迷い星は愛を知らない
少し長めです。中盤、視点がころころ変わります。ご注意下さい。
ーーーどうしたの、スターリア、眠れないの?.....え?お母さん?
お母さんはね、お星様を見てるのよ。
ほら、見てごらんなさい。こんなにもたくさんの星が空では瞬いてるのよ。きっと誰かに見つけて欲しいのね。え、なにスターリア?お母さんのことは貴方が見つける?ふふっ、そうね。きっとスターリアならお母さんがどこに行っても、きっと見つけてくれるわね。
さぁ、もうベッドに戻りましょう。お母さんが唄でも唄いましょうか。ええ、ずっと一緒よ。貴方が眠るまで、ね。
ーーー忘れないで、スターリア。輝く星の光がきっと貴方を導いてくれるわ。
*
ときどき、自分という存在がこの世になかったら、どう世界が回っていくのか見てみたい衝動に駆られる。そんな時に私が思い出すのは、古いお母さんの記憶だ。優しくて、温かくて、それでいつもどこか寂しそうな横顔をしていて。物心ついた時には、私とお母さんの王宮での扱いはそれは酷いものだった。
西の外れにあるリムドという小さい国の踊り子だったお母さんは、今の国を訪れた時に、現国王であるラビルアスに一目惚れされ、この国に留まらざるを得なくなったらしい。自慢だが、私のお母さんはかなりの、いや、絶世の美女と言ってもおかしくない見た目だった。緩くカーブを巻いたしなやかな金髪に、陶器のように滑らかな白い肌、長い睫毛の下には朝露に濡れる月夜草を思わせる緑色の瞳。その美しさと、見た人を虜にする優雅な舞で、お母さんの名は小国の出にも関わらず、大陸で知らないものはいなかったと言われている。
踊り子として、一か所に留まるのは嫌だったのかもしれないが、大陸一の国の王が御所望とあればどうしようも無い。お母さんは王宮内に特別に作られた離宮で暮らすようになり、王もその頃は頻繁にお母さんのもとを訪れていたらしい。一途に愛を表現してくるラビルアスにお母さんも少なからず心を許していただろう。
そして、私が生まれた。
いや、生まれてしまった、と言った方が正しいだろうか。
予想していなかった私の誕生に、ラビルアスはひどく慌てた。理由は単純、お母さんを妃にするつもりは毛頭なかったからである。離宮を訪れる回数が極端に減り、お母さんに対する女中たちの扱いも雑になった。与えられる食事は一日に一度だけ。王の許可なしに外に出ることは許されなくなり、いわゆる軟禁状態である。まだ赤ん坊だった私に与えるミルクですら、十分ではなかった。お母さんはお腹が空いたと訴える我が子に、どんな思いを抱いたのだろう。今の私には知る由もない。
あまりの冷遇に耐えられなくなったお母さんは一度だけ、女中が部屋を出ようとしたタイミングを見計らって部屋を飛び出し、ラビルアスの居る執務室を目指したことがあった。そして追手を振りきって何週間かぶりに王と対峙したが、そこでかけられた言葉は残酷なものだった。
「まだ、生きていたのか。」
その日を境に、お母さんはいつも何処か遠い場所を見つめるようになった。朝も昼も夜も。ただボーッと窓の側に腰かけ外を眺めていた。幼い私は訪ねたことがある。
「ねぇ、おかあさん。おかあさんはどこかいきたいところがあるの?」
「.....そうね、スターリア。貴方と一緒だったらどんなところにだって、今すぐにとんでいきたいわ。」
「どんなところでもいいの?」
「ええ」
「だったらね、わたしいきたいところがあるの!」
「え....?」
「おかあさんがうまれたところ!わたし、うみがみたい!だいじょうぶ、いまはおかねがないからいけないけど、わたしがおおきくなったら、おかあさんのかわりにいっぱいはたらいて、いっぱいおかねためて、おかあさんのことつれていってあげる!そしたらおかあさんも、もっとえがおになれるでしょ?......おかあさん?どこかいたいの?どうして...ないてるの?」
「違うの、違うのよスターリア。貴方は何にも悪くないのに.....ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。無力なおかあさんを許して頂戴。あぁ、スターリア、愛しい娘よ。」
初めて見る涙に戸惑っていた私をお母さんはギュと強く抱きしめて、何度も何度もごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返していた。
長い軟禁生活のあと、お母さんは流行病に倒れ、十分な看病も受けられないまま、去年の秋に私を残して、この世を去った。
お母さんが死ぬまで、王は私のことをすっかり忘れていたらしく、久しぶりに成長した我が子を見て、しばらく固まっていた。それもそのはず、私がお母さんの美しさをそのままそっくり受け継いでいたからだ。
少し癖のある豊かな金髪に、白い肌。瞳の色はライトグリーンと王族の持つダークブルーが混ざって、不思議な印象になっていたが、十五歳になり大きくなった私は、若い頃のお母さんとおそらくほとんど変わらないと思う。死んだはずの女が生き返って自分を呪いにきたのではないかと慌てふためく王はひどく間抜けで、私は思わず鼻で笑った。
我にかえった王は私の処遇をどうしようか悩みに悩んだ挙句、国外追放という形をとることにしたようだ。なんだか私のことを王宮内に残すなんて案もあったらしいが、たまったものじゃない。これ以上私をどうしようというのだ。お飾りの王女とでもしたいのだろうか?
お母さんを自分の都合で捨てた王のことは恨んでも恨みきれないが、私一人が歯向かったところでどうしようもない。これ以上関わりたくないというのが本音だ。こんな人が父親だなんて。
ほんの少しの荷物とお母さんの骨を持って、王宮の裏口からひっそりと出ていく私のことを見送るのは、まだ明るい空に昇る白い月だけだった。
*
今、私はお母さんの出身国であるリムドの隣の国、ラオネルカにいる。王宮に長い間閉じ込められていた私には王宮の外に知り合いなど一人もいない。王宮を追放されても、いくあてなどなかった。目的地もなくただダラダラと過ごすなんて時間の無駄だ。そこで私は悩みに悩んだ挙句、お母さんが昔暮らしていたというリムドに向かうことにした。幸い、お母さんが踊り子時代に大陸で集めたお金がある。まだ元気だった頃に、いつか必要になるかもしれないから、と言って持たせてくれたものだった。このお金を旅費にしてリムドに向かい、そこでお母さんの骨を埋め、そして自分の死に場所も見つけるつもりである。
そう、私は、この世界に生きる意味を見いだせないのだ。心の奥深くでお母さんのいないこの世界に絶望しているのだと思う。私を愛してくれた人はもういない。愛したいと思う人もいない。一体どうして私に生きる意味があるというのか?
