第37話 バックヤード
「(次はサクヤ先輩かぁ……今度こそ、さすがに無理だよね)」
控室の椅子に座って休みながら、リンはぼんやりと室内を見渡す。
最初は12人いた選手たちも次々と姿を消し、がらんとした雰囲気が漂い始める。
それも当然、準決勝となる5回戦まで進める選手は4人だけなのだ。
とりあえず室内で視界に入るのは、岩のような体躯でどっしりと床に座り込んだ巨漢。
「(あのでっかい人、まだ残ってるんだ!)」
見た目のインパクトがすごいので驚かされるが、存在感という意味では、もうひとり圧倒的な者がいる。
鋭い眼光を放ち、マフィアのような出で立ちの中年男性。
「(クラウディアとプロセルピナさんが前に所属してたギルドのリーダー、オル……
そう、オルブライトさん。この人はもう見ただけで強いって分かるよ)」
カインやアリサも強かったが、その姿だけでゾクッとさせられるほど強者のオーラを放っているのは彼だけだ。
この人と戦ったりしたら間違いなく負けると、リンは本能で感じていた。
が――そんなめちゃくちゃ強そうな人と目が合ってしまい、あろうことか彼は立ち上がって近付いてくる。
「(えええええええっ? もしかして、目を合わせたらダメだった!?
ど、どどどど、どうしよう~~~~~!!)」
怖い、非常に怖い。クラウディアと一緒に会ったときでさえリンはガチガチだったのに、今は1対1。
オルブライトはリンの正面まで歩いてくると、あろうことか目の前で椅子に座り込む。
「あ、あ……あの……どうも」
「オルブライトだ。俺についてクラウディアから聞いているか?」
「はい……多少というか、ほんのちょっとだけ。
あ! えっと、リンです!」
「ふふっ、人見知りが激しいな。そう怖がらなくてもいい、キミに礼を言いに来ただけだ」
「礼……ですか」
緊張で縮み上がっているリンと、その向かい側に座る暗黒街の帝王。
リンは人見知りせず、初対面でもフランクに人と接するほうだが、さすがに相手の威圧感がすごすぎる。
「あのアリサという娘、ずいぶんと俺の仲間を手こずらせたようだ。
このまま勝ち進むなら、いずれ俺が仕留めることになるだろうと思っていたが……
とっくの昔に引退した者が、今のギルドリーダーを倒してしまうと面倒なことになりそうでな。
どうしたものかと悩んでいたときに、キミがアリサを倒してくれた。礼を言わせてもらおう」
「い、いえ、お礼だなんて!
あたしは……ただ、勝ちたかっただけです」
「ほう、なぜ勝ちたかった?」
「えっ? それは……その……自分でもよく分かりません。
クラウディアがやられたときは、絶対に許せないって感じました。
あたしが頼りにしてきた親分……ユニットが倒されたときも、すごく怒ってたと思います。
なのに、どうして勝ちたかったのかを考えると、”これ”っていう答えが出てこないんです」
「ふむ……」
オルブライトの目は大鷲のように鋭く、リンの内面まで見抜くような視線を向ける。
だが、その口がニヤリと形を変えると、彼は意外な言葉を告げてきた。
「復讐、仇討ち、怒り、どれも当てはまらないというわけか。
それなら話は早い、単純に勝ちたかったんだろう。プレイヤーとして勝利を求めただけで、それ以上でも以下でもなかった。
誇らしいことだぞ。目先の感情に支配される者は、結局のところ自分に負ける――
プロセルピナが、まさにそうだった」
そこまで言うと、彼の表情に少しだけ困惑が浮かぶ。
年齢を重ね、皺が目立ち始めた顔。おおよそ40代の後半だろうか。
裏社会を思わせる渋い雰囲気と、やや着崩したスーツの上から羽織るロングコートがよく似合う。
「何もしないまま、待ち時間を過ごすのも退屈でな。よければ少し、昔話に付き合ってくれないか?」
「あ、はい! 構いません」
「少し長い話になる。戦い続けて疲れているはずだ。楽な姿勢で聞いてくれ」
「(あれ? この人、意外とやさしいかも……)」
実際にリンは強者たちとの戦いで疲弊しており、オルブライトはそれを気遣ってくれた。
言葉どおりに姿勢を崩して椅子に寄りかかると、彼も深く腰をかけながら語り始める。
