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ツツジのクニ

作者: 光太朗

 鮮やかな緑が光を受け、風に踊る。

 そこかしこに、生命の息吹。人が行くというのに野兎が走り抜け、栗鼠が鳴いた。

 そのまま、どこまでも、緑と青が続くかと思われた。しかし、獣道は唐突に途切れ、代わりに低木と枯れ木の並ぶ囲が現れた。左右どちらを臨んでも、木々の切れ目は見えない。これだけの規模がありつつも、その存在が周囲にほとんど知られていないことに、ヒオウは感嘆する。

 木々には点々と、枯れた茶の花が結びつけられていた。元は鮮やかな赤であったろうそれに、鼻を近づける。粘膜を刺激する香りに、目を見張った。

「獣避けのつもりか、珍しい」

 まるで孤立することを臨んでいるかのような囲は、しかし行来を妨げるほどの効力はなかった。ヒオウはぐるりと周囲を見回し、適当なところで跨ぎ入る。

 囲を越えればすぐに集落があるというわけではなく、家々は遠くに僅かだった。一つだけ、一際高い楼閣が、旅人を迎え入れるかのようにこちらを見ている。或いは、威嚇しているのかもしれない。

 楼閣の存在は、ここが単なるムラではなく、クニであることを示していた。背の高い建物は、そのまま権威の象徴だ。わざわざ労力と年月を費やし、楼閣を造り上げるということは、権力を持つ長がいるということに他ならない。

 そして、そこがクニである以上、訪れた旅人が最初にすべきことは決まっていた。クニの長に目通りをするのは、最低限の礼儀だ。ヒオウは迷わず、楼閣の戸を叩いた。

 中へと通され、まず自らが名乗る。しかし、歓迎されていないのは明白だった。

「早々に立ち去りなさい」

 薄紅の衣を纏った年若い長は、唸るような低い声で、そう告げた。その声には、冷たさよりも疲労の色が滲み出ている。

 ヒオウは頭を垂れ、その上で、疑問を告げた。

「私は薬師ではありませんが、旅を続けるうち、僅かですが知識を得ています。クニの内を川が通っていますね。同じく、川の周囲に位置するクニやムラでは、病が蔓延しておりました。よもや、この地にも、そのような――」

「病はない。が、物の怪が出る」

 遮るように、長は首を振った。続けた言葉には深い悲しみが込められ、いっそ病であればどれほど良いかと言うかのようだった。

「物の怪、ですか。それは、どのような」

「ツツジだ。クニの者は皆そう呼ぶ。ツツジの花の物の怪だ。老若男女を問わず、突然に現れ、命を取っていく――後には、姿形も残らない。勾玉に変えられてしまうのだ。このクニは呪われている。我々も日々対策を思案しているが、どうにもならないのだ。旅人よ、呪いを受ける前に、早々に立ち去るのが良いだろう」

「ツツジ」

 告げられた名前を、反芻する。ヒオウは、それ以上は何も言わなかった。彼にとっては、この地が病に病に冒されていないという事実だけで充分だった。胸をなで下ろし、頭を垂れ、楼閣を後にする。

 ツツジという物の怪が何かはわからずとも、立ち去れと言われて尚留まる理由はなかった。ヒオウは大人しくクニを通り抜けようと、田畑の間を進んだ。

 途中、水を汲む少女や、狩りから帰る男、畑に出る女達を見た。日々の生活を営みながらも、彼らの表情には一様に影が差し、活気とはほど遠い。これもツツジのせいなのだろうかと、ヒオウは眉根を寄せる。

 長閑、と形容できるその情景に、異変が訪れた。

 空気を切り裂く、悲鳴。発したのは齢十を数えるほどの少女で、彼女は絶望をそのまま声にしたかのような長い叫びを引きずり、藁葺きの家屋から飛び出してきた。少女の様子そのものよりも、続けた声の内容が、ヒオウの興味を引いた。

