第8話 はじめての戦場 その5
「始める前に言っておきたいのですが」
アリサとの距離を保ちながら、杖を手にしたステラが語りかける。
20世紀のヨーロッパ戦線を模したエリアの中、新時代の魔女は真正面から相手を見据えていた。
「私がここに来たのは、クラウディアのためでも、リンのためでもありません。
あくまでも、自分のための決闘です」
「ふぅ~ん、別に私情があろうとなかろうと、やることは同じだから関係ないんだけどね。
プロジェクトカード、【スニーキング】を解除!」
初対面の挨拶から間を置かず、すぐさま戦闘態勢に入ったアリサ。再び地面に亀裂が走り、深淵から巨大な【ニーズヘッグ】の上半身が現れる。
広がる黒炎と共に、半径100mまでのフィールドを制圧する邪竜。
かつて友が相まみえた強敵を、ステラは片手で帽子を押さえながら見上げた。
「これが、あのときの……実際に近くで見ると、ものすごい威圧感です」
「ボクのライフは残り1100だから、【ニーズヘッグ】の攻撃力は2900。
あなたはそれ以上の【基礎防御力】を持つユニットを出さなきゃいけない」
「厳しい条件ですね。このラヴィアンローズで一番高い【基礎防御力】が、いくつなのか知ってますか?」
「もちろん、知ってるよ。クラウディアが持つ【ダイダロス】の3400が最高値」
【基礎○○力】とは、強化効果を含めない元々の数値。多くのユニットの場合、カードに書かれている数値そのものを指す。
この世界で最高の防御力を誇る【ダイダロス】ですら3400。
よほどステータスが高くない限り、ほとんどのユニットが焼き尽くされてしまうだろう。
「さすがに★4でもなければ、耐えきれない数字です」
「そうは言うけど、クラウディアのギルドには3枚も集まってるでしょ。一部の人しか持たないはずの★4が。
まさか……あなたまで持っていたりはしないよね?」
「さて、どうでしょうか?」
クスッと微笑むステラの態度は、決して虚勢ではない。
その気になれば、今すぐ★4を使うことができる。
しかし、【ニーズヘッグ】の扱いは非常に難しい。
魔法のごとく数々の戦略を持つステラだからこそ、今回は注意深く慎重に状況を見極めていた。
「それでは、私もいきますね。1分間しか余裕がないので、勝負は一瞬で決まると思います。
プロジェクトカード、【豊穣なる大地】!」
Cards―――――――――――――
【 豊穣なる大地 】
クラス:アンコモン★★ プロジェクトカード
効果:ターン終了まで、【タイプ:植物】のユニット全ての【基礎攻撃力】と【基礎防御力】に+800。
――――――――――――――――――
ユニットを召喚する前に、ステラは1枚のプロジェクトを発動させて下地を整えた。
植物タイプ限定だが、【基礎ステータス】を底上げできる稀有なカード。
ターン終了まで――つまりは60秒の間だけ、この効果がフィールドに存在し続ける。
「【基礎ステータス】の強化? なるほど、そんなことができるのは植物デッキの特権だね」
「いいえ、私が扱うのは植物であって植物ではありません。
アリサさんは戦略的にユニットを隠していたみたいですけど、私は少し違う理由で……
あまり知られたくなかったんですよ、この子の存在を」
そして、宣言しないままユニット召喚。
戦場の荒れた地面に、カツンと杖を打ち下ろすステラ。
その場に輝く魔法陣が描かれ、異様な姿の怪物が這い出てくる。
体はムカデのように長く、昆虫の足や海洋生物の触手が生え、甲殻類のハサミに、人間のような5本指の両手。
ボロボロに穴が空いたドラゴンの翼で飛び、ハエトリ草のごとく上下に裂けた頭部からは、何本もの舌が粘液を垂らしながら伸びる。
そんな悪夢のようなキメラ生物が、おぞましい叫び声を上げながら顕現した。
「キュルルルルラララララララララッ!」
Cards―――――――――――――
【 実験体M-16号 ”ナイアーラホテップ” 】
クラス:レア★★★ タイプ:人間/動物/植物/飛行/竜/水棲/昆虫
攻撃2400/防御2200/敏捷70
効果:1ターンに1回使用可能。フィールド上にいるユニット1体と同じ【タイプ】を得る。
スタックバースト【禁断の生命】:永続:このユニットの攻撃と防御が『所有する【タイプ】×300』上昇する。
――――――――――――――――――
「きゃあああああーーーーーーっ!!」
現れたユニットの姿があまりにも恐ろしかったのか、普段は絶対に上げない女の子の悲鳴が漏れてしまうアリサ。
こんな怪物が目の前に出現したら誰でも叫ぶと思うのだが、その飼い主である魔女だけは平然としたまま。
「コホンッ! な……なに、そのバケモノ!? 見た目もタイプも、ごちゃ混ぜじゃない!」
「不思議な子ですよね。私も初めて見たときは、ビックリしました」
ステラがユニットを出していなかったのは、この新種を伏せておくためである。
そのつど召喚して戦うので、後手に回ってしまうリスクはあるのだが、【ナイアーラホテップ】の姿を見た者は誰も生き残っていない。
ホラー映画の怪物さながらに、ステラはひとり、またひとりと対戦相手を闇へ葬ってきた。
7つもの種族を持つ実験体は、対策されやすいというデメリットと引き換えに、数多くの種族限定カードを使うことができる。
あらかじめ【豊穣なる大地】を発動させたことにより、その【基礎防御力】は黒炎を耐えられる数値まで上昇していた。
「まったく、いい趣味してるよ……でも、1分間を耐えきればボクの勝ちだ。
カウンターカード、【ニーズヘッグ】に【パワーシールド】!