今の私を動かす感情はただ一つ、海が見たいという想いだけだ。
ただ、ラオネルカからリムドに向かうには、厄介なことがあった。リムドに続くたった一本の峠道にはタチの悪い山賊が蔓延っている。ここを越える以外には、リムドに向かう方法はない。私自身剣に関してはからっきしなため、誰か護衛を雇わなくてはいけなかった。
市街地の中心にあるギルドを訪れれば、護衛を引き受けてくれる人がいるだろうが、いかんせんギルドは人の出入りが多すぎる。今の私は髪を後ろで括って、薄汚れたフードを被り一目見れば少年と見間違われるような見た目をしているが、この青を基調とする瞳だけは隠せない。青い瞳は王族だけに伝わるものであり、庶民には表れない系統なのだ。護衛を雇えば、私が只者ではないことがバレるのは避けられないのである。
結局どうしようか決めあぐねたまま市街地の大通りの隅を歩いていると、視界の隅で横に入っていく細い道があることに気づいた。薄暗く、人通りも少ない。ただなにかの店先でガラの悪そうな男が「今なら獣人を....」と客引きをしていた。
「奴隷、ね.....」
私は足の向きを変え、フードを深くかぶり直すとその男に近寄っていった。
「ねぇ、旦那。護衛が欲しいんだけど、誰か見繕ってくれない?」
「これはこれはお嬢さん、護衛ですか。一体どれほどお持ちで?」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて男が予算を尋ねる。顔を軽くしかめて私は答えた。
「金額はそこまで高くない方がいいわ。そうね、50アランが限界。」
「でしたら、こちらなんて如何ですか?一昨日入ったばっかりの牙狼族の少年です。見目も良くて、腕も立つ。きっとお嬢さんを楽しませてもくれますよ。」
「そういうのは求めてないの。それで?彼はいくら?」
「100アランです。」
「高すぎる。50アランが限界って言ったわよね?聞いてなかったの?」
「だってお嬢さん、それ以上の金額をお持ちですよね?さっき袋が見えましたが、300アランは裕にあるでしょう?わたくし、そういうのを見分けるのは得意なんですよ?」
ヒヒヒと笑いながら男が続ける。
「それにこの時期は奴隷をお求めになる貴族が多くて、腕のたつものや見目が良いものはすぐに売れてしまうんですよ。お買い求めにならないならそれで結構。他の奴隷商を見てみてはいかがですか?どうせどこにもいないでしょうけど。戻ってくる頃には、彼も売れてしまっているかもしれませんねぇー。」
「.......わかったわ、ただし90アランよ。それ以上は無理。この先の旅費だって含まれてるんだから。」
「ヒヒヒ、仕方ありませんね。では交渉成立、ということで。ただ今商品をお出ししますので。」
男は牙狼族の少年が入った檻の鍵を開けると、奥に向かって「おい、出てこい」と声をかけた。
ある意味ずっと深窓の令嬢のような生活を送っていたので、獣人というものを見る機会はなかったわけだが、初めて見る獣人は確かに男の言う通り、綺麗な見た目をしていた。銀色の髪に、オレンジがかった赤色をした瞳。形のいい耳が髪の毛の間から覗いている。そんな見た目とは裏腹にどこか危険そうな雰囲気がするのは、纏っている私へ殺気のせいだろう。思わず後ずさろうとしたところで男の声がかかった。
「お嬢さん、何があってもこいつの首輪は取っちゃあいけませんよ。牙狼族は特に戦闘に向いてる種族ですから主人を殺して自由になろうとする奴も多いんです。こいつだって捕まえるのに仲間3人犠牲になったんですから。」
そういうのは早く言ってくれ、という目で男を睨むと、ニヤニヤしながら続けた。
「まぁそうは言っても、この首輪を外さない限り、こいつがお嬢さんを殺めることはできないのでご安心を。それじゃあお代はきっちり頂きましたよ。ほら、お前も行け。」
男に見送られながら、彼と一緒に奴隷商を出た。ちらりと後ろを見やると一応ついてはくるらしい。さっきあれだけ殺気を飛ばしてきたのに。主人を殺して自由になる、ねぇ。
「ねぇ貴方、名前はなんていうの?」
「....あんたなんかに教えるわけないだろ。」
「そう、でもないと不便だわ。....じゃあハクって呼ぶわね。古代リムドの言葉で白って意味。」
「.......だっさ。」
「とりあえず、なんか食べる?あなたの服も買わないといけないわね。あぁだから50アランまでが限界だって言ったのに、あのハゲ、」
「俺に媚をうってどうするつもりだ?」
「媚?なんのこと?」
「普通の人間なら、奴隷のために食い物を買ったり洋服を買ったりしない。」
「そう、じゃあ私は普通の人間じゃないのね。残念だわ。」
「.........」
結局その日はハクのためのものを買うのに時間がかかってしまい、泊まる宿に着いたのは夜遅くになってからだった。
*
「ハク、お風呂先に使っていいわよ。とりあえずその体の汚れ落としてきて。」
「.......」
どうやらハクは私とコミュニケーションを取る気はないらしい。買い物の間もいろいろ尋ねてみたが、まともな返事は返ってこなかった。こんなことでリムドまで無事に辿り着けるのだろうか。というかそもそも、私のことを守ってくれるのだろうか。
今日はなんだかひどく疲れた。
私は靴だけ脱ぐと、二つ並んだベッドの手前に仰向けにダイブして両腕を投げ出した。小さい頃は眠れない夜にはお母さんが唄を歌ってくれた。どれも古代リムドの唄ばかりで、最初は何を言っているのかわからなかったが、ずっと聴いているうちに少しずつわかるようになっていった。1日の始まりを喜ぶ唄、秋の収穫に感謝する唄、夜空の星に願う唄、愛する人を想う唄。「まだ、眠れないの?」と、私の頭を優しくなでながら困ったように笑っていたいつかの姿が脳裏に浮かぶ。
一緒にリムドの地を歩こうと約束したのに。
「お母さん......」
目を瞑ったまま涙がこぼれていた。
はっと、目を開けた瞬間、私を組み敷いて首筋に刃を突き立てているハクと目があった。
「気配を消すのが随分うまいのね。....私を殺して、自由とやらになりたいの?」
「ああ、自由になって、人間どもに復讐するんだ。里を襲った奴隷商ら、皆殺しにしてやる。」
「そう、ハクには生きる理由があるのね。羨ましいわ。」
「は?」
怪訝そうな紅に私の顔が映る。刃は首筋に当てられたままだ。首輪があれば殺すことができないというのは本当なのだろう。これはただの脅しだ。
「私ね、お母さんが死んじゃったの。たったひとりの私の大切な人だった。この世界は私には残酷すぎる。愛したいと想う人も、愛してくれる人もいないこの世界に、私の生きる意味なんてないの。」
「......」
「だからね、私は最高の死に場所を求めてる。私にも一応プライドがあるから、その辺で野垂れ死ぬわけにはいかないのよ。これさえ叶えられれば、あとはハクが何をしようと知らないわ。あなたを自由にしてあげる。報酬も、私が今持っているお金の残った分は全部あなたにあげるわ。......だからお願い、ハク。私のリムドまでの護衛だけは引き受けて欲しいの。あなたの不利になることは何もないはずよ。」
「.....どうしてリムドなんだ。」
「お母さんの生まれ故郷なの。海を見てみたい。」
「.................わかった。」
長い沈黙のあとハクは首筋から刃を離すと、そのまま隣のベッドに横になった。
「あんた、その瞳の色といい見た目といい、王族だろ。なんか訳ありだな。」
「そういうことよ。ハクだってあそこにいたってことは色々あったんでしょ。お互いさまじゃない。まぁ、深く干渉し合わないってことで。」
「ああ」
「それから、私の名前はスターリアよ。あんたじゃないわ。」
「........」
「ねえ、ちょっとハク?スターリアって言ってみなさい?す、た、あ、り、あ!」
「........」
「ハク‼︎」
「...あんた煩い。俺は疲れてるんだ。ゆっくり寝かせろよ。」
その夜は、久々に誰かと長く会話をした。ちょっとはしゃぎ過ぎてしまったことを否定はしない。
*
