表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
167/297

第6話 待ちに待った5周年 その2

 ワールドチャンピオンシップ。

 それは年内最大のイベントであり、各国から代表選手が集結して世界最強の王者を決める夢の舞台。

 まさしく最高峰の(いただき)。多くのプレイヤーが夢見てあこがれる伝説級の存在である。


 そのひとりであり、世界で初めて女性の覇者となった者。

 プレイヤーたちから『青薔薇』と称される姿は、特徴的なブルーの口紅とアイシャドーも相まって、現実ばなれした美しさを誇っていた。


「みなさま、ごきげんよう。私は千花女王クイーン・オブ・ガーデン、ガートルード。

 ラヴィアンローズ5周年、心よりの慶賀(けいが)を申し上げます」


「はぁ~……」


 あまりの優雅さに人々は見とれ、映像に目を奪われたまま口を開けるしかない。

 リンもそのひとりであったが、自身の意識に反して両手がピクピクと動き続けている。

 それは強者に対する畏怖か、あるいは闘争心か。

 いずれにせよ、映像越しに伝わってくる強者の威圧感はオルブライトに匹敵するか、それ以上の濃度であった。


「ワールドチャンピオンに与えられる報酬、それは可能な範囲で『この世界を変える』権利。

 私は2年前に自らの願いを伝えましたが、即時の反映は不可とされてきました。

 ですが、この5周年をもって、ようやく――」


 女王はアイスブルーに塗られた美しい指先を伸ばし、軽くパチンと鳴らしてみせる。

 その直後、彼女の周囲に次々と多種多様な食物が現れた。


 湯気を上げる子牛の丸焼き。黄金に輝く中華のスープ。温野菜が盛り付けられた立派なロブスター。南国の芳醇な果実。

 世界各地から(ぜい)の限りを尽くした料理の数々が、王宮へ献上されたかのようにガートルードを取り囲む。


「このとおり、ようやく実装のときを迎えました。

 これらは見た目だけではありません。香り、温もり、舌触りから歯ごたえまで全てが完璧。

 そして……」


 女王は豪華な料理の中から、たったひとつだけイチゴを手に取って口にする。

 高貴な見た目でありながら素手で果実を食べる姿は、行儀の悪さよりも大胆な魅力を感じさせた。


「この果実の甘さ、酸味、みずみずしさ。

 そう、味――これまでは失われていた味があるのです。

 みなさま、どうぞ盛大なる(うたげ)を。

 ラヴィアンローズに実装される美食の数々を、心ゆくまでご堪能ください」


 (あで)やかに微笑む女王から画面が切り替わり、再びミッドガルドの大自然が映し出される。

 そこで人々は魚を釣って焼き、果物を採取してかぶりつく。

 さらに切り替わって今度は公共エリア。カフェでは若者たちが飲み物を口にしながら談笑し、子供たちがお菓子を頬張る。

 最後にベンチへと腰を下ろした男性が、手にしたハンバーガーを豪快にかじるところで映像は終わった。


「ということで、みなさん大変長らくお待たせしました~!

 5周年の目玉となるアップデートは『食』!

