第9話 はじめての戦場 その6
光の届かない深海には、フクロウナギという奇怪な魚がいる。
およそ1mにもなるウナギの仲間で、体の3割を巨大な口が占めるという凶暴な捕食者。
自分の体よりも大きな相手ですら襲いかかり、丸ごと飲み込んで胃袋に収めてしまう姿は、獲物を包む袋のように見えるという。
攻撃形態になった【ナイアーラホテップ】は、まさにその姿を模していた。
体の半分を口に変えることで、ドラゴンの頭ですら噛み砕く恐ろしい一撃。
【ニーズヘッグ】は巨木が花を散らすかのようにサラサラと消え、契約者のアリサも後に続く。
「伏兵を逆に利用されて、【ニーズヘッグ】がやられたどころか、貫通ダメージでボクのライフまで尽きた……
は、ははは……名前は憶えたよ、ステラ……本当にキミたちは面白い」
消滅する瞬間のアリサは、なぜか楽しげな表情だった。
【エルダーズ】の内外でも、誰ひとりとしてここまで完璧に彼女を上回った者はいない。
アリサに名前で呼んでもらえたのは、強者として認められたことの証である。
「ふぅ~、これでどうにか追いつけましたね」
与えられた1分間は過ぎたが、フィールドを覆う黒炎は邪竜と共に消え去った。
戦いを終えて息をつくステラの胸を、安心感が満たしていく。
『ファイターズ・サバイバル』で不運にも仲間と当たってしまい、敗退して予選落ちになったことは、ステラにとって大きな反省点であった。
クラウディアには1ダメージも与えられず、親友のリンは次々と成果を上げていく。
ステラは基本的に『良い子』なので自己顕示欲は強くないのだが、それでも焦りを感じていたのは事実だ。
しかし、そんな彼女に前を向かせたのも、他ならぬリンである。
「あたしはさ、将来のことなんて全然考えてなかったけど。
でも、少しは自分なりに考えてみるよ。
クラウディアに、ステラに、ソニアちゃん、あとはサクヤ先輩とウチの兄貴。
みんな、すごくいい仲間だから……ずっと一緒にいたいって思う」
「同感です。クラウディアとお友達になれたのは本当に奇跡ですよ。
この先もついていくのは、大変だと思いますけど」
「だったら、全力で追いかけよう! そのほうが絶対面白いって!
あんなすごい子、滅多にいないんだから」
現実世界でのオフ会が終わった日、リンはクラウディアの背中を全力で追いかけると宣言した。
その言葉はステラにも勇気を与え、前向きに努力するきっかけになったのだ。
そして今日、偶然にも大会でクラウディアを破ったアリサと鉢合わせる。
戦いを始める前にも言ったように、これは彼女自身のための決闘であった。
「キュルルルルララララ」
「ナイアーラちゃん、お疲れ様でした。ぴったり息があってましたね」
「グルオオオオオッ」
口から粘液を垂らし、巨体をゆすりながら喜びを表現する【ナイアーラホテップ】。
先ほどの攻撃形態は解除したようで、いつの間にか通常の姿に戻っている。
ステラは怪物の体を撫でてやると、呆然としたまま立っていた【エルダーズ】の女性に向き直った。
「この戦いは、どうやら2対1だったみたいですね。
そちらのユニットを出してもいいですよ。続きを始めましょう」
「ひっ! ひいぃ……っ!」
世にも恐ろしい怪物を使役するVR世界の魔女。
150人もいる日本最大のギルドで無敗だった首領を、この少女は打ち負かしたのだ。
女性は慌ててユニットを召喚したが、もはや結果は決まっているようなもの。
【ナイアーラホテップ】の姿を見た者は、誰ひとりとして生き残れない。
戦場に女性の断末魔が響くまで、それほど時間は掛からなかった。
■ ■ ■
「いや、しかし……よく頑張るな、あんた」
同時刻、ユウは古代林エリアの浜辺にいた。
樹齢1000年はあろうかという巨大な木々と、マングローブが群生する白い砂浜で構成された自然豊かなエリア。
戦いよりもバカンスを楽しみたい南の楽園だが、ここでも激しい戦闘が行われている。
「1発当たれば終わりだ! 【シャドーブレイダー】で攻撃宣言!」
「ギキィイイーーーーッ!!」
Cards―――――――――――――
【 シャドーブレイダー 】
クラス:レア★★★ タイプ:昆虫
攻撃3000/防御1000/敏捷120
効果:【タイプ:昆虫】または【タイプ:飛行】のユニットとバトルしたとき、【基礎攻撃力】+1000。
スタックバースト【血塗られし刃】:永続:上記の効果で上がった【基礎攻撃力】が永続となる。この効果は重複しない。
――――――――――――――――――
ユウが使っているのは、このところメインアタッカーを務めている漆黒のカマキリ。
攻撃特化だが、昆虫ユニットの特徴である素早さを活かして攻められる。
しかし、そんなカマキリと対峙するユニットは、場違いにも程がある★2アンコモン。
