実はそうなのです
結局、決闘には僕が勝った。
しかし、勝負に負けたのは僕だと言っていいだろう。縦ロールの「降参」を聞いた後、僕はその場で気絶した。魔法の力はすごいもので、目が覚めたときには怪我もすべて治っていたわけだが、縦ロールの方は全くもって外傷を負っていないのだ。何だか悔しい。
まあ、そんなわけで。
あれだけのことがあった翌日も、こうして従者の仕事をしなければならないのだから心休まる時間ない。それに今目の前にいるこの令嬢の相手もまた、厄介なものである。
「ふんっ。昨日の決闘はわたくしの勝ちですわ!」
精神的な疲労が抜け切っていない中、こうして縦ロールに朝から絡まれている。正直しんどい。
「すみません、よく分かりません」
「AIみたいな受け答えをするなですわっ! いいですこと? 昨日の決闘、あれは貴方の手がわたくしの臀を叩いていたのではありません。わたくしの臀が貴方の手のひらを攻撃していたのですわ!」
胸を反らし、堂々と言って退ける。
彼女のメンタルの強度はオリハルコンをも超越しているのでは?
「失礼ですが津波様。それでも降参を宣言したのが貴女様である以上、結果は覆りません」
「それこそ何を言ってるのかわかりませんわね。わたくしは『降参します?』と訊いたのであって『降参します』とは言ってませんわ」
胸を反らし、堂々と言って退ける。
彼女のメンタルの強度はオリハルコンをも超越しているのでは?
先程と似たような──というかまったく同じ感想を抱きながら、僕はため息を吐く。
メタル級メンタル。……つまんね。
「津波様。もう一度分からせた方がよろしいでしょうか?」
手袋を外し、ニコリと笑う。
それだけで、縦ロールの膝はガクガクと震えだし、顔が紅潮し始めた。
「昨日はとても悦んで頂けたようですしね」
「ふ、ふんっ。あんなの、大したことありませんわ。……だから、その、手袋を仕舞いな──しまってくださいまし。わたくしの負けですわ……」
不服ではありそうだが、彼女の方が折れてくれた。これで正式に、僕の勝ちが決定したといっていい。平和的に解決してよかった。
「やりましたね、お嬢様!」
やってしまったとも言う。
「う、うん。そうだね。希璃くんは凄いや」
苦笑いで褒めてくれる鈴音お嬢様。
軽く引かれてないか、これ。
「決闘したからには勝者が敗者へとひとつ命令できるのがルール。覚悟はできてます、何でも言うといいですわ」
へえー。そんな決まりがあったのか。
じゃあ、もし昨日の闘いで僕が負けていたら、本当にひと月70000ペリカで雇われていた可能性があるのか。
今更ではあるが、ものすごい綱渡りをしたものだ。カイジくん風に言うなら、鉄骨か。
「どうしますの?」
「だったら希璃くんと津波さんには仲直りしてもらいたいな」
「スカートをたくしあげて謝罪を──えっ? あー、僕も同じことを言おうと思ってました」
僕とお嬢様の声が重なる。
どうやら命令の権利は僕ではなくお嬢様の方にあったらしい。
いや、でもそうか。普通そうか。
津波の連れている従者も滅多に口を開かないし、ましてや相手方の令嬢と直接会話なんて一度たりともしていない。こんなに出しゃばった従者、僕を置いて他にないだろう。
僕は一歩引いて、背筋を伸ばす。
別に僕だって、悪目立ちしたいわけじゃない。できないことをできるとは言わないが、できることはできないと言わない。それが僕のルールだ。
「態度を改めても誤魔化せませんわよっ!?」
「チッ」
「白雪さん、貴方の従者、過去最低なのではなくて? 今すぐ解雇した方がいいですわね」
「ごめんね津波さん。でも、もう希璃くんくらいしか従者を頼める人もいないみたいで……えっと、できれば仲直りしてくれるといいんだけど」
鈴音お嬢様はいつの間にか、困った仲介人みたいな立ち位置になっているけれど、別に僕は仲違いした記憶すらない。
