臆病な僕のお嬢様
新連載開始しました。
「そろそろ降参してはどうでしょう。僕だって、本当はこんなことしたくないのです」
「黙らっしゃい! んひぃぃっ! わたくしは……あひいいいっ! ゆっ、許しませんわ! 離しなさい! 今すぐそのスカスカな前髪を吹き飛ばしゃあああんっ!」
響き渡る嬌声。叩く度に熱を持つ臀部。
今日は4月9日。
桜舞落ちる麗らかな空の下、二桁を越える観衆の前で、僕は少女の臀を叩いていた。少女の、臀を、叩いていた。
「離しなさいと言ってるのが分からないんですのっ!?」
「降参してくださいと言ってるのが分からないんですか?」
金髪縦ロール。ヨーロッパ貴族のような少女は顔を赤く染めながら、喚き散らす。
それは怒りか、羞恥心か、はたまたま別のものか。
ただ、威勢はともかくその細い手足にはほとんど力が入っておらず、もはや僕の腕から自力で抜け出すことは不可能に思える。
「そもそも最近まで中学生だった少女が、5年間も天文学部に所属していた僕に勝てるとでも思ったのですか? だとすれば実に愚かしい!」
「意味分かりませんわッ! 天文学部は文化部でしょうにゃああんっ!」
おいおい何を言うかと思えば。
重たいカメラや望遠鏡を担いで、夜の山に登ることがどれだけ危険なことか、彼女は知らないのだろうか。
「数々の山賊やクマに襲われてきた僕の防衛術を舐めないで頂きたいですね」
「日本に山賊がいる訳ないじゃないですの!」
どうやらまだまだ反論する余裕があるらしい。
もう少し強めにやっとくか。
少女の双丘に幾度となく平手打ちを浴びせる僕は悪魔的。
──否、悪魔そのものだ。
少なくとも、観衆から浴びせられる冷えた眼差しは、神や仏に向けられる類のものではない。
ただ執拗いようではあるが、これは僕の意思ではない。むしろ僕は被害者で、巻き込まれただけなのである。
では何故こんなことになってしまったのか。
事の経緯は数時間前に遡る──
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今から200年前、世界に七つの塔が現れた。
天高く聳え立つ巨塔に呼応するように、人類に与えられた進化──それが魔法。
女性にのみ発現し、物理も科学も超越した有限ならぬその力は瞬く間に世界の秩序を変えた。
ある者は不治の病を癒し、ある者は枯れた大地に緑を与え、そしてある者は国を相手に引き金を引いた。
何のために塔や魔法が生まれたのかは誰も知らない。
しかし、一番初めに魔法を手にした少女──後の始祖の魔女はこう語った。
『七つの塔は概念創製装置。汝、神の座を求めよ』
つまりあの塔は人で在りながら神へと至る為の装置だと。
未知への好奇心。
偉大なる存在への憧憬。
傲慢なまでの欲望。そして願望。
人々はその塔に夢を見た。
人生を賭して、歩みを進める。
未だ頂の見えぬその塔へ、人類は挑戦し続ける。
「そして塔の攻略を目指す少女達を育成する為に創設されたのがこの学園だ! さあ、生徒諸君。夢を追え! 儚きその命を燃やし尽くし未来を切り拓くのだッ!」
演説を終え、沸き上がる拍手の中、女性が壇上から去っていく。
本日は此処、第六塔・魔法育成学校の入学式である。塔を攻略するための優秀な魔女を育成するためのお嬢様学校だ。
拍手喝采。
熱気に包まれたホールの中でひとり、おどおどしながら隣に立つ少女に、僕は声をかけた。
「緊張していますか? 鈴音お嬢様」
「うぅ……ごめんね。でも、やっぱり不安で……」
きゅっ、とスカートの端を握る銀髪の少女。
彼女の名前は白雪鈴音。
この春から僕が仕える、儚くも可憐なお嬢様だ。
しかしその手は小さく震えていて、紡がれた言葉も自信なさげだ。
無理もないだろう。
第六塔・魔法育成学校の誇る【魔女育成プログラム】は世界でも、トップクラスだ。
当然、日本中から──更には世界からも人材が集まる。
つまりは選び抜かれたエリート集団。
その中で。
唯一。
彼女だけは魔法が使えないのだから。
「高等部からは実技試験もあって、実際に塔の攻略をしたりするんだって。どうしよう。……私、退学になっちゃうのかな」
小柄であり、僕との身長差のあるお嬢様は、瞳を潤ませてこちらを見上げてくる。
どうにか励ましてあげたいところではあるけれど、さてどうしたものか。彼女がこれまで相当苦労してきたことは、聞いている。並々ならぬ覚悟でこの学園にいることも、どんな扱いを受けてきたのかも。
「適性はあるんです。きっとお嬢様も良い魔女になれますよ」
魔法の適性属性は髪と瞳の色に出る。
鈴音お嬢様の持つ銀髪銀眼は、彼女が光属性の適性を持っているが故だ。
魔法に適性のない女性も一定数いるが、その場合日本人は黒髪で産まれてくる。
お嬢様のように適性があるにも関わらず魔法の行使ができないというのは非常にレアなケースだ。今後魔法が使えるようになる可能性も、極めて低い。
