第14話 第8の大罪 その3
「え? お誕生日、ダメなんですか?」
「ごめんなさい、どうしても仕事の予定を動かせなくて」
「お父さんも急な出張が入ってな」
リンが羨んだタワーマンションの自宅で、ステラは――寺田すみれは、両親からそう告げられていた。
中学1年生、13歳の誕生日。
しかし、それを祝ってくれるはずの家族は、仕事を優先させて謝るばかり。
「本当にごめんよ。ケーキとプレゼントは買っておくから。
VRの機械、欲しがってただろ?」
「すみれも中学生だし、もう大丈夫よね?
お友達と一緒にパーティーしてもいいのよ」
「まだできてません。引っ越してきたばかりなので」
「ああ……うん……中学で作れるといいな、新しい友達」
話しているうちに気まずくなって、窓の外へと目を向けるすみれ。
高層ビルから見下ろす街並みの中で、民家がミニチュアのように並んでいる。
そこに暮らす人々から見れば、まるで世界が違う豊かな家庭だ。
ただし、その豊かさには代償が伴う。
仕事が順調なのは良いことだが、両親が忙しくなっていくにつれて、3人しかいない家族が顔を合わせる時間は減っていった。
その後、VRの世界でサクヤたちに会い、現実世界の中学でも親友ができたが――
しかし、家の中で過ごすときはいつもひとり。寺田すみれという少女には、常に孤独がまとわりついている。
「こ……これは……!」
そうして、ラヴィアンローズの魔女として成長したステラは、驚きの表情で固まることになった。
最後の扉が開くと、その先にも大量の試験管。
内部に収められているのは、おおよそ生物とは言いがたい奇妙なオブジェの数々。
ワニのように口が割けているが、その部分以外は植物にしか見えない正体不明の物体。
試験管には『M-04』と書かれ、コンソールを通して説明文が表示される。
Tips――――――――――――――
【 実験体M-04号 】
植物と動物の融合を試みたが失敗。
予想を超える植物の適応力が、あっという間に動物の遺伝子を飲み込んでしまった。
前回の昆虫タイプと同様、扱いを間違えれば人類は滅ぶに違いない。
――――――――――――――――――
「ここにあるのは……今までの実験体たち……」
生理的嫌悪を感じないステラですら、胸の中に嫌なものがこみ上げてきた。
ここに入るためには【ナイアーラホテップ】を使役していなければいけないため、それなりに耐性を持つ者だけが来る場所だ。
ホラーが苦手な人にとっては、強烈なトラウマになるかもしれない。
先ほどの保管庫にいたモンスターたちは、遺伝子実験のための材料。
そして、こちらの実験室で組み換えの研究が行われていたらしい。
その失敗作として肉塊や怪物に変異した『実験体M』シリーズ。
試験管の中には胎児のようなものもいたが、表示される説明文の内容が尋常ではない。
Tips――――――――――――――
【 実験体M-09号 】
ようやく人間の遺伝子を組み込むことに成功したが、胎児の時点で変異。
すでに生殖能力が備わっており、この状態で何かを妊娠している。
増殖して手に負えなくなる前に処分。
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風船のように腹部が膨らみ、得体の知れないものを妊娠している胎児。
ステラでなければ、あまりの嫌悪感に吐き気をもよおすだろう。
すぐ近くにあったのは、苦悶の表情を浮かべた人間のような生物。
蚊やハエを思わせる複眼が顔の左半分を覆い、脇腹から6本目の腕が生えている。
Tips――――――――――――――
【 実験体M-12号 】
ついに全ての遺伝子を統合できた。
実験用の素体に胚を植え付けてみたが、急激に変異。
やはり昆虫の遺伝子は強すぎる。もっと比率を下げなければ。
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まさに命を弄ぶかのような所業。
遺伝子実験は難航していたようで、数々の失敗作を生み出しては処分に至っている。
そして、16番目の『M』。
【ナイアーラホテップ】が収められていたであろう場所は他と違い、空の試験管が床に転がっているのみ。
Tips――――――――――――――
【 実験体M-16号 】
この世のものとは思えない化け物だが、驚くべきことに遺伝子の結合は安定している。
制御さえできれば私の悲願は叶うだろう。
これまでの実験体の中で唯一、処分することなく休眠保存が可能だったことも特筆に値する。
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「ここが……ナイアーラちゃんの生まれた場所」
「キュルルルロロロ」
文面のとおりなら、この16号が唯一の生き残りだ。
【ナイアーラホテップ】は巨体を浮遊させ、部屋の隅に置かれた装置のほうへと向かっていく。
ミッドガルドとは思えないほどの科学的な機械が並んだ一角には、椅子に座った姿勢で朽ち果てた死体がひとつ。
白衣を来たままミイラ化しており、おびただしい血の跡が床に染み付いている。
「オ……オオォ……アアア……」
そのミイラを前に、【ナイアーラホテップ】は聞いたこともないほど悲しげな声を上げた。
まるで、研究者の死を嘆くかのような嗚咽。
そこには先ほど見た研究日誌がいくつも置いてあり、全ての経緯が明らかになっていく。
Tips――――――――――――――
【 研究日誌 No.3 】
この世には神などいないと思い知った。
なぜだ! なぜ私から妻だけでなく娘まで奪う……!