火の粉を振り払ったついでに反撃しただけだ。
「そもそも鈴音お嬢様はいいんですか? 津波様は貴女に恥をかかせようと──」
「そうだけど、たぶん違うよ。希璃くん。津波さんは、悪い人じゃないって思うんだ」
「はい?」
「津波さんはね、私のこと、ずっと守ってくれてたんだ」
「守る、ですか?」
人の頭に黒板消しを落とそうとする行為のどこにそんな要素があるというのだろう。
正直僕には理解できないが、お嬢様の方は真剣な顔をしているものだから、僕は押し黙るより他ない。ただ、お嬢様は親切にも、その考察を聞かせてくれた。
「私は無能だから。私だけは出来損ないだから。学校ではね、虐められちゃってるんだ」
あはは、と浮かべた苦笑いは痛々しくて。
少しだけ心がざわつく。
彼女はたぶん、ずっとひとりで戦ってきたのだろう。いつか自分にも力が宿ると信じて、終わりのない戦いを何年も──ずっと。……ずっと。
「でもね津波さんが私にイタズラをするようになってからは、他の人からの虐めは減ったの。それはきっと、津波さんが私を守ってくれたんじゃないかって」
いやいや。それはさすがに……。
「ふんっ。とても愉快な勘違いですわね。おめでたい頭ですわ。わたくしはわたくしの玩具に手を出して欲しくなかっただけ。守ったつもりなんて少しもありませんわ」
心外だと言わんばかりにそっぽを向く縦ロール。
しかし、その言い分だと、鈴音お嬢様の言葉を肯定しているようにも聞こえる。
なるほど。これがツンデレってやつか。
たしかに、学園でたった1人孤立している子を守ろうとして、その他大勢を敵に回すのは無理がある。
そんなことをすれば、今度は彼女が差別の対象になるだろう。
だったら、自分の管理下に置く名目で保護した方がマシだ。たしかに合理的ではある。いやむしろ、賢くさえある。
縦ロールの心は縦ロールにしか分からないが、それでも彼女の行いが、鈴音お嬢様に対してプラスの側面を持っていたことは間違いないようだ。
「いいとこあるじゃん」
「敬語をつかいなさい、敬語を! それかせめて丁寧語を! わたくしを誰だと思ってるんですの!」
僕が笑いかけると、縦ロールは顔を紅くしながらゲジゲジと脛を蹴った。恥ずかしがり屋なのかな。
「……でも、それなら何でわざわざ決闘なんて申し込んできたんです?」
「それは……普段表情に出ない白雪さんが貴方にだけ笑いかけていたから気になって……」
なるほど。嫉妬ですね。
可愛いかよ。
まだ17歳の僕が言えたことではないけれど、津波家のお嬢様とて、少し前まで中学生だった子供なのだ。
良くも悪くも、まだまだ純心なところがあるのだろう。
初めは面倒で嫌な奴だと思っていた彼女も、存外、結構好きになれそうな気がする。まあ、もし本当に鈴音お嬢様を思ってのことなら、他にもやりようはあったと思うけどな。
僕は膝を曲げて、鈴音お嬢様に耳打ちした。
「鈴音お嬢様、今後は津波様に代わって僕が貴女を守ります。ですからお嬢様は──」
「……いいの?」
「はい」
短いやり取りを終えて、鈴音お嬢様が縦ロールを見据えた。短い深呼吸。さては緊張してるな?
「……なんですの」
「あのね、津波さん。もし、もしよければ、私とお友達になってください!」
お嬢様はきゅっ、と拳を握り力いっぱいに言う。
それはきっと、彼女にとって人生最大の告白で。
最も大きな一歩に違いない。
数秒の沈黙。
体感的にはかなり長く感じたその間を経て、縦ロールが口を開く。
「……はあ。まあ仕方ありませんね。勝負は勝負ですもの」
そう言って胸を反る縦ロールの口許は、どこか嬉しそうに持ち上がっていた。
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