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第36話 憎しみを越えた先に

 危機的な瞬間というのは、まれにスローモーションで見えることがある。

 リンの【アルミラージ】が突進し、角を突き立てながら飛びかかった瞬間、アリサには時間がゆっくりと流れて見えた。


「(壊される……ボクのほうが……こんな小さな★2のウサギに!?)」


 アリサは自身が破壊の申し子であることを誇示していた。

 中学に入ったばかりの頃は楽しかったが、次第に嫌なことが積み重なる。

 一気に複雑化していき、今後の人生で役に立つのかも分からない授業。

 小学生のときには一緒に遊んでいた上級生も、年齢がひとつ違うだけで敬語を使わなければいけない。


 社会の全てが子供を教育という名目で縛り、より良い学歴を歩ませ、まっとうな大人に育てようとする。

 しかし、そんな大人たちはどうなのか。

 入試のテスト問題を見せても、多くの親世代はそれを解くことができない。

 平然とタバコを投げ捨て、自転車で道路の右側を逆走し、スーパーのお菓子コーナーに客が生肉を置いたりする。


 2030年になると、人類史上で初めて戦場でドローン同士の戦いが勃発した。

 1人の兵士を育てて装備を与え、給料を支払い続けるよりも、その資金を使って最新型の戦闘ドローンを量産したほうが効率的といわれる時代。

 お互いに主張があって戦争をしておきながら、当の人間たちが戦場に出ていくことはなく、ただひたすら機械同士の壊しあいが続いている。


 その全てがアリサにとって空虚だった。

 何もかもに辟易(へきえき)し、現実を忘れるかのようにラヴィアンローズの世界に入り浸っていた、ある日――

 彼女は選ばれたのだ。★4スーパーレアを持つ『マスター』に。


 とてもユニークな能力の邪竜を手に入れ、アリサは独自のデッキを組み上げる。

 それは猛威をふるい、最強のギルドと呼ばれる【エルダーズ】に入り込むことすら可能にした。

 実力主義者のプロセルピナが決めたルールのおかげで、勝てば勝つほど簡単に昇進していく。

 挑んできた者を全て黒炎で焼き払い、邪竜【ニーズヘッグ】で叩き潰すうちに、皆は彼女のことを恐れて従うようになった。


 何も悩むことはない、最初からこうしていれば良かったのだ。

 潰し、壊し、従わせ、自分にとって住みやすい世の中にしていく。

 現実世界は大人に支配されてしまっているが、ここでなら理想郷を作ることも可能だ。


 そう信じていたのだが、しかし――


「かは……っ!」


 破壊者であったアリサにも、逃れられぬ瞬間がやってくる。

 VRに痛みなどないはずなのに、ウサギの鋭い角に突かれて倒れ込む体。


 勝ち続けてきた道が途切れ、プロセルピナのように失墜して全てを失うかもしれない。

 それを頭では分かっていても、たった200ダメージの被弾を許してしまった。


「壮絶な戦いに決着が付きました!

 伝説級のプロジェクトカード、【全世界終末戦争エンド・オブ・ザ・ワールド】からの逆転劇!

 はたして、誰がこんな展開を予想できたでしょうか?