「ツツジが、ツツジが来る! 父さまが勾玉にされてしまう! 助けて、誰か!」

 声を荒らげる少女に、しかし誰一人として手を差し伸べはしなかった。ある者は瞳を伏せ、ある者達は顔を見合わせた。首を左右に振り、その場から離れる者もいた。

 ヒオウは、少女に近づいた。単純な好奇心と、何か力になれはしないかという気持ちと、二つが等しく宿っていた。

「私は旅の者です。ヒオウと申します。事情に詳しいわけではありませんが、よろしければ聞かせていただけませんか」

 少女は驚いたような顔をして、それから微かな安堵を浮かべた。余所者であろうとも、誰かに縋れるだけでも心持ちが違ったのだろう。

「旅人さま、どうか、どうか父さまを助けてください」

 少女は深く頭を下げた。



 案内されるままに、ヒオウは少女の家に足を踏み入れた。

 土の上には藁が敷き詰められ、一段高くなった木の床上に、少女の父親だという男が横たわっていた。

 ヒオウが素性を告げると、男は力なく笑った。

「何を大げさな。どうぞ先を行ってください、旅の方。まだ本当に、ツツジが来ると決まったわけでもないのだから」

「来るわ、ツツジは絶対に。父さまを石に変えてしまうんだわ。あたし、そんなの、嫌……!」

 少女は目に一杯の涙を溜めていた。ヒオウは男の様子を観察する。多少だが顔色が悪く、まだ明るい内から床に入っているということは、体調も思わしくないのだろう。これも、件の呪いによる作用なのだろうか。

「失礼ですが、なぜ、ツツジが来ると確信を?」

 口を挟む空気でもないとは思いつつも、ただその場にいる訳にもいかなかった。問うと、少女は涙を拭う。

「少し前に、ここの近くに住むお爺さんが、ツツジに命を取られました。今の父さまとまったく同じ、熱を出して、働くのが厳しくなって。そうしている内に、お腹にツツジの印を付けられて、それからすぐにツツジがやって来たのです」

「ツツジの、印?」

「これですよ」

 苦々しく笑って、男が衣をまくり上げた。臍の周囲に、朱の斑点が三つ。娘の言葉を信じていないのか、自分を誤魔化そうとしているのか、男は平然としていた。

「虫にやられたのでしょう、何ということはありません。それなのに娘は、老人の腹に同じ物があったから、これはツツジの印に違いないと言うのです。まったく、そんなに父を殺したいか」

「馬鹿言わないで! 気のせいなら、どんなに……!」

「大丈夫、私は大丈夫だよ」

 娘が吠え、男は宥めるように頭を撫でる。

 衣を下ろそうとしたその手を、ヒオウは押さえた。

「これは……」

 見覚えがあった。ヒオウの記憶が正しければ、決して、ツツジの印などではなかった。どうかしたのか、という問いに答えるべきかどうか逡巡し、ヒオウは手を離す。代わりに、娘に聞いた。

「ツツジを、見たことが?」

 娘はうなずいた。幾分か落ち着きを取り戻したのか、汲み置きの水を器に注ぎ、父とヒオウとに差し出す。藁の上に座ると、畏れるように細く息を吐き出した。

「ここの者なら、一度は見たことがあるでしょう。怖いぐらいに、とても綺麗な女の人です。霧のように現れて、霧のように消えてしまう。――丘向こうに、ツツジの花があるのをご覧になりましたか。暑くても寒くても、日照りでも雪でも、決して枯れないツツジです。長さまや大人たちが摘み取ろうとしても、燃やそうとしても、どうしてもなくならないのです」

「……なるほど」

 ヒオウは、思案した。その脳裏に、様々な可能性が去来した。男と、少女とを見る。家屋そのものを見る。手渡された器に、視線を落とした。

「これは、川の水ですね。火を入れて?」

「いいえ。川から汲んだままの水です」

 ヒオウは水を飲まなかった。器を少女に返し、男を見た。まだ間に合うだろうか、とちらりと考える。しかし、考えるまでもなかった。動かなければ、手遅れになる。この少女も、恐らくは。

 告げるべき言葉が、幾通りも浮かんだ。しかし、ここでそれを口にしたところで、一体何になるというのだろう。

「丘向こうの、ツツジの花」

 確認するように、つぶやいた。会えないかもしれないが、それでも行かなければならなかった。このまま、見て見ぬ振りをする訳にはいかない。

 会いに行く旨を告げ、立ち上がる。

 まさにその折、空気が揺れた。

 乾いていたはずの風は、急激に湿度を帯びた。甘い香りが漂う。見えない壁に針を突き通せば、破ち割れて雨が飛び出すのではないかと思われる湿りの中、濃い赤紫の衣が靡いた。