私は神を信奉し、研究を人類のために役立てると誓っていた。
その仕打ちがこれだ。神どころか浅ましく契約を迫る悪魔すらいない。
ならば、私がなってやろうじゃないか。もはや禁忌など恐るるに足らず。
我が名はエイブラハム・オーティス。
これより神に背き、あらゆる手段を使って娘を――マリアを取り戻す。
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「エイブラハム・オーティス……
まさか、これがナイアーラちゃんの……お父さん!?」
「オオオオオォ……」
致命傷を負って朽ち果てた研究者のミイラ。
それこそが怪物たちの生みの親、全ての元凶であった。
家族を失った哀れな男は、遺伝子科学を使って禁断の技術に手を染める。
日記はまだ続いており、順を追って実験の経緯が綴られていた。
Tips――――――――――――――
【 研究日誌 No.15 】
マリアのクローン実験は成功。
しかし、そのままでは彼女が生まれつき患っていた難病、遺伝子の欠損まで再現してしまう。
ただ蘇らせるだけでは、再び苦しみながら死んでいくだけだ。あんなものは二度と見たくない。
このクローンを素体にして、他の生物が持つ強靭な生命力を組み込めば、あるいは――
マリアは足りない遺伝子を自身で補い、難病を克服できるかもしれない。
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よほど娘を愛していたのだろう。
禁忌に触れることを決意した父親は、娘の難病を取り除くために、あらゆる手段を施した。
しかし、その報いは目を覆いたくなるような実験結果として、彼の身に降りかかっていく。
Tips――――――――――――――
【 研究日誌 No.32 】
私は何ということを!
神よ許したまえ……あれは……あんなものはマリアではない!
人間どころか、まともな生き物ですらない。
処分したときの悲鳴が、地獄のような金切り声が、頭の中に染み付いている。
これが罰……禁忌に触れてしまった者への裁きなのだろうか。
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この部屋に並ぶ失敗作を見るだけでも、常人にとってはトラウマになりかねないほど恐ろしいのだ。
それを自身の娘から作り出すという狂気。
愛ゆえに精神を保っていたとしても、人間には限界がある。
日誌を読み進めていくたびに、すり減って歪んでいく彼の精神状態が見て取れた。
Tips――――――――――――――
【 研究日誌 No.56 】
失敗だ。またしても化け物が誕生したため即刻処分。
娘の遺伝子で異形を作り出しては殺し、また異形を作っては殺す。
人類の歴史上、これほどの大罪人が他にいるだろうか。
いったい何をやっているんだ……こんなはずではなかった。
いっそ、私も命を断ってしまえば……そうすれば、昔のように3人で幸せに……
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長い期間をかけて続けられた禁忌の研究。
おそらく、先天性の難病を持つ娘にモンスターの遺伝子を融合させて、病魔に負けない人間を作りたかったのだろう。
それは神に背く行為であり、おぞましい実験結果となって彼を打ちのめす。
だが、エイブラハムは諦めなかった。
15体もの失敗作を生み出していながら、それでも成功への活路が見え始めていたのだ。
Tips――――――――――――――
【 研究日誌 No.79 】
素晴らしい成果だ! 姿こそ醜いが16号は安定している。
攻撃的だった他の実験体と違い、私を親として認識する知能もある。
あとは変異を最小限にして、胚をクローンに埋め込めば、きっと……
マリア! 父さんはここにいる! もうすぐ会えるよ!
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姿はともかく、最も理想に近い16号の【ナイアーラホテップ】が誕生した。
人にとっては目を背けたくなるような怪物でも、父親には喜ばしい成果だったのだ。
気が狂いかけるほどの失敗の中で、さぞかし明るい兆しに見えたことだろう。
しかし――それゆえ、エイブラハムは結果を急ぎすぎた。
Tips――――――――――――――
【 研究日誌 No.83 】
なんということだ……17号は私を認識できず……攻撃……し……
16号を目覚めさせ……止めようとしたが……間に合わない……
マリア……もう少しだった、のに……あと一度だけでも……お前の声が……
すまない……愛して……いる……最愛の……私の娘……
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それが最後の日誌だった。
なぜ恐ろしい実験体が山奥で生まれ、さまよっていたのか。
全ては娘を取り戻そうとする父親の狂気と、揺るぎなき愛によって紡がれていたのだ。
日誌を読み終えたステラの目からは、熱い涙が流れ落ちていく。
「う……うぅ……最低です、こんな……こんなひどい実験!」
ステラは恐怖を知らない。生理的な嫌悪も感じない。
それゆえ、彼女の胸を打ったのは純粋な悲しみと怒り――そして、親と子が求めあうことへの共感であった。
「そうなんですね……ひどい姿にされても、ナイアーラちゃんは娘だから……
お父さんが好きだから許せるんですね……こんなにも家族のことを、必死に生き返らせようとして……うっ、ううううっ」
異形の怪物に身を寄せ、ステラは涙を流す。
もはや泣くこともできなくなった実験体の代わりに、マリアの嘆きを理解して泣く。
誰かの手で作られたVRの世界だと知っていても、ステラにとって他人事ではなかった。
両親を想う気持ちは彼女も同じだ。誕生日のお祝いをキャンセルされたくらいでは、憎むことなんてできない。
自分を生んで愛してくれた家族は、この世にたった2人しかいないのだ。
「キュルルルル……」
【ナイアーラホテップ】は大きな手や触手を伸ばし、自分のために泣いてくれた主人をそっと包み込む。
謎に包まれていたユニットと魔女――マリアとステラ。
2人の少女はこのとき初めて、互いの存在を深く理解しあったのだった。