入学式にも関わらず、既に退学の心配をするお嬢様に、僕は無責任な励ましの言葉を贈ると、彼女と共に集会所を後にした。
空はこんなにもいい天気だというのに、鈴音お嬢様の顔は晴れないままだ。
「……ねえ希璃くん。希璃くんは私のこと、嫌いにならないでくれる?」
「嫌い? どういう意味ですか?」
「私、魔法が使えないから、多分希璃くんにもいっぱい大変な思いさせちゃうと思うの。……本当は従者だって、希璃くんには頼みたくなかったし」
「そう言えば、この前も言ってましたね」
彼女は妹の友人で、僕も昔からの知り合いである。
僕自身は5年近く交流も無かったのだが、家庭の都合で高校を中退することになった僕を白雪家が拾ってくれたのだ。
まあつまり、僕は妹のコネで就職した身である。
しかし当の本人というか、鈴音お嬢様は何故か僕の世話役としての同行を強く拒絶した。
他に候補者もおらず、結局はこうして僕が選ばれた訳だが、彼女にとっては不本意だっただろう。
「お嬢様は僕のこと、お嫌いですか?」
「えっ、いや、違うよ! 全然そんなことない! むしろその逆で……えっと、だからこそ、その、希璃くんには情けないところ、見て欲しくなくって」
「そうですか」
この件については、この子にも色々と思うことがあるらしい。それに対して深く詮索しようとも思わないが、必死に言葉を紡ぐ彼女の事情をできる限り汲んであげたいと思った。
「鈴音お嬢様、ホームルームまで時間があります。少しだけ校内探索をしてから教室に向かいませんか?」
「うん。……そうだね、私が案内するよ」
お嬢様に手を引かれるようにして、敷地内を歩き回る。広い敷地を持つ学園だけあって、なかなかに壮大だ。花壇や植木、石像といった装飾もあって、学園がひとつの芸術のよう。
しばらく歩き回った僕達はやがて時計台の上に辿り着いた。学園中を見渡せる丘の上の高台だ。
この学園はお嬢様学校だけあって、すれ違う人達の大半は女性である。正直あまり居心地の良い空間ではないが、こうして道行く人の性別も分からないくらい高い所に上ると、なんだかとても呼吸が楽になった気分になる。
ホームルームまでは……後20分か。
「あの塔の頂きはここよりも遥かに高くて──想像もつかないくらいの空の果てにあるんだろうなあ」
ここからでも見える塔を眺め、何となく呟く。
僕だってあの塔の謎が気にならないわけじゃない。見てみたいのだ。この世界の真実を。人類の夢を。
ただ200年もの間、誰も攻略できていないあの塔を都合良く自分が攻略できるとも思えないのも、また事実。
「そう、だね。でも……きっと、手が届かないくらいに果てしないからこそ、私たちは憧れるんだ」
そう言って手を伸ばすお嬢様は、どこか大人びて見えた。
彼女があの塔に何を望んでいるのかは知らない。
それでも彼女がその夢を昔から違うことなく持ち続けていることだけは知っていた。
だからこそ──こんなにも僕は力になりたいと思うのだろう。
「きっとあそこには想像も絶するような試練が待ち受けるのでしょうね」
たくさん苦しむことになるだろう。
逃げ出したくなることもあるだろう。
挫折だってする。
傷だらけになりながらも進まなければならない。
夢を追うとはそういう事だ。
「お嬢様が何を恐れているのか、僕にはよく分かりません。でもこれからはいつだって──僕が傍にいる 」
寧耐は事を成す。なんて言葉もあるけれど、我慢なんかしなくてもいい。
辛いときはすぐ僕に頼って欲しい。
見栄なんて張らなくていい。
僕はありのままの彼女を受け入れる準備ができている。
「苦しけりゃ背中を摩ってやるし、頑張ったら頭を撫でてやる。甘えたっていい。押し付けたっていい。だけど折れるなよ。世界の頂きを見せてくれるって【契約】覚えてるか? 僕は今でも楽しみにしてるんだぜ?」
従者ではなく昔馴染みの兄貴分として。
僕が彼女に伝えてあげられる精一杯のこと。
例え何もかもが上手くいかなくても、まあ、一緒に死んでやるくらいならできるだろうさ。
鈴音は驚いたように瞳を揺らしてから、やがて胸の前で手を抱き、噛み締めるように目を瞑った。
「……うん。 うんっ! 約束、したもんね。私は希璃くんに今よりずっと、ずーっと! すっごい景色を見せてあげるんだ!」
嗚呼、ようやく笑ってくれた。
その笑顔は歳相応で、何処か子供じみて見える。
だけどそれでいい。僕のお嬢様には笑顔が似合う。
「お手をどうぞ、鈴音お嬢様」
差し出した右手。
キュッと握るお嬢様の手はさっきより少しだけ温かかった。
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東校舎の4階。高等部1年Dクラス。
今日から僕とお嬢様が過ごす教室。
いよいよ始まる新生活への門出だ。
扉を開け、お嬢様を教室内に誘おうとしたその時──頭上から黒板消しが降ってきた。
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