奴隷商の男が言っていた通り、ハクの戦闘能力はとても高いものだった。峠道はきちんと舗装されておらず足場の悪いところがたくさんあったが、ハクはそんなことはものともせずに、どこからかわいて出てくる山賊達を片っ端から斬り捨てていった。鮮やかな剣捌きに思わず感嘆の声をあげる。
「ハクはほんとに強いのね。その腕なら王の近衛騎士にだってなれちゃうんじゃないかしら。」
「王?死んでも嫌だね。」
ハクは後ろを振り返ると、汚いものを見るかのように私を睨んだ。
「あんたの護衛をやっているのだって、金で雇われたからだ。あんたとの出会いは自由になるための手段に過ぎない。」
「はいはい。私だって別に近衛騎士になれって言ってる訳じゃないわよ。あんな王の側にいなきゃいけないなんて、死ぬよりも辛いわ。」
「......あんた王族だよな?」
「んー、まぁ血筋はひいてるけど。そんなことより!私の名前はあんたじゃないって何回も言ってるでしょ!スターリア。古代リムド語で道導っていう意味よ。」
「......知らねー。」
まったく、主人に対しての敬意とかはないのだろうか。これじゃあどっちが雇われたのかわからない。綺麗な顔をしているのに、口を開くと台無しだ。
「おい、もうすぐ日が暮れる。今日は野宿だ。いいな?」
「...そうね。あの木の下が少しひらけているから、あそこで火をおこしましょう。」
山賊を倒しながら峠を越えるには短く見積もっても5日はかかる。鬱蒼とした森の中、ここからは体力勝負だ。休める時に休んでおいた方がいい。
買っておいた携帯食をかじると、私はまだ燃えている焚き火の側に横になった。
「時間が経ったら起こして。見張りを交代するわ。」
「ああ。」
どこからかフクロウの鳴き声が聞こえてくる。しんとした森の空気の中、まるで溶け込んでいくかのように私は静かに目を閉じた。
*****
不思議な女だと思った。
おそらく年齢は自分より一つか二つ下。宿で見た金色の豊かな髪に、ターコーイズのような色をした綺麗な瞳。黙って微笑んでいれば、かなりの美人だ。獣人で綺麗な顔には見慣れている俺も、その美しさには思わず息を呑んだ。
だが、その考え方はまるで理解できなかった。俺のような獣人達は、昔から金を持った貴族達に使役させられ、皆、そんな過酷な状況の中「自由」を強く望んでいる。生きることを渇望している。しかし、この女はどうだ。死に場所を探す?この世界に絶望している?そんなバカな考えがあるか。世の中の生きるものは全て、その命に執着するものだ。死にたいなどと考えることなどあり得ない。ずっとそう思っていたのに、あの時首に刃を突きつけられた状態でまっすぐに見つめてきた彼女を、鼻で笑うことが出来なかったのは何故だろう。王族であるのに王を嫌い、あんなにも生命力に溢れているのに死にたいと願っている。いつも何処か遠いところを見つめている瞳には何が映っているのか。
俺はこの女のことを何も知らない。
知りたいとも、思わない。
それなのに、どうして
*****
それは、もう少しで峠道が終わるという頃だった。
いつもなら日が沈み始めた時点で野宿をするのだが、もう少しでリムドに辿り着く、という確信が二人の足を日が暮れても動かしていた。
「おい、あとどれくらいなんだ?」
「私にも分からないわ。さっきサナの大木の前を通り過ぎたから、もうすぐのはずなんだけど。」
「さすがにこれ以上歩くのは危険だな。仕方ない。今日はこの辺りで、っうおっ!?」
突然、ハクの声が途切れ、姿が消えた。
「っ!?ハク!?どうしたのっ、っきゃあぁあ!!」
足場がなくなる感覚がした瞬間、私は下に落ち、数秒の浮遊感の後に土の上に尻もちをついていた。
「....いったぁい、何よ、何が起こったのよ.....」
「落とし穴だな。」
頭の上からハクの声がした。なんだか楽しそうな声色だ。
「落とし穴?山賊の罠ってこと?だとしたら私たちマズいんじゃないの?」
「いや、山賊が作ったにしては、あまりにもよく出来すぎてる。俺でさえ存在に気がつけなかった。第一、罠として俺たちみたいなのを殺すために作るんだったら下に竹槍でも仕掛けるはずだろ。これは地面にできたただの空間だ。」
「確かにそうね....。じゃあこれは誰が何のために?」
「知らねーよ、俺だって作ったやつに会いたいくらいだ。こんなすげーの初めて見たぜ。」
ハクは私の隣に座り込むと、木々の間から見える空を見上げた。
「弟が見たら、喜ぶだろうな。」
ぽつりと呟くその横顔は、柔らかい月明かりに照らされて優しいものだった。見たことのない表情に、干渉し合わないと言っていたのに私は思わず尋ねてしまう。
「弟さんがいるの?」
「...ああ、俺たちの種族は基本的に武器で戦うんだが、俺の弟はそういうのが苦手でな。」
無視されるか、関係ないと言われるか、聞いてすぐに口をつぐんだが、今夜のハクはなんだか少し違っていた。
「かわりに頭が良かったから、変な仕掛けや薬を作って、俺や親父ももかなり翻弄されたんだよ。」
「そう。」
「みんな、人間に殺されたけどな。」
ガンと頭を強く殴られたようだった。
そういえば初めて会った時にハクは言っていたではないか。自由になって、人間に復讐する、と。
「.......そう。」
他になんと言えばいいのか分からなかった。彼の心に少しだけ触れられたような気がしたのに、実際は大きく突き放されただけだった。
「別にあんたが憎いとは思ってない。でも、俺が生きる理由はひとつだけ、復讐だけだ。」
「.........」
大きく息を吸って吐き出す。手を少し動かせば触れられる距離にいる彼の心に響く言葉を、私に言うことは出来ない。言う資格もない。
だから私はもう一度息を吸い込むと懐かしいメロディーにのせて、静かに言葉を紡いだ。
交わることのない世界で ずっと君を探していた
静かに涙光る夜には ほら 星が流れる
交わることのない世界の どこかに君がいるのなら
結末なんか分からないけれど 今すぐ 駆けていきたい
「お母さんが昔教えてくれたリムドの鎮魂歌よ。死者を悼むのに、昔の人は星を見上げたんだって。こんなの、私の気休めでしかないけれど。」
「.....」
静かにこちらを見つめるハクの目には私の酷い顔が映っていた。
「フッ、なんでお前が泣きそうなんだよ。同情でもしてるのか?」
「ーーっ!知らないわよ!私だって泣きたくて泣いてるわけじゃないわ!これはただっ!目に砂が入っただけよ!」
「はいはい。わかりましたよ、お嬢さん。」
「だからっ、スターリアだって言ってるでしょ!」
馬鹿みたいだ。いつからこんなに情緒不安定になったのだろう。
一度溢れてしまったら止めるのはなかなか難しい。子供のように私はポロポロと涙を流した。
何もできない無力な自分が悔しかった。たった一人の自分と大して年も変わらない男の子のことを、抱きしめられない自分が許せなかった。
どんな過去を彼は背負い、また背負おうとしているのか、スターリアに踏みこむことは出来ない。拭ってもぬぐっても涙は溢れてくる。目の前の彼は少し困ったように肩を竦めると、私の頬に触れた。
「あんまり泣きすぎると、明日腫れるぞ。」
「ーーっ、」
「ありがとな。」
「!?」
初めて見る穏やかな笑顔に、思わず涙も止まっていた。かわりに今度は頬が熱くなっていく。もうっ、なんなのよっ!?
「明日も早い。今日はもうここで寝るぞ。見張りは、まあ、いいだろ。」
もう話は終わりだというように取り繕われ、どうすることもできない。夜の闇の中、顔の色までは分からないだろうが自分から墓穴を掘る気もなかった。
結局、ろくに眠ることもできず、次の日の肌の状態が最悪だったことはいうまでもない。
*
2人がリムドに無事についた時、何故かその国は浮き足立っているように見えた。
街の街灯には星のモチーフが吊り下げられ、人々はみんなお揃いの紺色に銀の刺繍が施されたケープを羽織っている。道の脇には沢山の屋台が並び、子供達が楽しそうに駆け回っていた。みんな笑顔だ。
「なんだ?祭りか?」
「お兄さん!お姉さん!もしかして旅の方?」
小さな男の子が駆け寄ってきた。手には何か握りしめている。私は男の子の前にしゃがんで目線を合わせると言った。
「そうよ。リムドには観光で来たの。何も知らないんだけど、ひょっとしてお祭りかなにか?」