【ナイアーラホテップ】には【粘着スパイダーネット】!」
Cards―――――――――――――
【 パワーシールド 】
クラス:アンコモン★★ カウンターカード
効果:ターン終了まで、目標のユニット1体がバトルで受けるダメージを1000軽減する。
【 粘着スパイダーネット 】
クラス:アンコモン★★ カウンターカード
効果:ターン終了まで、目標のユニット1体の【基礎攻撃力】をゼロにする。
この効果が持続している間、使用者は他のカウンターカードを発動できない。
――――――――――――――――――
ステラが攻撃を宣言する前に、アリサは2枚のカウンターを放つ。
【ニーズヘッグ】のステータスは外的な要因で変動しないため、被ダメージを抑えるカードで保護。
そして、リンとの戦いでは敗北の原因になった【粘着スパイダーネット】。
今回は順番を間違えずに使いこなし、奇怪な実験体すらもクモの糸で捕縛してしまう。
「そっちの【基礎攻撃力】はゼロ、ボクの【ニーズヘッグ】は2100ダメージまで耐えられる。
さあ、どうする? 時間はどんどん過ぎていくよ?」
「うっ……用意周到ですね。
ですが、あなたの倒しかたはリンが実践してくれました。
リンクカードを装備! 私のライフを2000支払って、【ネクロノミコン】で強化します!」
Cards―――――――――――――
【 魔導書『ネクロノミコン』 】
クラス:レア★★★ リンクカード
効果:このカードを装備させるとき、自分のライフを半分まで支払える。
支払ったライフと同数の攻撃ステータスを、装備したユニットに追加する。
――――――――――――――――――
クモの糸で拘束された【ナイアーラホテップ】の上に、禁断の魔導書が浮かび上がる。
その本からポタリと血液が垂れ落ちた直後、怪物は糸を引き裂いて自由を取り戻した。
使用者のライフを代償に、大幅な強化効果を与える★3レアのリンクカードだ。
【基礎攻撃力】はゼロまで落とされているが、上から強化効果を乗せることは可能。
リンはこの抜け穴を利用し、わずか200ポイントのダメージをすり抜けさせて勝利した。
「これで攻撃力は2000です。続いて【ナイアーラホテップ】のユニット効果発動!
フィールド上にいるユニットから【タイプ】をひとつ吸収します。
得るのは【ニーズヘッグ】の悪魔タイプ!」
「そんなにタイプを持ってるのに、8個目を追加?
なるほど、【ナイアーラホテップ】のスタックバーストが狙いだね」
「いいえ、【ニーズヘッグ】と同じ悪魔タイプになったことで、このカードが適応されます。
プロジェクトカード発動、【同族殺しの大罪】!」
Cards―――――――――――――
【 同族殺しの大罪 】
クラス:アンコモン★★ プロジェクトカード
効果:ターン終了まで、同じタイプのユニットとバトルした場合、ユニットの攻撃ステータスは2倍になる。
――――――――――――――――――
「バトル相手が同族の場合だけ、攻撃力を2倍にするカード!?