カードを持っていない初心者ならともかく、大会の上位に食い込んでくるような熟練者が使役している。
「カウンターカード、【グランド・スライディング】!」
Cards―――――――――――――
【 グランド・スライディング 】
クラス:アンコモン★★ カウンターカード
効果:ターン終了まで、使用者が所有するユニット1体を防御不能にし、対戦相手のユニット1体を攻撃不能にする。
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美しい海岸の砂を巻き上げ、スライディングで足元をすくう影。
バランスを崩されたカマキリは攻撃に失敗し、両手の鎌を振り上げて威嚇する。
立ち込めた砂ぼこりが薄くなっていく中、そこにいたのは緑色の昆虫ユニット。
金属バットを構えたバッタが、華麗にポーズを取って身構えていた。
Cards―――――――――――――
【 バターバッター 】
クラス:アンコモン★★ タイプ:昆虫
攻撃500/防御1000/敏捷160
効果:いかなる状況でも、このユニットのステータスは変化しない。
スタックバースト【弾丸ライナー】:永続:このユニットが攻撃したとき、相手の防御に関わらず貫通ダメージが発生する。
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南国の太陽を浴びて、ツヤツヤと輝くバッタ。
なぜか全身にバターが塗られており、香ばしいにおいが漂う。
このイベントでは無謀でしかない★2だが、それを操るのは同じく場違いな姿をした野球少年。
甲子園球場から来たかのような、ユニフォーム姿のキャプテン・マツモトであった。
「くっそ~、粘るな……1発でも当てれば俺の勝ちなのに」
「はっはっはっ! 俺と相棒が、そう簡単にやられると思うなよ!
こっちからいくぞ! プロジェクトカード、【デュアル・インパクト】!」
Cards―――――――――――――
【 デュアル・インパクト 】
クラス:レア★★★ プロジェクトカード
効果:ターン終了まで、目標のユニット1体は2回の攻撃宣言が可能になる。
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本来ならば決闘の流れをひっくり返しかねない、強力かつ希少なカード。
数多のプレイヤーが欲しがる高級レアカードを、惜しげもなくアンコモンに対して使用する。
「オラァ! ファースト! もういっちょ、ファーストぉ!!」
リンも苦しめられた【バターバッター】による千本ノック。
カマキリに激突した野球のボールは、スタックバーストの効果によってプレイヤーへの貫通ダメージとなる。
手痛い攻撃だが、ユウはマツモトの正気を疑った。
相手のユニットを倒せば勝ちになるイベントで、わざわざプレイヤーが持つ4000のライフを削ろうとしているのだ。
「ううっ、なんてヤツだ……!
そんなにカードを使いまくってたら、相当きついんじゃないか?」
「ああ、きつい! 1試合で2人倒せるかどうかだ!
しかし、俺の相棒は世界に1枚しかないからな」
「いや、もっと他に色々あるだろ! 【シャドーブレイダー】で攻撃!」
「俺自身が受ける! カウンターカード、【受け流しの極意】!」
Cards―――――――――――――
【 受け流しの極意 】
クラス:アンコモン★★ カウンターカード
効果:使用者が2000以上のダメージを受けたときに発動可能。
ターン終了まで、目標のユニット1体の攻撃力に-1000。
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人間よりも大きなカマキリの攻撃を真正面から受け、マツモトは自身のライフを削って耐えた。
打たれ弱い★2を使っていく以上、こうしたフォローが必要になる。
いくつものリスクを抱えた上で、彼は相棒と共に戦う道を選んでいるのだ。
「あんた……バカだけど心意気はすげえよ。
そこまで1枚のカードに全力を注ぐヤツなんて滅多にいないし、実際に大会じゃ結果を出してるもんな」
「ははっ、あの大会は本当に面白かった。
あこがれのスタジアムを前にして、中学生の女の子に負けてしまったが……」
「ああ、あいつな。俺の妹なんだよ」
「何ぃいいっ!? こんな場所でリンの兄弟に会うとは!
世間は広いようで狭いとは、よくいったものだ!」
「せっかくだし、フレンド登録でもしておくか?」
「いいとも、昆虫ユニットを愛する同志よ!
だが、勝負で手を抜いたりはしない! いくぞおおおおっ!!」
温かい海風が吹く南国の砂浜で、昆虫ユニットの激しいバトルが続く。
偶然の出会いを経て兄とマツモトが知り合いになったことなど、遠く離れたリンには知るよしもなかった。