「そうだよ!四年に一度の光星夜!お姉さん達はラッキーだね。お祭りに参加するならこれ付けて!」
そう言って差し出された小さな手の中にあったのは、キラキラと青く光る石のついた2つのネックレスだった。
「これを付けてくれれば、二人とも参加が認められたことになる。他の国から来た人たちはみんな付けるんだよ!」
「おい、俺はそんなのいら、」
「ありがとう‼︎すごく綺麗ね!ありがたく頂くわ。」
「......」
笑顔でネックレスを受け取ると思いっきりハクの脛を蹴った。崩れ落ちそうになっているが知ったこっちゃない。男の子は駆け出すと手を振りながら振り返って言った。
「じゃあまたね!二人に輝く星の導きがあらんことを!」
ーーー忘れないで、スターリア。輝く星の光がきっと貴方を導いてくれるわ。
あれは一体どういう意味なのだろう。お母さんもよく私に言っていた言葉だ。
鮮明に記憶に残っているのは繰り返し聞いたから。輝く星の導きとはなんのことなのか、ひょっとすると....いや、それはありえない。
むしろお母さんはあの星にはいい印象を抱いていなかった。
だから私は今、ここにいるのだ。
「ったく、いってぇなー。っおい!」
「......」
「おい、」
「!、な、なによ?」
「なによじゃないだろ。かせよ、ネックレス。付けなきゃいけないんだろ?」
「あ、あぁ。そうね。はい。」
ハクの言葉で我に帰る。いろいろ考えるのは後だ。今日はとりあえずこの祭りを楽しむことが1番だろう。
「あ、あれ?」
「何してんだ。」
「髪に絡まってうまく付けられないのよ。綺麗に結んでくるべきだったわ。」
「....かせ。」
私の手にハクの手が触れる。驚いてぱっと離すと、そのままチェーンの留め具を持ち小さく笑った。
「これは酷い。あんた不器用だな。」
「ーーっ、」
いろんな恥ずかしさで顔が赤く染まる。昨日からなんだか変だ。
ハクはそんな私の様子など気にも止めず、絡まってしまった髪を丁寧に解いていく。その手つきがとても優しくて、何故だか泣きそうになってしまった。
「出来たぞ。って、なんでそんなに顔赤いんだよ?自分で出来ないのがそんなに悔しかったのか?」
「ちっちがうわよ!もう‼︎」
怪訝そうな顔をしているハクを置いて、私は早足で屋台に向かって歩き出した。
「....なんなんだ?」
*
後ろからついて来る彼ををチラリと盗み見る。屋台を物珍しそうに見る顔は、意外と楽しそうだった。リムドは他の国に比べて獣人に対して寛容的だ。奴隷として売られることはまずなく、自由に外を出歩くこともできる。お母さんから聞いていたが実際に何人かの獣人たちと道ですれ違い、そのことを実感した。きっとハクも心置きなく今日の祭りを楽しめるだろう。
鮮やかな看板たちをを横目に見ながら大通りを歩いていると、広間のようなところに出た。中央には何やら人がたくさん集まっている。私は近くにいた人の良さそうな恰幅のいい女性に声をかけた。
「こんにちは。ここでは何をやっているんですか?」
「あら、旅の方?ここではねぇ異世界者様がお花を配ってくれてるのよ。」
「異世界者?」
「ほら!みんな!ちょっと道を開けな!旅のお方だよ!お嬢さん、せっかくだ。カナ様に会って来な。年が近そうだから話が合うかもしれないしねぇ。」
「へ?あ、あの、」
旅の方だって?そりゃあいい!どうぞどうぞ。人の流れに押されるように私は1人の女の子の前に出た。
顔をあげて目を合わせ驚く。
彼女はこの世界ではありえない、黒目黒髪だった。
「.......」
「え〜っ!!何この子!ちょー可愛いんだけど!旅の人?どこから来たの?っていうかこれもしかして金髪?すごーいこんな綺麗なのこの世界で初めて見た!あ、私カナっていうの!やかましいのは生まれつきだから気にしたら負けね?それで、あなたの名前は?」
「ス、スターリア、よ。」
凄まじいスピードの口調に少々気押されながら答える。
「スターリアか。綺麗な響きだね!でもちょっと長いかも。リアリアって呼んでもいい?」
「え、ええ、どうぞ?」
リアリアだとそこまで字数は変わらないんじゃないか、などと考えていると、スッと目の前に影がさした。
「おい、あんた。異世界者だかなんだか知らねーけど、初対面に対して距離感おかしいんじゃねーの?」
「お、イケメン!ケモ耳かー!いいねー!萌えですっ!異世界さいっこー!」
「....何言ってんだ?頭大丈夫か?」
「その格好からして、従者、いや違うな、護衛?まぁなんにしても、二人は一緒に旅をしてるってことか。ボーイミーツガールは恋の始まりって鉄則だもんね!いいねー!あなた、名前は?」
「あんたなんかに教える義理はねぇよ、」
「ハクって私は呼んでるわ。本当の名前は知らないの。」
足をかかとで踏みつけて、かわりに答える。どうしてここまで態度が悪いのだろう。もう少し愛想良くできないものか。
「そっかー、ハクかー、そりゃあまたいい名前だね!ところでお二人さんはこの後どこか行く場所はあるの?」
「いいえ。リムドには今朝着いたばかりでどこに何があるのかよく分からないの。だからお祭りが始まるまでブラブラ歩いて時間をつぶそうと思っていたのだけど。」
「だったら、私の店に寄っていきなよ!綺麗なお花がたくさんあるんだ。リアリアと色々お話もしてみたいし。っていうかそっちが本音なんだけど!」
「ふふっ、それはなかなか刺激的かもしれないわね。喜んでお受けするわ。それじゃあ、ハクはどうする?.....ここまでの護衛で、一応あなたの役目は終わりということになるけれど....」
「えー?リアリア、ハクくんと別れちゃうの?」
自分で言って後悔していた。
ハクの務めはここで終わりだ。お金を渡して彼を自由にしなければならない約束である。それなのに離れがたく思っている自分がいた。思わずハクから目を逸らし俯く。
だが返ってきたのは予想外の答えだった。
「....いや、俺も付き合う。」
「「え?」」
「この国でもあんたの身に何があるか分からないだろ?あんたが目的を果たすまでが俺の務めだ。」
「そ、そう。わかったわ。じゃあ、...お願い。」
「おぉーこれはもしかしなくてももしかするかも!?ああ!壁になりたい!この二人のそばで壁になりたいよぉー!」
「あんた、本当に大丈夫か?」
ハクは私のことをどう思っているのだろう。これから死のうとしている人間を死なないように守るだなんて、考えてみればおかしな話だ。もう私に残された時間は少ない。ここに来るまでの間で少しずつ重くなっていく自分の体には気付いていた。
私は私の役目を果たすだけである。
「リアリアー、行くよー!こっちー!」
「ええ、今いくわ!」
だからどうか最期の瞬間まで願わないように。
願いたいと思わないように。
残酷なはずのこの世界で私は初めて出来た友達のもとへ、足早に駆けて行った。
*
「すごいわ、こんなにたくさんのお花見たことない。」
「へへっ、リムドを訪れる人たちから少しずついろんな種をもらって、ここまで大きく育てたんだ。気に入ってもらえたみたいで良かったよ。」
リサの営む花屋の裏にはガラス張りの大きな温室があった。あたり一面に様々な花が咲き誇り、優しい香りで満たされている。私は大きく息を吸い込んだ。
「はっくしょんっ!んあーっ、俺には苦痛でしかないけどな。はっくしょっ!!うー...」
「あははー!花粉にやられてるー!」
「ハク、辛いなら外で待ってていいわよ。私はもう少し見ていたいから。」
確かに鼻のきく彼には少々きついかもしれない。先ほどからくしゃみが止まらないようだ。
元来た通路を戻っていくハクの姿を見送って、私はもう一度花々に目をやる。本当に、綺麗だ。ずっとここでこうしていていたいくらいに。
温室を歩きながら見渡してみると、ふと目に止まる花があった。白くて百合のようだが少し違う。花びらの先が少しずつ淡い緑に染まっていて、触れてしまえば壊れそうな儚さの中に凛とした美しさがあり、私は気づくと、その花に強く心を奪われていた。カナの声ではっと我に帰る。
「ねぇリアリアー!ちょっとこっちに来てくれない?見せたいものがあるのー!」
温室から店の内部に通じている通路を通ってカナの元へ向かうと、こっちこっち、と手招きをしていた。