そうか……だから悪魔タイプを!」
「攻撃力4000、これで準備完了です! 【ナイアーラホテップ】で攻撃宣言!」
ステラが扱う怪物は、複雑な姿をしているせいか動きが少々遅く、敏捷は70と控えめ。
しかし、対する【ニーズヘッグ】も巨体であるがゆえに敏捷は50。
このイベントのルールにより、同時に攻撃できる状態になった場合は、敏捷ステータスの高いほうが先制できる。
アリサは【粘着スパイダーネット】を発動したため、もはや他のカウンターカードは使えない。
通常なら打つ手はないはずなのだが、彼女はあざ笑うような表情で待ち構えていた。
「【ニーズヘッグ】で受けるよ。
なるほど、クラウディアやリンの仲間ってのは伊達じゃないらしい。【鉄血の翼】は本当に楽しい人たちばかりだ。
でも、悪いけど――茶番はここまでにしよう。【豊穣なる大地】を消してくれる?」
「かしこまりました! 【スペル・キャンセラー】!」
Cards―――――――――――――
【 スペル・キャンセラー 】
クラス:レア★★★ カウンターカード
効果:フィールド上のプロジェクトカード、およびカウンターカード1枚を指定し、そのカードを破棄する。
――――――――――――――――――
「…………えっ?」
突然のことに、ステラは呆然とした表情で固まった。
そのカードを発動させたのは、アリサ自身ではない。戦場に転がる瓦礫の裏に隠れ、今まで身をひそめていた伏兵。
【エルダーズ】に所属する黒ずくめの服を着た女性が、ステラの生命線である【豊穣なる大地】を破壊したのだ。
「キュルルルルアアアアアアーーーーーーッ!!」
【基礎防御力】の強化を解かれ、たちまち黒い炎に飲まれて叫ぶ【ナイアーラホテップ】。
その様子を眺めて口の端を吊り上げながら、アリサは凶悪な笑みを浮かべていた。
「あはははははは!! ははははははははっ!!
堂々と1対1の勝負ぅ? そんなもの、今回のイベントでやる必要はないんだよ!」
「…………っ!」
「何でも無効化できる【スペル・キャンセラー】、そんな★3レアは手に入れるのが大変だけどね。
こうして、持ってる人を仲間にすることはできるのさ」
「ま、まさか……最初からこれを狙って……!?」
「そうだよ。ボクの指示ひとつで、いつでも【豊穣なる大地】を消せたんだ。
それなのに、あれこれ必死に考えて……ふふっ、あはははははっ! 実に面白い茶番だったなぁ!」
アリサは最初から勝っていた。
彼女が言うように、1対1で戦わなければいけないというルールは無い。
大勢のプレイヤーが入り乱れる戦場で、後ろから撃たれたことを非難しても意味はないのだ。
本来の数値まで防御力を落とされた【ナイアーラホテップ】は、【黒炎の呪縛】の効果によって”即座に”破棄される。
それはカウンターによる強化を挟む余地がないということであり、逃れられない処刑宣告であった。
が、しかし――ここでステラは1枚のカードを発動させる。
「笑うのが少し早いんじゃないですか?
まだ【ナイアーラホテップ】の攻撃宣言は続いています! 【カウンターリフレクション】!」
Cards―――――――――――――
【 カウンターリフレクション 】
クラス:レア★★★ カウンターカード
効果:相手プレイヤーが使用を宣言、または破棄したカウンターカードを指定し、対象と同じ効果のカードとして発動する。
――――――――――――――――――
「これで【スペル・キャンセラー】をコピーして、【スペル・キャンセラー】を破棄します!」
「「な……なにぃーーーーーっ!?」」
その瞬間、すべての計算が音を立てて狂う。
アリサと部下が驚愕する中、予想外のカウンター返しが突き刺さった。
「何でも無効化できる【スペル・キャンセラー】、そんな★3レアは手に入れるのが大変ですよね。
でも、複製して使うことはできるんですよ」
「くっ……まずい……ユニットが復活する!」
「キュルルルルアアアアアアーーーーーーーッ!!」
そして、黒炎に焼かれるはずだった怪物も復帰。
【スペル・キャンセラー】によって【豊穣なる大地】が消え、即座に破棄されるはずだった【ナイアーラホテップ】。
しかし、カウンター返しによって、そもそも【豊穣なる大地】が破棄されていないという裁定まで巻き戻る。
地球外の邪神、『這い寄る混沌』の名を与えられた実験生物。
その体が半分までベキベキと上下に裂け、超巨大なドラゴンの上半身すらも飲み込む『あぎと』と化していく。
「これで終わりです! 【ナイアーラホテップ】! 混沌なる咀嚼!」
「グガァアアアアアアーーーーーーーーッ!!」
もはや、口だけのような姿になった怪物は、【ニーズヘッグ】の体に頭から食らいつく。
それまで誰も見たことがなかった、バトルによる邪竜の敗北。
北欧神話で世界の終わりすらも生き延びた巨悪は、混沌の化身に噛み砕かれて粒子化したのだった。




