70、駆け回る人たち
目の前でダヴィット殿下とジェミヤン殿下が死んだ。
この事態にいち早く立ち上がったのは、当然ながら国王ではない。息子を亡くした父親はこのとき我を失い、ただただ彼らを見つめることしかできなかったためだ。
「ダヴィット殿下とジェミヤン殿下をお隠ししろ、急げ!」
声高に指示をくだしたのは金の髪を流した美丈夫や陛下の側近といった人々で、彼らは陛下達を取り囲み、外から哀れな犠牲者達を覆い隠した。誰かが闘技場の出入り口を塞ぐよう指示を下したが、別の誰かは目撃者が多すぎると反論する。後に思うにこの会話、おそらく彼らは殿下達の死を隠蔽しようと出入り口の封鎖を指示しようとしたのだろう。だが反論した誰かが言ったように、すでにこの場から逃げ去ろうとしている者も多い。目撃者は多く、人の口に戸は立てられないというように、ふたりの王子の死が国中に伝わるのも時間の問題だ。
「兄さん、どうしよ……」
掴んでいた兄さんの腕を引っ張ったのだが、まったく反応がない。手応えのなさに振り返ったのだが、すぐにその理由に納得した。
「アヒム」
「…………あ、はい。なんでしょう」
さしものアヒムも声を失っているようで、私と同様に唖然と国王席を見つめていた。彼にもわかるように、しかし周囲には気付かれないようこっそり兄さんに視線を向けると、アヒムもまた兄さんの異常に気付いた。
器用にも立ったまま気絶しているのである。
アヒムは黙って兄さんの肩を掴むと身体の重心をそらして座らせた。注視しない限り、傍目には黙って座っているようにしかうつらないだろう。
「お嬢さんは平気ですか、気分が悪いなら横になってください」
「どきどきしてるけど、なんとか平気」
ジェミヤン殿下はともかく、ダヴィット殿下の方は直視するのも避けたい光景だったが、あまりにも現実離れしすぎていたせいだろうか。あるいはコンラートで死というものを直接見てしまったからか、もしかすると両方か。なんにせよ気絶しなかったのは自分でも驚いた。それでも細部まで思い出そうとすると吐き気が蘇ってきそうだから、両殿下の死に様を深く考えないようにはしている。
「……本当に大丈夫なんですね?」
「ええ、こちらはいいから兄さんを見ていてあげて」
「いえ、お嬢さんは隣に座って坊ちゃんの手を握っててください。それで誤魔化しやすくなる。……それにいま出ていくのは悪手でしょうしね」
「え?」
「出口です。ここから逃げようとしたお貴族様が詰まってますよ。あれじゃ怪我するだけだ」
目を向けると、決して広くはない出入り口に向かって我先にと外へ向かっている者がいる。もう危険はないというのに逃げ出すのは、人が真っ二つになった光景に恐れをなしたのか、それとも誰かに報せに走るのか。様々な目的があるのかもしれない。
シスの魔法は切れてしまったのか、すでになんの声も届かなくなっているが、例え聞こえていたとしても周囲の騒がしさにそれどころではなかっただろう。段々と事情を呑み込み始めた人々が混乱にどよめき、彼らを制するために兵が声かけを始めたからである。中には気絶してしまったご婦人や心臓発作を起こしたご老人がいるらしく、阿鼻叫喚とはこのことだ。
「こりゃあ……しばらく収拾つかないでしょうね」
「そう、ね。まさか、殿下達が……」
眺めていると、ライナルトの配下に無造作に抱えられた男がその場から運び出されようとしている。隙間からなのでよく見えないが、その男はジェフリーのようだ。早く持って行けと誰かが怒鳴っているのだが、乱暴に扱われているというのにピクリとも動かない。
ライナルトに斬られていたし、死んだのだろうかと目をこらしたときだ。男の指が一瞬だけピクリと跳ねたのを確かに捉えた。目の錯覚だろうかと疑っていると、すぐにみえなくなってしまった。
「犯人はどうなったのかしら」
「けっこうばっさりいってたように見えましたからね、動いてなかったようだし、死んだんじゃないかと……」
アヒムは指先が動いたのを見ていなかったらしい。もちろん私の勘違いの可能性もあるのだけれど、だからといって彼らを追いかけるわけにはいかない。
「落ち着くまでの間に坊ちゃんを起こして、急いで館に戻らないといけませんね。ゲルダ様の耳に入る前に戻らないといけません」
「そうね。話をするにも頃合いを見計らわないと」
殿下二人の死はともかく、いまの姉さんにプレッシャーになるような話をするのは体調をみながらにしなくてはいけない。すでに王位継承者がいたこれまでと、国中の期待を背負って世継ぎを生まなくてはならない状態では重荷が違う。
ああ、そっか。急いで出ていこうとしている人たちの中には、これからのことを協議しなくちゃいけなかったりするのかな。
ぐるぐると思考が巡っていると、やがて国王席付近から嗚咽が聞こえてくる。声の主は間違いなく陛下のようだった。
「とにかく、これから荒れに荒れますよ。おまけにその中心にゲルダ様、ひいてはキルステンが据えられるのは間違いないでしょう」
それとなく兄さんの身体を揺すってみたけれど、ショックが大きすぎたのか兄さんが起きる気配はない。起こさない方がまだ幸せなんじゃないだろうか。もう一度周囲に目を配ったとき、驚きに飲まれ呆然と立ちすくむ人の中にローデンヴァルト候の姿を発見したのだが、あの人が見ているのは陛下の方ではなかったように感じられる。ライナルトや彼の部下達の方をみつめていたのだけれど、いったいどういう意味だったのだろう。