「この洋服、見て欲しいんだ。」
「洋服?、........‼︎」
目の前にあったのは白いミニドレス。
しかしそれはただのドレスではなかった。
右胸についた大きな青いバラのコサージュ、そこから金糸の細かな花の刺繍が施されスカート全体に広がっている。スカートには青をメインとした大小様々な花が散りばめられ、そのセンスの良さを表していた。キラキラと輝いているのは朝露のビーズだろうか。スカートはシフォン生地がいく層にも重ねられ、全体に華やかな印象を与えている。
「すごく.....綺麗だわ.....。これ、まさかカナが作ったって言うの?」
「うん、実はそのまさかなの。私もといた国で、日本って言うんだけどね、洋服をデザインする仕事に就きたくて勉強してたんだ。この世界に来て今でこそすごく良いところだなって思えるけど、最初の頃は何も分からなくて不安で心が折れそうだった。そんな時に思わず手の動くがままに作ったのがこのドレスなんだ。ただの真っ白な生地に少しずつ花を縫い付けていって、この間やっと完成したの。」
「....そうだったのね。」
「それでね、このドレス、リアリアに着て欲しいんだけど駄目かな?」
「いいわ、....え?今なんて?」
「このドレス、絶対リアリアに似合うと思うの。今晩の光星夜で着てみて欲しい。」
黒い大きな瞳にじっと見つめられて少したじろぐ。自分の意思は曲げたくないという強い思いがその目力に表れていた。
「そ、それは、」
「駄目?」
「ダメ、じゃないわ。でも、これはカナがこの世界で作った大切なドレスでしょ?私じゃなくてカナ、あなたが着るべきなんじゃないかしら?」
「ふふふ、そんなこと気にしてるの?私ねー、さっきリアリアのこと一目見てこのドレスはリアリアのためにあるんだなってビビッときたの!別に自分で着ようと思って作ってたわけじゃないし、きっとドレスもリアリアが着てくれれば喜ぶと思うんだ!」
「...そう?」
「そう‼︎」
顔を見合わせてふふっと微笑み合う。そこまで言われたら断れないじゃない。
「じゃあ、お言葉に甘えて!....って言ってもほんとうに私に着こなせるかしら、こんな素敵なドレス今までに着たことないわ。」
自分にしか聞こえないような小さな声で呟いた。と、カナの溌剌とした声が部屋に響く。
「やったね!じゃあそうと決まったら、まずはリアリアのお肌、スベスベにするよ!」
「え?」
何故だかカナの目が獲物を見つけた狩人のように見える。
気のせいだろうか、笑顔も少し怖い。
「え?じゃないよ!まさかそんな状態でドレス着るつもり?髪の毛も肌ももっと綺麗だよね?どうせ旅の間ろくに手入れしてないでしょ!あー腕が鳴るなー!その髪どんなふうに結い上げよう?清楚な感じもいいけど、色気も少しあった方がいいかも...」
「カ、カナ?あの私そんなにこだわらなくても、」
「こだわるに決まってるじゃん!娘に可愛い洋服着させようとする親の気持ちが今なら手に取るようによく分かるよ!今の私がまさにそれなの!わかる⁉︎祭りまでまだ時間はある‼︎とりあえず行くよ!リアリア!」
相変わらずの彼女のスピードについていけず若干振り回され気味の私は、外で待っている彼のことなどすっかり忘れ、繋がれた手を見て思わず笑みをこぼした。
*****
「ったく、おせーな。花見るのどんだけ好きなんだよ。」
カナの店の前でスターリアが戻ってくるのを待つこと1時間。周りの屋台を覗きつつ時間を潰していたが、さすがに飽きてきた。日も少しずつ傾き始めている。欠伸を噛み殺したところで自分を呼びかける声がした。
「ねぇちょっと!そこの狼の君!」
「んあ?」
声のした方を振り返ると茶色の髪に黄色い瞳の、この世界ではありふれた容姿の少年が両手にたくさんの梨を抱えて立っていた。っていうか何個か地面に落っこちてるぞ、おい。
「この梨を僕の家まで運ぶの、手伝ってくれない?」
「はぁ?なんで俺がそんなことしなきゃ」
「だって暇そうなんだもん。」
そうでしょ?と言わんばかりの態度にイラッとくる。
「っ、最後まで言わせろよ!それに俺だって暇じゃねえ!ここで待ってる奴がいるんだ。」
「ああ、それってもしかしてカナに引きずられていった女の子のこと?その子なら今ごろサロンじゃない?あの様子だとしばらく戻らないと思うよ。」
「何だって?」
ニヤニヤと笑いながら少年がさらに近づいてきた。そのまま下から覗き込んでくる。
「君は僕を助ければフェスまでの時間をつぶせて、僕は君が助けてくれれば全ての梨を持って帰れる。これ、利害の一致ね? ってことではい、半分持って。」
差し出された麻袋を思わず受け取る。果物特有の甘い匂いが鼻をくすぐった。
「ちょっ、待て!俺はいいなんて一言も、」
「あ、そこに落ちてるのも拾ってきてね?僕の家こっちだからー、ついてきてー。」
「〜〜っ、だから人の話を最後まで聞けー‼︎」
いやいや少年の後について辿り着いたのは、小高い丘の上にある小さな家だった。花屋からはだいぶ離れていて、周りにも家は少ない。潮風が優しく頬を撫でる。
「おい、こんなに距離があるなんて聞いてねーぞ。」
「だって言ってないもん。」
いちいち癪に触る言い方をする奴だ。俺は小さく舌をうつと、赤い屋根の家のドアの脇に抱えていた麻袋を下ろした。
顔を上げ、街の方に目をやるとそこにはどこまでも続く深い青。夕陽に照らされステンドグラスのように輝きを散らしている。初めて見るその吸い込まれるような美しさに、思わず息をのんだ。
「海を見るのは初めて?」
「あぁ、ずっと檻の中だったからな。」
「そっか、いいよね海って。嫌な記憶を忘れさせてくれる。僕も、君も。」
目だけを動かして隣の少年の顔を盗み見る。柔らかい光の中、穏やかな表情だった。茶色の髪が夕陽に照らされて、先端だけ淡くオレンジ色に反射している。視線に気がついたのか、こちらを見つめ返してふと思い出したように口を開いた。
少し昔の話をしましょうか。
今から、数千年ぐらい昔にアラナイト流星群って言う流星群が、お母さんの生まれた国の空に現れたの。
今までに誰も見たことがないくらいの輝きと数と美しさだったんですって。人々はそれは喜んで、手を繋いで歌を歌って星を眺めたわ。そうすると幸せになれるっていう言い伝えがあったのよ。星は流れて自分のおうちに帰る、私たち人間みたいに。
そう信じていたから、当時の人々は気がつかなかったのね。アラナイト流星群の中で一つだけ、帰れなかった星、迷い星があったことに。
その星は帰り道が分からなくなって空から落ちてしまったの。でも人間はみんな浮かれて誰も気づいてくれなかった。迷い星はとても悲しんだわ。そしていつしか海の波にさらわれて消えてしまった。結局、空に帰ることはできなかったのよ。でも、迷い星の物語はそこで終わらなかった......、生まれ変わった迷い星が人間の元に現れるようになったの、時を超えて何度も何度も、人間を幸せにするために。
その願いを叶えるために。
そう、何度も。
「....そんな健気な星に感謝して、祈りを捧げるのが今夜のフェスってわけ。ちょうど流星群も見られる時期なんだ。子供も大人もみんな、時間を忘れて騒ぐんだよ。たまたま居合わせた君達みたいな他所の国の人はそうたくさんいるもんじゃない。ラッキーだね。」
「そうだったのか。」
本来なら自分は一生訪れることがないような国だ。今夜ぐらい少しは浮かれてもいいのかもしれない。街灯に火が灯り、本格的に賑わってきた丘の下の街を見下ろして元来た道を戻ろうと足を踏み出し、立ち止まった。
「最後にひとつ聞いてもいいか?」
「なんだい?狼くん。」
「どうしてお前はあそこで、俺に声をかけた?」
2人の間を一陣の風が駆け抜けた。薄暗い闇を切り、冷たく足元の草を揺らしていく。
一瞬だけ少年の顔に驚きが浮かんだが、それを打ち消すように明るい声で彼は答えた。
「だから言ったじゃん、君が暇そうにしてたから、」
「違うだろ。お前は、むしろ、...俺のことを、俺たち獣人のことを、憎んでいる目をしていた。それなのに何故あそこでわざわざ俺に声をかけた?」
「......」
大きく息を吐いて、俯きがちに彼は距離を詰めてきた。