 否、ツツジ色の衣だ。

 ヒオウは目を奪われた。幾重もの衣を纏い、先程までは確かに何もなかった空間に現れたのは、ひどく美しい女だった。

 女は、地に足をついていなかった。足そのものがないのだ。どこまでも白い頬には僅かの朱もさしてはおらず、その無表情さはかえって女の美しさを際だたせた。女は、艶やかな長い髪を風のない大気に揺らして、ただじっと、寄り添う父と娘とを見下ろしていた。

「つ、つつじ……」

 少女が呻いた。男は声もない。

 女が、衣の先から白く細い手を差し伸べた。

 ヒオウは、何かが喉元で支えているのを感じた。制止しようとしたのか、それ以外の何かだったのか。だが、何もかもが遅かった。

 女の指先が触れただけで、男は姿を消した。まるで、最初から何もなかったかのように。音を立てて、緑色の勾玉が転がり落ちる。

「父さ……!」

 しかし、娘の悲鳴も途切れた。

 女の手が頭を撫でるようにして、少女もまた、いなくなってしまった。代わりに、朱色の勾玉が、緑のそれに連なった。

 残ったのは、静寂だけだった。

 女は、ちらりとヒオウを見た。だが、それだけだった。空気そのものを払うかのように、両の手を持ち上げる。

 消えてしまう──そう思ったとたんに、ヒオウは叫んでいた。

「私の命も取れ!」

 考えるよりも早く、そう言葉を投げつけた。それは、賭に他ならなかった。ヒオウは、まるで女を腕の中に迎え入れるかのように、両手を掲げた。

「ツツジよ。私の命も取れ。簡単なことだろう」

 そう言って、目を閉じた。ヒオウには確信があったが、覚悟もあった。

 そのまま、時が流れる。依然として空気は湿り、ツツジがまだそこにいることを示していた。

 そのうちに、ひどく冷たい手が、ヒオウの頬に触れた。

 ヒオウは目を開いた。見つめるのは、憂いを帯びた女の目。ツツジは首をゆっくりと左右に振ると、音もなく消え失せた。

 ヒオウは、自らの手を見た。

 勾玉になど、なっていない。

「愚かな」

 鋭く呟いて、地を蹴った。



 ヒオウが丘を越え、その場所にやってきた頃には、空の色は紺碧に覆われていた。

 少女の言う通り、そこには、一輪の花が咲いていた。

 幾度も火を放たれたのだろう、周囲に草花の息吹はなく、そこだけがまるで荒れ地だった。咲き乱れていたであろうツツジは、ただ一輪だけが生き残り、物も言わず、静かに在った。

 先に見たそれと同じ色に、ヒオウはこの花こそがそうなのだと、膝をつく。

 両手を置き、頭を下げた。深く、深く。

「ツツジよ。貴女は、土地神なのではありませんか」

 頭を上げ、静かに、ヒオウは言った。

 花は応えない。が、夕闇の中にあって、それは確かな色を持ち続け、まるでヒオウを見つめ返しているかのようだった。

「私は、旅をしてきました。たくさんのクニを、見てきました。クニを囲い、そこに獣避けの花を提げるなど、恐ろしく古い風習です。病が蔓延していながら、水に火を入れないのもおかしい――何より、腹に出る斑点の意味を知らないというのは、見過ごせません。見過ごせないんだ、決して」

 噛みしめるように、ゆっくりと、ヒオウは告げた。しかし、言葉を選ぶほどの余裕はなくなっていた。もしかしたらここにツツジなどはおらず、言を聞くものなど誰もいないかもしれなかったが、問題ではなかった。

 悔しさに、拳を握りしめる。

 きっと、もっと、救えるはずだったのだ。

「腹の斑点は、疫病の印。次々に移りゆく、強い病だ。近しい者であればあるほど、ほとんど確実に免れない。放っておけば、確かに、クニ中の者が倒れるだろう。半数以上が死に絶えるかもしれない」