 ダークホース対決すら制してしまったリン選手、ついに準決勝進出です!」


「はぁ……はぁ……どうにか勝てた……って、もう準決勝なの!?」


 その事実を信じられないのは、他でもないリン自身であった。

 ラヴィアンローズはプレイ人口が膨大なため、無名の選手が大会の上位になることも珍しくない。

 しかし、初めたばかりの女子中学生。しかも最強クラスのカードを持っているとなれば、話は変わってくる。


 リンの最大の特徴は、全てを焼き払えるカードを持ちながらも、それに特化したデッキを組んでいないということ。

 アリサが同じカードを持っていたなら、毎回必ず発動できる構成にしていただろう。

 他のプレイヤーであっても、積極的に使うチャンスを狙うに違いない。


 だが、ミッドガルドの野生モンスターを除けば、リンがこのカードを対人戦で使うことは少ない。

 それは自分に課した”縛り”ではなく、そもそも頻繁に発動できるデッキではないからだ。


「えっと……すみません、会場をめちゃくちゃにしちゃって」


「大丈夫ですよ。次の試合が始まる前に修復しますので。

 それより、すごいカードを持ってますね!」


「(いや……ウェンズデーさん、予選で見てたでしょ。

 それとも、あれは分身したウェンズデーさんで、今いるのが本物……なのかな?)」


 AIであるウェンズデーの情報管理がどうなっているのかは、開発者にしか分からない。

 彼女はリンの予選も見ていたはずだが、この場でそれを語ろうとはしなかった。


 やがて、ファイナルアタックを受けて倒れていたアリサが、ゆっくりと起き上がってくる。

 その顔は絵に描いたかのように自失呆然。対戦中に見せた歪んだ笑みは、もはや完全に消えていた。


「負けたのか……本当に信じられない。ボクのデッキは完璧だったはずなのに」


「そうだね、まるで隙がなかったよ。

 次に戦うことがあったら、たぶんあたしは対策を取られて負けると思う。

 【全世界終末戦争エンド・オブ・ザ・ワールド】を持ってるの、バレちゃったし」


「その1枚で負けたわけじゃないんだ」


 力を失っていたアリサだったが、このときは(かたく)なに首を横に振る。


「ボクはあなたのカードに屈したんじゃない。

 自分に負けた。ボク自身のプレイミスに負けたんだよ」


「え!? どこかでミスしてたの?」


「そうか……ボクの手札を知ってないと意味が分からないよね。

 最後に使うカードの順番を間違えた。

 ほんの一瞬の判断が、取り返しのつかないミスにつながって……う……くぅっ!」


 台詞が途切れ、やり場のない感情が胸の中に膨らんでいく。

 プロセルピナは完膚なきまでに叩きのめされたが、アリサの場合は少し状況が違っていた。


 リンに対する憎しみ以上に、自分のプレイミスが悔しい。

 今のアリサは何よりも、ひたすら悔しさに打ち震えているのだ。


「えっと……ごめん、あたしには分からないけどさ。

 またどこかで戦う機会があったら、ミスなんて挽回できると思うよ」


「また戦う機会……?」


「これで最後ってわけじゃないでしょ。

 同じゲームを続けてたら、いつかは決闘(デュエル)することもあるんじゃない?

 戦いたいってだけなら、別に大会じゃなくてもいいんだし」


「ははは、実に前向きな言葉だね。

 分かったよ。もしも、そんなチャンスがあるなら――」


 言いながら背を向け、瓦礫の上を歩いていくアリサ。

 その口から出たのは破壊的な欲求ではなく、倒すべきライバルに向けられた一言。


「もう二度と、あのカードはボクに通用しない。

 次に戦うときは全力で叩き潰してあげるよ……リン」


「(…………ん?)」


 その言葉を受けたリンは、ハッと何かに気付く。

 これまで対戦相手を『あなた』としか呼ばなかったアリサが、最後に名前を付け足したのだ。


「あたしだって負けないよ、アリサ!」


 全力で戦った両者への拍手と歓声が送られる中、かくして4回戦の第1試合が幕を閉じた。

 疲れた頭を休ませるため控室に戻ると、途中の通路でサクヤと鉢合わせになる。


「いや~、お疲れさん! 戻ってきたんは、リンのほうやったか。

 うちが始末をつけなあかんと思て、心の準備しとったわ」


「えへへ~、やっつけてきたよ!

 サクヤ先輩は、これから試合に行くの?」


「せや、サクッと終わらして5回戦に切り替えんと。

 これが終わったら、次の相手はリンやからな」


「………………は?」


「準決勝やろ。そうなると、4人しか残っとらん。

 アリサが勝とうと、クラウディアが勝とうと、リンが勝とうと、ここでうちと当たることに――

 って、何や、その顔?

 もしかして……トーナメント表、ちゃんと確認しなかったん?」


「…………うん」


「あら~、たしかに”後のことなんて考えんでええ”言うたけど、ほんま……面白(おもろ)い子やなぁ」


 さすがのサクヤも、これには苦笑するしかなかった。

 一難去って、また一難。

 お互いに上位まで残ってしまったのだから、ぶつかるのは当然なのだ。

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