殺気は、ない。
「.....そこまでわかってたならさぁ、......そんな野暮なこと、聞かないでよ。」
交差した彼の瞳に浮かんでいたのは、諦めと自虐。思いもよらない感情にその場で立ちすくんで、どう反応することもできなかった。少年はそのまま俺の横を通り過ぎていく。
「ほら、行くよ。フェスが始まる。君のことを探してる人もいるんじゃないの?」
「.....ああ、そうだな。」
何も言わずに、2人で丘を下りる。
陽気な音楽に混ざって聞こえてくる笑い声に耳をかたむけながら、自分の心にできた小さなヒビには気がつかないフリをして、俺はただ、見覚えのある金色を探した。
*****
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
いや、実を言えば私を見るカナの表情が親愛のものから恍惚としたものに変わってきているあたりで、これはなんかマズいな、とは思っていた。
「え、なにこれ、ふつくしすぎるんだけど....え、持って帰りたいんだけど.....え、なにこの溢れ出るオーラ、後光が見える...目がぁ!目があぁぁあぁ‼︎‼︎」
「か、カナ?あの、落ち着いて⁉︎」
思えばこのあたりからもうおかしかったのだ。確かにお母さんが絶世の美女だったのは認める。その遺伝子を私が受け継いでいることも認める。でも、そこまでの反応はカナが少しオーバーなだけだろうと思っていた。
「え、ちょっと待って?とりあえずその美しさを語ってもいい?ってか語るわ、本人にだけど!まず、なんと言ってもその髪!その色!緩く結い上げただけで何その色気!かわいさとあざとさがもう飽和状態なんだけど!っていうか飽和水蒸気量超えてるんだけど!あと、何輪か花させば完璧じゃん!あとそのスタイル!服の上からじゃわかんなかったけどリアリア着痩せするんだね!素晴らしいよ、素晴らしすぎるよ!もちろんドレスはめっちゃ似合ってるけど、なんかもうね、一国の姫って感じなの、わかる!?ヤバイよ、3次元でこんな人見たことないよ!」
「あ、ありがとう。そんなに褒められると恥ずかしいわ。」
一応、一国の姫という立場ではあるのだろうか?なかなか鋭いところをついてくる子だ。
何はともあれ、あのあとカナに色々なところへ連れ回され、体中を綺麗にしてもらった。彼女の言う通り、しばらくまともに手入れをしていなかったので正直ありがたい。
「リアリアそういえばオイルマッサージはやってもらわなかったけど、ほんとうに良かったの?遠慮しなくていいんだよ?」
「ええ、実は肩に傷があって、それをあまり人に見られたくなかったの。言ってなくてごめんなさい。」
これは嘘ではない。真実でもないが。
「そうだったの⁉︎こちらこそごめん、いらないお世話だったね。いやー私夢中になると周りが見えなくなっちゃうからさ、これからもなんか気に触るようなこと言ったら、遠慮なく言ってよ。友達だもん!」
「そうね、これからも、友達だもの、ね。」
笑顔で返したかったのに、カナの顔を真っ直ぐ見られない。逸れた視線は彼女が持っていた一輪の花に止まった。
「....それは?」
「えへへぇ、気づいちゃった?これ、さっきリアリアが温室で見てた花だよ。」
そう、カナが手に持っていたのは温室で私が見惚れていた百合のような花だった。
「クラリナっていうんだ。あの時食い入るように見てたから、気に入ったのかなーと思って造花にしてみたの。本物じゃないから匂いはしないけど折れたりしないし、髪に挿したら綺麗なんじゃないかなと思って。どう、かな?」
首をこてんと横にして照れくさそうに笑った。驚きと嬉しさで胸が熱くなる。
「....カナ。」
「ん?」
「.....すっごく嬉しいわ。ありがとう。」
一瞬の沈黙の後にパッと笑顔が咲いた。
「ほんと⁉︎よかったぁー、私の勘違いだったらどうしようと思って、内心ちょっとドキドキしてたの。」
顔を見合わせてクスクスと笑い合う。
この瞬間がなによりも愛おしく感じた。
カナは丁寧に私の髪に花を挿すと、ふと思い出したように尋ねた。
「よし、完璧。あ、そういえばリアリア、この花の花言葉知ってる?」
「花言葉?いいえ知らないわ。この国で初めて見たのよ。」
「そうだったんだ。じゃあ教えてあげるよ。クラリナの花言葉はね、」
*
あのあと私はカナとまた会う約束をして店の前で別れた。ハクを探しつつ、祭りも楽しみたい。今の格好だと瞳の色が見えてしまうが、昼間ではないので青色までは分からないだろうし、そこまで気にも留められないだろう。そう思っていたのだが、メインとなる広場に向かう途中、紺色のケープを身に纏った人たちの中、自分の白いドレスはかなり目立っていることに気がついた。
すれ違う人全ての視線が向けられているような気さえする。
これって、私、かなり恥ずかしいんじゃないかしら.....。
カナには申し訳ないが、やっぱり私には着こなせていなかったのではないかと足をとめ、花屋に戻ろうと思ったその時、どこからか懐かしい音楽が聞こえてきた。
「....これは、お母さんがよく歌っていた曲だわ....。」
音は広場の中心から聞こえてくる。導かれるように私は歩みを進めた。
そこにいたのはリムドの民族楽器を手に演奏している三人の年配の男性だった。
楽しそうに目を細めながら音を紡いでいく。数年ぶりに聞いた、暖かくて優しい音色に胸が弾んだ。体は、自然に動いていた。
聴こえてくる音楽に身をまかせ、あとは何も考えない。いつかのお母さんの面影を思い浮かべながら体の動くがままに踊り続ける。楽しい。自然と笑みがこぼれた。
初めはそんな私をなんだ、なんだと驚いて見ていた人々もやがて楽しそうに踊り始め、その輪は次第に大きくなっていった。自分の周りがどんどん賑やかになっていくことに多少たじろぎながらも、私はより一層、手足の感覚を研ぎ澄まして音にのせていく。
と、突然人々の動きが止まり、私の前に一本の道のようなものができた。一体急に
どうしたというのだろう。踊りを中断してその道の先を辿った私の目に飛び込んできたのは、
「ハク‼︎」
銀色の髪を風になびかせながら大きく目を見開いて立っている彼の姿だった。
「ハク.....。」
ゆっくりと近づいていきながら、いつの間にか音楽も止まっていることに気がついた。広場で踊っていた人達はみんな息を飲んで、私たち二人のことを見つめている。この状況で口論になるのは祭りの雰囲気を壊しかねない。何故かハクは固まって動かない。どうするのが一番いいだろう。私は息があがってぼうっとする頭をフル回転させながら、考えに考え......一つの結論に至った。
呼吸を整え、私にできる最大限の柔らかい微笑みを浮かべて言う。
「私と、踊って下さるかしら?」
これで、ハクがどう動くか。お願い、この手をとって....!
一秒がひどく長く感じられる。この時の私は立っているのもやっとのくらい、心臓が煩かった。だからその後のハクの思いもよらない行動に、心臓が破裂するんじゃないかと本気で心配してしまった。
「喜んで。」
優しく私の手をとるとハクはその指先に口付けた。
キャーと周りから黄色い声が上がる。
「ただし俺のことだけ、見ていてくださいね?」
私の腰をぐっと引き寄せると、鮮やかな赤い目を細めて耳元で囁くように言った。
とたんに周囲が賑やかになる。なんだ、今年の祭りは!演出か!、豪華だな!そんな声があちこちで飛び交う。止まっていた音楽も流れ始め、私たちを取り囲むように人々がまた踊り出した。私もハクの肩に手を置いて踊りながら、じとーっと彼の顔を睨みつける。
「まったく、今までどこにいってたのよ?探しちゃったわ。」
「あんたが勝手にどっかいくからだろ。俺は俺で野暮用があったんだ。っていうかなんだその格好。」
「カナが貸してくれたのよ。....いいわよ別に、どおせ似合ってないって言いたいんでしょ?こんな綺麗なドレス初めて着たんだもの、少しぐらいはしゃいだっていいじゃない。」
「別に、似合ってないとは、言ってないだろ。」
ふと見上げると、そっぽを向いたハクの頬が少しだけ赤くなっていることに気がついた。こっちまでつられて赤くなってしまう。だからもうっ!なんなのよ!