それはクラウディアや【エルダーズ】の過去、そして現在に関わる重要な話であった。
「すでに聞いているかもしれんが、かつて俺が作ったギルドには2人の少女が所属していた。
あの事件が起こったとき、プロセルピナは今のキミと変わらない歳だったな。
それまで負け知らずの強さを誇っていたプロセルピナは、ギルドに入ってきたばかりのクラウディアに負けた。
手も足も出ないほどの惨敗だ。それがあまりにも悔しすぎたんだろう。
たった一度の負けを引きずったせいで、あいつは勝ちへの執着心に飲み込まれていった」
「クラウディア……その頃からすごかったんですね」
「ああ、滅多に現れないような天才だ。しかも、俺のギルドに来たときには小学生。
突然現れた新入りの才能を認めようともせず、プロセルピナは勝つためにレアカードをかき集めていった。
俺は何度も注意したが、とうとうあいつを止めることができないまま、ギルドを解散させてしまったんだ」
「どうして、解散させたんですか?」
「俺の野心……いや、我がままだな。見てのとおり、キミたちほど若くはない。
『無冠の帝王』などという二つ名は派手に聞こえるが、その実、何も残せていない半端者の証だ。
自分が現役であるうちに修行し直して、本気でタイトルを狙いたかった。
俺はその我がままを通すためにギルドを解散させて、ついでにクラウディアとプロセルピナを遺恨が残らない形で引き離すことにしたんだ」
「ああ~、誰かにギルドを継がせたら、そのまま2人とも残っちゃいますもんね」
「そういうことだ。俺があの2人にしてやれる、せめてもの措置だった。
お互いに犬猿の仲だったしな……ギルドの中で顔を合わせるたびに口論が耐えなかった」
リンが知る限り、実際に仲はよくなかったようだ。
前にクラウディアから話を聞いたときにも、普段はそんなことを言わない彼女が『クソむかつく』と発言した人物である。
よほど仲が悪く、同じギルドに所属していながら最後まで分かりあえなかったのだろう。
「そんなプロセルピナも、初心者のキミに負けたのは良い経験になったはずだ。
レアカードは強いが絶対ではない。決闘の勝敗も然り。
ギルドを解散させる前、俺はクラウディアや他のメンバーに向かって『良い負け』を得て学ぶことを伝えた」
「良い負け? 負けに良いとか悪いって、あるんですか?」
「あるとも。そんな言葉が口から出るということは、どうやらキミは負けを経験していないらしいな」
オルブライトに見抜かれ、リンはギクッと心中で跳ね上がる。
ここまで全戦全勝。特殊な勝利条件だったクラウディアとの戦いを除けば、リンは負け知らずのまま大舞台に来てしまった。
今の状況は、そう――狂ってしまう前のプロセルピナと同じなのだ。
「これだけは肝に銘じてくれ。どんな事情があろうと、自分自身には決して負けるな。
怒りや憎しみ、勝ちへの執着、そんなものに囚われたら人は弱くなる。
もっとも……俺が説教などしなくても、キミの場合は大丈夫だろう」
そう言いながら、オルブライトはゆっくりと立ち上がった。
「プロセルピナが自分に負けて狂ってしまったのは、プライドの高さゆえ誰にも頼らなかったからだ。
だが、キミにはクラウディアがいる。あのサクヤという巫女も良い仲間のようだ」
話を切り上げて立ち去る彼を見上げながら、リンは仲間の姿を思い浮かべる。
みんながいてくれたから、今の自分はここまで来ることができた。
それは単純なカードの強さや運よりも、はるかに強固な力で支えになってくれている。
「さっき、クラウディアの名誉が汚されたとき……キミは本気で怒ってくれたな。
それについても感謝しよう。あの子をよろしく頼む」
「…………はいっ!」
力強くリンが答えると、ちょうど試合が終わって次の選手が呼び出されるところだった。
オルブライトが近付いてきたときには、生きた心地がしないほど緊張していたが、しかし――
彼はとても良い師匠であり、人を育てることができるプレイヤーなのだ。
年上が相手でも対等に接するクラウディアが、ほぼ唯一、頭を下げて敬語を使う人物。
オルブライトへの恐れが消えたとき、リンにもその意味がよく理解できた。