 ツツジは、応えない。

 ヒオウは、花に触れた。強い力で、握り締めようとするかのように。自らに湧き起こる怒りとやるせなさに、唇を噛みしめた。血が滲む。

「だが、赤斑の疫病など、いまでは死に至るものではない。貴女は知っているのか。人間たちは、学ぶのだ。防ぐ術と、癒す術を見つけるのだ。それが病であるならば、苦しみと哀しみを、乗り越えることができるのだ」

 ヒオウは、一層手に力を込めた。しかし、まるでそこにあるのが石の塊であるかのように、尚かつ何も存在しないかのように、手応えは曖昧で、花弁を揺らすことすらままならなかった。

 ヒオウは、息を吸い込んだ。そのほとんどを吐き出し、絞り出すようにして、思いを口にした。

「貴女は、私の命を取らなかった。私が病に侵されていないからだ。火を放たれ、物の怪と言われ、このような目に遭ってまで……貴女のやってきたことは、一体、何だ」

 愚かな、とヒオウは口の中で呟いた。まさかクニを守っているつもりだったのかと、その問いを口にすることはできなかった。

 彼にできることは、それですべてだった。

 ツツジは身じろぎしない。まるで本当の花のように。

 それでは、この地は、変わらない。

「まだ立ち去っていなかったのですか」

 背後から声をかけられ、ヒオウは緩慢な動作で振り返った。

 長が立っていた。

 周囲には、木に炎を宿した複数の若者たち。性懲りもなく燃やしにきたのだろうかと、まるで別の世界の光景のようなそれを、ぼんやりと見やる。

「物の怪に何用かはわかりませんが、退いていただけますか。今度こそ、ツツジを枯らしてみせましょう。強い毒を吐く虫から、枯花の薬剤を作り出したのです。これならば、物の怪のツツジとて耐えられまい」

 長はごく楽しそうに笑んだ。どれほどの試行錯誤があったのか、若者たちは一様に、疲労の中にも笑みを浮かべていた。 

 ヒオウは、その場を退いた。

 手を離し、凛としてそこにあるツツジを、見た。

 気持ちが追いつかなかった。何か、思うことがあったはずだったが、到底言葉になりはしなかった。

 ツツジは、どこまでも気高く、そこにいた。その姿に、目の奥が熱くなる。

「さあ、枯れてしまえ!」

 高揚を露わに吠え、長は、器の蓋を開けると、どろりとした液体をツツジに注いだ。炎に照らされた青緑色の液体は、まるで花弁一つ一つを食い尽くすかのように、ゆっくりと、ツツジを覆った。

 薬液が流れ落ちるのと同じ速度で、ツツジは消えた。

 跡形もなかった。

 長は高く笑った。若者たちも手と手を取り合い、飛び跳ねるようにして歓声を上げた。

「これで、ツツジに命を取られることもない! とうとうやったぞ! 物の怪に勝ったのだ! これでこの地は、いつまでも安泰だ!」

 その声を、ヒオウは上の空で聞いた。

 目は、確かにツツジがいた場所を、じっと映していた。

 ツツジが、長の言うように物の怪であったのか、ヒオウの思うように神だったのかはわからない。しかし、どちらであろうとも、さしたる違いはないかのように思われた。

 ヒオウは、視線を動かした。未来への希望に満ちあふれ、歓喜する長と、若者たち。恐らく、クニの他の面々も、吉報に喜び合うのだろう。

 ヒオウは何も言わず、彼らに背を向けた。そのまま迷わず、真っ直ぐに、クニを後にした。

 










読んでいただき、ありがとうございました。


書きたいものを書いたのですが、詳細を書ききってしまうのは違うと思い、不親切感が滲み出ています。精進します。


通年企画、『小説風景12選』、今作で一年が終了しました。12ヶ月分の素敵なイラストに物語を綴ることができて、本当に幸せです。

ありがとうございました。

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[一言] この度は、私の駄絵にこんな素敵な小説を付けて下さってありがとうございました。なるほど彼女はそうなりましたか!絵の雰囲気を汲んで頂いて、嬉しくて天にも昇る気持ちです。本当にありがとうございまし…
[一言] うーん。ちょっとパロディをやってみます。 コートのおっさん 作・ホラーロリマックス あたしは旅人。ただの旅人。いろんな地のおいしいものを食べ歩く。そう、グルメ食べ歩きの旅人だ。 今日もあ…
2009/07/30 17:37 ホラーロリマックス
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