「んなことより、あんたはもうちょっと自分が他人にどう見られてるのか、理解したほうがいいんじゃないか?そんな格好で踊って、男に目ぇつけられたら終わりだぞ。」
「何言ってるの?ハクが私を守ってくれるんでしょ?」
「.....っ、」
ハクの足が止まった。私もつられて止まる。
もう一度見上げた彼の表情は、逆光でよくわからなかった。
「あんたなぁ.......、」
「っおい!見えたぞ!流星群だ!」
そう叫ぶ誰かの声が聞こえた。
*
突然、濃紺の空にどこからとなく現れた数々の煌めき。
雨粒が海に注ぐように、途絶えることなく流れていく。この世のものとは思えないほど、その様子は美しかった。瞬きするのも忘れて、ただ空を見つめる。
「すごい、なんて綺麗なの。」
「ああ.......」
私もハクも言葉にならなかった。
それぐらい流星群は私にとって、感慨深いものだった。
「なぁ、あんたはこの星に願うとしたら何を願う?」
「え、願い事?そうねぇ、何かしら。ハクは何かないの?」
「俺は....よく、わからなくなってきた。俺が何をしたいのか。」
「何をしたいのか、じゃなくて、何をすべきなのかじゃないのかしら。結局のところ本当の願いを叶えるのは自分自身だわ。」
「......」
「星なんかに願ったって、誰も幸せにはなれない。もしその願いが叶ったとしても、後に残るのは絶望だけよ。......っなんて冗談だわ!そうねぇ、願い事。私はねぇ、........っ⁉︎」
突然右肩に熱く鋭い痛みが走った。あまりの痛さに膝から崩れ落ちそうになったところをハクに抱きとめられる。
「っおい、どうした⁉︎しっかりしろ‼︎」
「だ、大丈夫だから....悪いんだけど、私を、宿まで連れていっ、てくれないかしら....っはぁ...くっ.....」
「わかった。」
息をするのも苦しかった。
ハクに横抱きにされ、流星群に盛り上がっている人達の脇を通り抜けていく。人生初のお姫様抱っこに赤面するほどの余裕は、今の私には残っていなかった。
*
宿に着くと私は重い体をベッドに沈めた。やってくるのが思っていたよりも早かった。あと3日は耐えられると思っていたが、お星様は待ってくれないようだ。手を伸ばして自分のバッグを引き寄せると、中から金貨の入った袋を取り出す。ハクはすぐそばに立っていた。
「ハク、これ。」
「......」
「ここまでありがとう。報酬分よ。受け取って。」
「あんたの体、どうなってるんだ。なんでそんなに苦しそうなんだよ?」
「これだけじゃ足りないって言うの?仕方ないじゃない、あなたの服が高かったのよ、それに剣だってそれなりにいいのを買っちゃったか、」
「報酬なんかどうだっていい‼︎」
ハクの叫びが小さな部屋に響く。なんであなたが、そんなに苦しそうなのよ。私が悪いことをしてるみたいじゃない。
「.....ハク。私はあなたを雇った。今の私にはまだ、あなたを行使する権限がある。ハク、このお金を持ってあなたはこの部屋から出て行って。二度と私の前に姿を現さないで。あなたの任務はここで終わり。これは、命令よ。」
「ーーっ、」
「あなたはもう、必要ない。」
ハクは一瞬頬を殴られたような顔をした。赤い瞳が悔しそうに歪む。しかし目を逸らさない。
やがて私の手から奪うように袋を取ると、そのまま部屋を駆け出ていった。
あとには私の不規則な呼吸音だけが残った。
*****
ダンッ
握った拳を宿の外壁に強く叩きつける。唇を強く噛みしめ口の中に錆びた鉄の味がにじんだ。
彼女に拒絶され、どう言い返すこともできなかった。
あくまでも赤の他人。
互いに干渉しあわないという約束。
金で雇い、雇われた関係。
そう思っていたのに、そうわかっていたはずなのに、それなのに、どうして、彼女のことをもっと知りたいと、あのターコーイズ色の瞳に映るのが自分でありたいと願ってしまうのだろう。
あの時広場で白いドレスを見に纏い華麗に踊っているのを見た時、本当に時間が止まったように感じた。とりすました笑顔でダンスを申し込んできた彼女を、驚かせたいと思った。他の男たちのことなど目に入らないくらい、俺のことだけを見ていればいい。本気でそう思った。
「俺も、らしくねぇな。」
この感情に今更名前をつけるなど、馬鹿馬鹿しくてできなかった。
俺が何をしたいのか、何をすべきなのか。
あえて彼女には言わなかったが、さっき横抱きにしたときにドレスのすき間から見えたものがあった。それがずっと俺の心に引っかかっている。あれの正体が分かれば、彼女の抱えているものがもしかすると分かるかもしれない。残された時間はきっともう少ない。俺は軽く息を吐くと祭りが終わって人の通りも少なくなった裏道を、丘に向かって全速で駆けだした。
*
数時間前に訪れた赤い屋根の家のドアを叩く。
しばらくして眠そうかつ、イラだたしげな顔がドアから覗いた。
「誰、こんな時間に。子供はもう寝る時間なんだけど。」
「俺だ。悪いんだがさっき話してくれた迷い星について、聞きたいことがある。」
「うぇええ⁉︎狼くん?ちょ、ちょっと待って。あ、いや待たなくていいんだけど、え何、迷い星?まぁいいや、とりあえず中入りなよ。」
「すまない。」
「適当に座って。」
靴裏についた土を払い落として、壁のそばにあった三本脚の椅子に腰を下ろす。黄色い瞳が心配そうにこちらを見ていた。
「んで、なんだっけ?迷い星に関して?何が知りたいの?」
「ああ、そのことなんだが。.....空から落ちた迷い星が人間の願いを叶えるために、何度もこの世に現れてるって言ってたよな?そのことに関してもっと知っていることはないか?」
「詳しいこと、かぁ.....うーん、僕も昔おばあちゃんから聞いた話しか知らないからなあ.....あ、ちょっと待てよ、日記になら何か書いてあるかもしれない。」
そう言うと家の奥から、何やら古びた大きな手帳のようなものを持ってきた。
パラパラとページをめくっていき、途中のページでその手をとめる。
「ねぇ、これ。もうだいぶインクが薄れて見えにくいけど、流星群の夜について書いてある。今からちょうど百年前のフェスの時だ。」
ページに顔を近づけて、じっと字面を見つめた。
「おばあちゃんの字、くずれてて読みにくいんだよな。えっと、なんだって.....、流れ星のふり注ぐ夜、一つの若い命が、消えた。その子は自分の夢を叶え、幸せの絶頂にいる最中だった。ほんとうに信じられない。こんな悲劇がまた起こるなんて。私が子供の頃にもいたのだ。同じように願いを叶えて死んでいったものが。聞いた話によると、その子は体に、ほし....星を宿していたらしい。星とは一体何なのだろう。私たちの願いを叶えてくれるものではなかったのか。...........時を超えてくり返す、人間の願いを叶える......これってもしかして迷い星のことか....?」
星なんかに願ったって、誰も幸せにはなれない
後に残るのは絶望だけよ
この世界は私には残酷すぎる
ーーー私の生きる意味なんて、ないの
「そうか、だから....,」
俺は椅子から立ち上がり拳をぎゅっと握りしめた。爪が手のひらに食い込んでくる。
「全て、繋がった。」
茶色い髪を揺らして少年が少し寂しそうに笑う。
「やれやれ、ついさっき来たと思ったら、もうおかえりですか狼くん。」
「ああ、やらなきゃならねぇことがわかったんだ。あんたには礼を言うよ。」
「あんたじゃないよ。僕の名前は、レヴィンだ。」
「.....ありがとう、レヴィン。俺の名前は、」
「知ってるよ。ハク、だろう?あの女の子につけてもらったんだって、カナから聞いたよ。」
なんとなくイラッとくる笑みを浮かべて言った。なんだろう、俺のありがとうを返せと言いたい。
「それにしても、ハクだなんて、ずいぶんいい名前をもらったんだねぇー。」
「は?白って意味だろ?どこがいいんだ?」
「違うよ。古代リムドでハクと言ったらそれは、ーーー自由な翼って意味だ。」
丘を転んでもおかしくないくらいくらいのスピードで駆け下りていく。見送るレヴィンがどんな表情を浮かべていたのか、今となっては分からない。
ただ一つ確かなことは、俺が宿の部屋のドアを開けた時、そこには誰もいなかったということだ。
*****
違うの、違うのよスターリア。
貴方は何にも悪くないのに.....ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。無力なおかあさんを許して頂戴。
あぁ、スターリア、愛しい娘よ。
まさかあなたが、その身に星を宿しているなんて。
*
まだ太陽が昇っていないため、薄暗く人通りのない道をゆっくりと歩いていく。
もうどこかを目指しているわけでもない。
カナに貸してもらったドレスが入った紙袋を花屋の店の前にそっと置くと、私は当てもなくふらふらと歩いていた。
「結局、この花は持ってきてしまったわ.....。」
カナが作ってくれたクラリナの造花。これだけはどうしても手放すことができなかった。
「カナ、怒るかしら.....。」
もう、謝ることもお礼を言うこともできない。私は最低だ。あれだけたくさんのものをもらったのに、自分は何も返せないなんて。