 この世界で口にできる飲食物の全てに、味覚が反映されま~す!」


 すかさずウェンズデーが告知した言葉に、人々は最大級の歓声を上げる。

 これまでは味のしない、見た目だけの飲食物しか提供されなかったが、この5周年を(さかい)に問題が解消されるのだ。


「いや~、これにはみんなも大喜びだと思うのだ。

 食事に味をつけてほしいと願った女王様に感謝なのだ~」


「実装するのは技術的に難しかったと聞いていますが……実際のところ、どうだったのでしょうか?」


「ちょっと専門的な話になるけど、まずはこの画像を見てほしいのだ」


 そこで画面に映し出されたのは、VR機器を付けたまま椅子に座って、口からダラダラと大量のよだれを垂らしている男性の姿。

 あまりにもひどい光景を見せられ、人々からは失笑の声が上がる。


「うわ~、大変なことになってますね!」


「これはVRの中で食事をするために、技術的な実験の様子を撮影したものなのだ。

 被験者は仮想世界で大好物を食べているところ。ひどい画像だけど、実は笑いごとじゃなくて……

 まず、人間が1日に分泌する唾液の量は、なんと1リットル前後。

 その多くが食事をしたときに出て、逆に眠っている間は分泌が抑えられているのだ」


「ああ、なるほど。

 VRの中にフルダイブしてると、体は眠っているような状態なのに、味覚が刺激されて唾液が出ちゃうんですね」


「そういうこと。これまで飲食物に味がなかったのは、味覚が人体にフィードバックされると、まずいことになるからで……

 もしも唾液が気管に詰まったら、自分のよだれで窒息死する危険があったからなのだ」


「シャレになりませんね! VRでは美味しいものを食べてるのに、現実の自分はよだれで窒息だなんて!」


「これがゲームである以上、安全なものでなければ提供できないのだ。

 しかも、味覚というのは非常に繊細かつ人それぞれだから、下手にフィードバックを抑えると変な味になってしまう。

 人体への影響を最小限に抑えつつ、VRの世界で鮮明な味覚を楽しむという、実に難しい開発プロジェクトが裏で進められてきたのだ。

 で……どうにか味覚の部分をクリアした後も、かなり大きな問題があって」


「何があったんです?」


「ちょっと想像してほしいんだけど、VRの中でステーキをお腹いっぱい食べた後、現実に戻ったときにステーキを食べることになったら、どうなると思う?」


「それは食べたくなくなっちゃいますよね!

 せっかくの美味しい料理も、VRで満足しきった後だと食欲が落ちそうです」


「そんな事態を防ぐためにも、満足感をゼロまでシャットアウトしなければいけないのだ。

 VRの中で得たお腹いっぱいな感覚が、現実に戻ったときには消えてなくちゃいけない。

 これがまぁ、本当に大変な技術で……おそらく開発部の力だけでは、実装に()ぎつけられなかったと思うのだ」


「でも、実装したということは、問題が解決したということですよね?」


「そのとおり。あらゆる問題が解決したからこそ、実装できたわけなんだけど……

 VRの世界で現実と同じように食事をするということは、今後の未来のためにも実現しなくちゃいけない課題のひとつ。

 というわけで、世界18カ国にわたる人々の力を借りて、2年という奇跡的なスピードで実現させてしまったのだ!」


「そう考えると、めちゃくちゃ早いですよね!」


「VRの中で食事を楽しめるのは、ラヴィアンローズが世界初!

 人類が挑むべき課題のひとつを、各国が叡智の限りを尽くして実現させてくれた新技術!

 飲食業の方々もスポンサーになって支援してくれたので、今後はVRの中に出店する企業とかも出てくる予定なのだ」


「それは素敵ですね~! 現実で行きつけのお店が、ラヴィアンローズの中にもあったら最高じゃないですか!」


 技術的には難しいが、いつかは乗り越えなければならない課題。

 今回の成功は、きっと人類の未来に光をもたらすだろう。

 それを信じて取り組んだ人々の姿は、残念ながらゲームの世界にいると見えてこない。


 ラヴィアンローズは数多くの技術者や、今もどこかで走り回っているスタッフたちによって支えられている。

 今もサービスとして当たり前のように提供されているが、誰かの努力の上で、この仮想世界は成り立っているのだ。


「そんなわけで、ついに実装される『食』のアップデート。

 ミッドガルドで手に入れたものを食べることもできるし、お店で食材を買うこともできるのだ。

 これに(ともな)って調理器具も実装されるんだけど、ちゃんと料理が完成するようにオート調理モードがあるから、苦手な人やお子様でも安心!」


「現実では絶対に食べられないもの。たとえば、ドラゴンのお肉を使ったシチューとかも作れちゃうみたいです!

 なお、残念ながらお酒に関しては全てノンアルコールになっています」


「そもそも、酒気を帯びた状態でのフルダイブは禁止されているので、ご理解とご協力をお願いするのだ。

 あと、この世界での食事がどれだけ美味しくても、現実での健康的な食生活は忘れないように!

 この技術が成功して未来に受け継がれるのかどうかは、わりとみんなに()かっているのだ」


「みなさん、ご自身の体はリスポーンできませんので、大切にしてくださいね。

 というわけで、以上が今回のアップデート内容になります。

 新しいカードの発売に、ミッドガルドの★4モンスター、味がついた飲食物と自分で作れる料理!」


「ボクたちも次の6周年に向かって頑張るから、引き続きラヴィアンローズをよろしくなのだ~!」


 誰からともなく拍手が起こり、プレイヤーたちの喝采が響く。

 ウェンズデーとコンタローは実在しないAIだが、その向こうには顔も知らない人々の努力がある。

 1時間にも満たない放送からは、そのありがたさと未来を見据える姿が伝わってきた。


 2036年、人々が仮想空間にフルダイブできるようになった時代ですら、人類にとっては途上でしかない。

 一歩ずつ確実に進歩し続ける科学技術と人々の暮らし。

 新しいカードを買うべくショップの列待ちをしているリンもまた、流れゆく歴史の最先端を歩んでいるのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