀を巡らせたり、必要以上の軍備拡張がしたいわけではありません。戦えば失うものがあるのは軍人も民間人も変わらない。真っ当に祖国のためを思って戦う兵士たちのためにも、こういう汚れ仕事は、私のような無知の罪を犯してしまった者がその罪滅ぼしのために成さねばならないのです」
「そう……ですか」
ディーナはやや拍子抜けをしていた。軍部の者が尋ねてくると聞いて、もう少し修羅場のような状況を想像していたのだ。だが、同時に安心もしていた。もし、このまま事が思いのほか上手く進んでくれれば、今も続いている無益な争いは終わるかもしれない。今はただ、これからの平和のことを考えよう。ディーナはそう思っていた。
そして、サザームの瞳にやどる危険な光を見逃していた。
これからどうなっちゃうのって感じですね。次回の更新日は5月21日です。