俯いた頬を冷たい風が撫でた。ふと顔を上げると、そこにはいつのまにか大きな海が広がっていた。
自分の存在がひどくちっぽけに見えて、笑い飛ばしたくなるような。
抱え込んできた思いを全てさらけ出してしまいそうな。
どこか遠い場所を見つめていたお母さんの姿を思い出させるような。
そんな、海だった。
体の重さが和らいでいくような気がした。
「お母さん、私、来たわ。ずっと見てみたかった場所。.....海ってこんなに、綺麗なのね。」
背中に背負っていた鞄から小さな壺を取り出し、砂浜に並んで生えているサナの木の根本に埋めた。
ここならきっとお母さんも、海が見える。
立ち上がってもう一度どこまでも続いている群青色を見渡した。大きく息を吸い込むと、キンとした空気になんだか清々しい気持ちになる。私に残されたやるべきことはあと一つだけだ。
「よし。」
海に向かって白い砂浜を踏んで行く。
私はこの世界に絶望していた。
愛してくれる人も愛したいと思う人もいなかった。
私の生きる意味などなかった。
だから何も、後悔はない。
*****
「ハクくんっ‼︎」
自分を呼び止める悲痛そうな声がして、その方を振り返る。目にしたのは今にも泣き出しそうなカナの姿だった。
「ねぇ、リアリアどこに行っちゃったの?朝起きたらドアの前にこのドレスが、」
手に持っていたのは大きめの紙袋。ぎゅっと抱きしめて震える声で言った。
「ありがとう、さようならって、おき書きがあったの。....ねぇ、これってどういう意味?リアリア、どこかに行っちゃったの?もう会えないの?.....私、バカだからわかんないよぉっ‼︎」
「落ち着け、俺も今探してる。どこに行ったのかは分からない。昨日何か二人きりの時に言ってなかったか?」
「.....昨日?ううん、特になにも。あ、でも一瞬だけ、一瞬だけ、...私がこれからも友達だよって言った時に、寂しそうな顔してた。」
寂しそうな顔、彼女のこの国へ来た目的。
「.....そうか、海、海かもしれない。」
頭に浮かんだ選択肢に確信が走る。次の瞬間にはまた走り出していた。
後ろから追いかけてくる声がする。
「ハクくんっ、リアリアのこと、絶対、絶対連れて帰ってきてね‼︎私ここで、たくさん綺麗なお花用意して待ってるからっ‼︎....約束だよっ‼︎ハクくん‼︎」
*****
冷たい水が肌に刺さる。波は穏やかだった。
胸下あたりまできている海を見て、微笑みを浮かべた。数歩進めば体はもう海に沈むだろう。あとは体の限界を待つばかりである。
深く息をはいてまぶたを閉じた。手足の感覚はもうほとんどない。
だから、突然後ろから抱きすくめられた時、反応出来なかった。
「スターリア。」
掠れた声が鼓膜を震わす。
どうして、どうしてあなたがここにいるのよ。
「.....ずっと、おかしいと思ってたんだ。初めて会ったときから。あんたの目は死にたがってる人間の目じゃない。世界に絶望してるようなやつの目じゃない。だったらなんで、あんなに楽しそうにカナと話してた?なんであんなに嬉しそうに祭りで踊ってた?なんであんなに悲しそうな顔で俺を手放した?全部おかしいと思ってたんだ。」
「黙って。」
「あんたはこの世界に絶望なんてしてない。愛したいと思うやつも愛してくれるやつもたくさんいる。生きる意味なんか数えきれないくらい持ってる。ただあんたはそうじゃないと思いこもうとしてるだけだ。そんなのはただのエゴだろ。」
「黙って。」
「死にたがってるなんて嘘だ。お前は本当は死なざるを得ないだけなんだろ。だったらどうして願わない?死にたくないと、もっと生きたいとどうして、」
「ハクっ‼︎‼︎」
腕を無理やり振り解いて、その勢いで胸に拳を叩きつけた。
「....黙ってって、言ってるでしょ。」
「残念ながら俺はもうあんたの奴隷じゃない。あんたに俺を従わせる権限はない。」
「ーーっ、」
「俺は、」
ハクは手の力が抜けた私をそのまま強く抱きしめて、ポツリと呟いた。
「あんたがいる未来を、生きたいと思ったんだよ。」
その言葉に大きく目を見開く。意味を取り間違えるほど子供ではない。でももう運命を変えることはできないのだ。誰も、抗えない。
「....無理よ。誰かがこの連鎖を止めなくちゃいけないの。そして私がそれを望んだ。」
「どういうことだ?」
「これ、気付いてたんでしょ?」
ハクを離し、洋服の襟を肩まで下ろす。右肩には親指の先くらいの大きさをした紺色の石が埋まり、淡い輝きを放っていた。
「それは....」
「これが時を超えて人間のもとに現れるっていう迷い星よ。一つだけ持ち主の願いを叶えてくれる。.....でもそのかわり、その人間は長く生きることができない。死んでも生まれ変わることすらできないの。」
「.....」
「きっと迷い星は人間のことを恨んでたのよ。自分のことを見つけてくれなかったのに、都合よく願いを叶えさせようとする人間たちのことを。」
「.....」
「だから私は何も願わない。この子と一緒に消えることを選ぶわ。」
「.....俺には一人で生きていけと?」
「.....っ大丈夫よ、私が死ねばハクもきっと私のことを忘れる。悲しまなくてすむから。」
「ーそういうことじゃないだろ‼︎」
ハクの叫び声が響く。
だから、そういう顔されると私が悪いことしてる気分になるんだってば。
「あんたは俺に自由をくれた。俺はもうどこにだって行ける。自分の意思で羽ばたいていける。......それなのに、あんたはっ‼︎」
「....うん。」
「......どうすることも、出来ねぇのか?俺はあんたを、救えないのか?」
「うん、.....もう時間、ね。」
体が石の周りを中心に光りはじめた。
驚いたように伸ばされた手が、宙をきる。
「ごめんね、ハク。私、あなたの願い事すら叶えてあげられなかった。......ちょっと、泣かないでよ。」
あなたに泣かれると、私まで泣きたくなっちゃうじゃない。
最期は笑ってお別れしようと思ってたのに。
「ふざけんなよっ、俺はまだあんたにっ、言いたいこと、たくさんあるのに....あんたを守れるなら、この命だって惜しくないんだ!....あんたを、愛してるんだ‼︎俺はずっと側にいたいんだよ‼︎行くな、行かないでくれ‼︎っスターリア‼︎」
「そうね、私もこんなことなら素直になれば良かった。自分の気持ちにもっと正直になれば良かった。....私も好き、大好きよ。ハク。」
言葉にしきれない想いを伝えようと手を伸ばしても、その手はさらさらと消えていく。
こんなことなら抱きしめてくれた腕を解かなければ良かった。あと一秒だけでもこうしていたいと。綺麗な赤い瞳も、意外と柔らかい髪も、時折見せる笑顔も、優しさも、あなたの全てが、愛おしいと伝えれば良かった。もう、遅いのに。
「ーーっ、スターリアっ‼︎」
涙があふれて止まらない。
自分の名前が呼ばれることがこんなにも嬉しくて、切ないなんて。
「ごめんなさい。....運命には、抗えないの。もう、私のことは、忘れて。....幸せに、なって。ハク、.......さよなら。」
涙で何も見えない視界が最後にかろうじて捉えたのは、
波に揺れるクラリナと、白けはじめた空に輝く星の光だった。
***********
「うわぁああぁん、かわいぞおぉぉ〜‼︎なんでよ、なんではなればなれになっちゃうのよー‼︎うわぁあああぁん‼︎‼︎」
リムドの街の一角で幼い女の子の泣き声が響いた。
「あらあら、泣かないでラリア。それにね、このお話にはまだ続きがあるの。」
「ふぇ、つづき?」
「そう、消えてしまったのは女の子だけだと思っていたんだけどね、どうやら男の子の方も一緒に消えてしまったみたいだって。見た人がいるの、一際大きな光が小さな光を包むように、空に昇っていく光景を。まるで一匹の狼が、星を守るかのように、ね。」
「....それって、どういうことなの?」
「分からない。でももしかしたら迷い星が二人を離れ離れにするのをかわいそうに思って、どこかへ一緒に連れて行ったんじゃないかな。二人の命をもってして、迷い星の連鎖を止めたってこと。星も愛の力に心動かされたのかもしれない。だからこそ二人は....。」
「ふーん、それだったらいいね。」
「そうだね。それにねラリア、.....生まれ変わりって信じる?」
「うまれ、かわり?」
その時、花屋のドアがバンと開いた。銀色の髪に赤い目をした七歳くらいの獣人の少年が顔をだす。
「おい、ラリア!隣の国の商人が来てるぞ。一緒に見にいこうぜ!」
「あ、ハルだ!うん、いく‼︎」
柔らかい金髪にターコーイズ色の瞳を輝かせて、少女は立ち上がった。
「じゃあまたあとでね。カナおばさん!」
「はい、いってらっしゃい。気をつけるんだよ。」
「うん!」
手を繋いで駆け出していく二人の背中を見送って、カナは窓際に置いてある花瓶に目をやった。朝咲いたばかりのクラリナの花がいけてある。その中の一本を手に取って、懐かしそうに目を細めた。
「よし、完璧。あ、そういえばリアリア、この花の花言葉知ってる?」
「花言葉?いいえ知らないわ。この国で初めて見たのよ。」
「そうだったんだ。じゃあ教えてあげるよ。クラリナの花言葉はね、」
ーーーもう一度、あなたに会いたい
ありがとうございました。