* * * * * *
兄さん自身も顔色が悪いが、話をせずにいられなかったのだろう。帰路の馬車で揉めたのはやはり姉さんのことだった。
「殿下達が亡くなられたなどなんと説明したらいいんだ。お前の子が次の王位継承者かもしれないと話すのか?」
「わからないわ。こればっかりは、今後陛下がどうされるのかで全部変わってしまうから」
「どなたか近しい血縁の方に入っていただければ負担が減るのだが……」
陛下の今の年齢と、これから生まれてくる子供のことを考えると、兄さん的には両殿下の代わりに別の方に王位についてほしいのだろう。しかしこの意見にはアヒムが難しげである。
「でも親なら自分の子に跡を継がせたいって思うのが普通じゃないですか?」
「そうだよな。……そうなんだよなぁ」
「お嬢さんの言ったとおり、陛下のお心次第ではあるんでしょうが……」
陛下が長生きしてくれるのならそれが一番だが、もし早世された場合、あり得るのは子供が成人するまで親族なり近しい存在が摂政として政務を執り行うことだろう。この場合は兄さんが一番の有力候補であり、本人もそれがわかっているのか頭が痛そうである。
「ともあれ一日二日で結論が出る話ではないでしょう。いまはゲルダ様になんて話すのかを考えたらどうですか」
「そうだな。それと来客はすべて断らせよう」
貴族達ものんびりしていられないだろうと憂いのため息を吐いたのだが、ところが予想は私たちの遙か上をいった。帰宅するなり、戸惑いがちなサブロヴァ邸の家令が「来客の申し出があった」と伝えてきたのである。すでに数件申し込まれており、さらにその後も申し出が続いたのだから兄さんは憤慨ものだ。
「仕方がないとはいえ、まだ殿下方がお亡くなりになったばかりだというのにせわしないものだな」
家令も異常を感じていたようなので、姉さんの耳に入ることがなかったのは幸いだろう。なにより私たちも陛下の考えが明らかになるまでは彼らと接触しない方がいいだろうと、申し出は全てお断りさせていただいたのである。
ヴェンデルやウェイトリーさん、それにエミールはもちろん、使用人達にも厳重に口止めをおこなったのだが、肝心の姉さんは体調が優れないまま寝込んでいるので、一日経った後でも話ができない状態だった。街へ出かけていたアヒムは戻るなり外の状態を教えてくれる。
「貴族はあっちこっち走り回って色んな屋敷に出入りしてるようで、馬車がひっきりなしに走り回ってます。連中は今後の出方を伺ってるんでしょう」
「ありがとう。街の方はどう?」
「そりゃあ当然、殿下方の死を悲しんだり、喧嘩の話をしたり……あとはやっぱりキルステンの噂でもちきりですよ」
国内はいささか混乱状態だ。王妃はショックのあまり倒れたらしいし、陛下はさすがに倒れはしなかったらしいが面会も叶わなかったと、早朝に登城した兄さんから聞いていた。いまはいつでもお呼びがかかってもいいように部屋で休んでもらっているところだ。
「それと犯人のジェフリーは死んだようで、残ってた家族は明け方頃に投獄されたようですね」
「……調べてきたの?」
「色々話が出回ってたんでね。それにお嬢さんが知りたがると思ったんで」
話が早い人である。確かにジェフリーについては気になっていたが、決して後味の良い話ではなかった。
「つっても、奴さん独身だったようで妻子はいなかったみたいです。家族は病気の妹だけだったようで、親類縁者もいなかったみたいですね」
「その妹さんはどうなると思う?」
「斬首が妥当でしょうね。主君の仇討ちだろうと、王族殺しは最大級の罪ですよ」
「そうなるわよね……」
罪人だけが罰を受けるのではなく、その家族も巻き添えを受けるのが実状だ。こんなことをいってはなんだが、ジェフリーに妻子がいなかったのは幸運だったのだろう。胸を苦いものがかすめるのだが、しかし彼が死んだというのはどうにも受け容れがたい。
「そこそこお年を召していると思っていたけど、結婚してなかったのね」
「これも噂ですが、妹は病気といっても心の病だったそうで……頼れる親類もいなきゃ面倒みるしかないですからねえ」
「調べるの大変だったでしょうに、ありがとう」
「どういたしまして。でもジェフリーの妹についちゃ近所じゃ有名だったみたいで、たいした苦労はありませんでしたよ」
コンラートの次は両殿下が亡くなったと訃報続きで、これからのファルクラムに不安を抱く者は多いのだろう。エルにもらった手紙の意味を反芻していたが、だからといっていまこの状態の家族をおいて逃げるほど薄情ではない。
姉さんの侍女に様子を確認してもらい、折を見計らっていたときだ。私宛にライナルトからの手紙が届けられたのである。中身は後見人の公文書作成にあたってヴェンデルと顔を合わせておきたいといった旨の内容だ。このタイミングはあまりよろしくないだろうし、できれば避けさせてもらいたかったのだが、この申し出は受けざるをえなかった。彼からの手紙にはこれから先の予定が詰まっていること、今後は時間の調整も難しくなるといった事情が記されており、早急に、できれば翌日に訪ねてきてもらいたいと書かれていたためである。
「慌ただしすぎて頭が爆発しそう」
コンラートでなにも考えずお茶を啜っていた日々が懐かしくてたまらなかったが、過去に浸っている余裕はなかった。明日の段取りをととのえるため、すぐさまヴェンデル達の部屋へと駆け上がったのである。