57、知っていることは意外と少なく
しっかりと喋れるまでに回復したのは王都到着まであと僅かといった所だっただろうか。ウェイトリーさんは順調に回復をみせた。ライナルトからだとエレナさんが持ってきてくれた薬もよかったようだ。
「ここまで回復したのなら、あと少しですね。向こうに着いたらいい魔法医を紹介しましょう。その頃には治癒をかけても倒れたりはしないはずです」
「……ファルクラムに一般の魔法医っていませんよね。……あ、魔道院ですか?」
「いえいえ、ファルクラムでそんな手続き取ってたらいつまで経っても来てくれません。……王都に行けば、うちにお抱えがいるから安心してください。腕前はシスに及びませんけど、人柄はまともですよ。あなたの傷も残らないようにしてもらいますから。……そうでした、肩の痛みはどうです?」
「まだ痛み止めが効いてるので大丈夫です。……もう少し飲み続ける必要がありそうですけど」
「人によっては癖になるからあまり飲んで欲しくないのですけどね」
荷馬車だと揺れが伴うのはおわかりだろうが、私やウェイトリーさんといった怪我人にはこれが身体に響いてくるのだ。そのため痛み止めを分けてもらっているのだが、彼女がため息を吐く理由もわかる。癖になる、と案じる理由もだ。なにせこの世界、痛み止めの主原料となる薬草は、それ単体の効能を聞く限り麻薬である。これは私もエマ先生の所で勉強して知った。薬と毒は表裏一体と言うがなんともはや……日本人の倫理観としてはどうにも拒否反応が出てしまうのだが、即効性のある痛み止めとして必要なのだと教えられて納得した。薬師が処方する漢方のような薬は、飲んでしばらくしてから効能を現すもの。それだって身体を裂く痛みを完全に消し去ることはできないし、激痛が続けばショック死だってあり得るだろう。現に私とて薬に助けられている。怪我を負ってでも動かないといけないような人々にとって、即効性のある痛み止めは必要不可欠なのだ。
「そういえばシスさん、あの方はいまどこに?」
「別件であちこちしてます。ライナルト様しか行き先は知らないと思いますよ」
以前、魔法も万能とは言い難いらしいと判明した。
この機会に魔法についてさらに尋ねてみたのだが、回復といっても人体治療は難しい分類らしく使い手は限定されるみたいだ。患者の体力を消費して自己治癒を促すと覚えてはいたけれど、ゲームや漫画ではおなじみかつ、真っ先にお世話になる魔法だったので、意外だった。
剣と魔法の世界なのにとお思いだろうが、私も魔法に詳しいわけではないのだ。
魔法使いは身近な存在じゃない。帝国にスカウトされたエルだって「才能はある」とわかっていても肝心な部分、魔法の詳細な使い方を知らなかった。これから魔法院で色々な学びを得ていく予定だったのだ。
「才能はあっても魔法使いと名乗れるような存在は希少ですから、どこの国もあんまり公にはしたがりません。……意外と難しいらしいですよ」
軽傷ならすぐ治るけれど、それ以上の傷だと途端に難しくなる。なにせ治癒魔法は術者が加減を間違えるとすぐ昏倒する。自己再生力を一気に高めるのだから、そのくらいは当然なのだと言っていた。
「それじゃあ極端な話、腕や指を切られてしまってもくっついたりはしないのですね」
「不可能らしいですね。そうなってしまったら傷口を焼いて塞ぎます。魔法でできるのは火傷を治すくらいでしょうか。肉体を離れてしまえばそれまでだとシスは言っていました」
……腕をなくした護衛の人……もう名前で呼んでしまうが、ヒルさんの腕をなんとかできないかと期待していたのだ。あの人は身寄りもないらしく今後もコンラートのために働くと言ってくれているが、隻腕ではなにかと苦労も多いだろう。
さて、ここからはウェイトリーさんとの話になるのだが、真っ先に尋ねたのは襲撃者達の話である。
しかし詳しいことを知っていたわけではなさそうだ。残念そうに首を振ったのである。
「仕掛けを隠した後は上にあがり、厨房に向かったのです。その時は彼らは生きていた。賊が来ないようであれば彼らも逃がそうと考えたのですが……」
私たちが逃げ延びるだけの時間が経ったのであれば、あの通路を彼らに教えよう。ウェイトリーさんはなるべく人を逃がそうと考えたのだが、一旦ベン老人のように身を潜める場所を探していたところで見つかってしまった。斬りつけられると気絶したようで、とどめを刺されてもおかしくなかったらしい。なぜ生き延びているのか、自身も不思議そうである。
ここでベン老人も交えて話をしたのだが、おそらく伯がウェイトリーさんを助けたのではないかという結論に至った。理由は、ウェイトリーさんが記憶する倒れた場所と、ベン老人に発見された場所が違ったからだ。
「ウェイトリーを見つけたとき、死体と間違えかけた。旦那様が見つかりにくい場所に置いていかれたのだろう」
領民の様子を見に出て行った伯だが、亡骸は護衛と共に屋敷で発見されたからあり得ない話ではない。あのときの私はまるで注意が向かなかったが、屋敷内で発見された賊の数は相当数に上っていたそうである。
「昔は相当な使い手でいらっしゃったから、年老いてもお強かったはずだ。戦うことで敵の目を引きつけられたのかもしれない。一緒に死んだゴヨという男も旦那様自らお誘いされた腕利きだった、きっと一人でも多くの敵を道連れにしたに違いない」
真実はわからないけれどベン老人がそう信じている。私達もウェイトリーさんを助けたのが伯であればいいと願ったから、異を唱える人は誰もいなかった。
ついでにウェイトリーさんはこんなことを教えてくれた。
「顔は潰すなと叫んでいました。確認させてからでないと報酬がでないからと……。であれば、誰かに雇われたのは間違いないでしょう」
「……ラトリアではないと言いたいのですか?」
「いいえ、ラトリアなのは間違いありますまい」
声を潜め、帝国兵関係者の可能性も低いと呟いた。帝国がわざわざラトリア側の、大森林を経由して襲う理由がないのだ。そもそもラトリア人の仕業に見せかけたいのなら正規兵らしい格好をしていたはずだと考えを述べている。
「賊にしては手入れされた豊富な武器と人員が揃っていた。……旦那様がおっしゃっていたように到底正規軍ではない。雇われ者でしょう」
「確認させてから、ということは連中を雇った人物が同行していたのでしょうか」
「そうかもしれません。しかし、いずれにしてもわたくし共には情報が足りません」
道中は様々なことを話し合っていたが、そのうちの一つが夫人の首が見つからなかった理由だ。
もし伯の顔を見分けられる人物が同行していたのなら、伯やスウェン達の首を持って行かなかった理由も納得できる。
夫人の場合は、実際はエマ先生ではなかったわけで……。判明後は、例えば棄てられてしまった場合も考えられる。こんなことは到底ウェイトリーさんやヴェンデルの前では口に出来なかった。
……どのみち、首を見つけられないままコンラートを発ってしまったのだ。ファルクラムの死者がたどり着くといわれる天上の花園、彼女と娘さんが再会を果たしていますようにと願いをかけることだけが私に出来る唯一の祈りだった。
他にも話したいことは無数にあったのだが、伝令が私の名を呼んだ。
「王城から使いがやってまいりました。ライナルト様がお呼びです」
向かってみると、見知らぬ馬と武官がずらりと揃っていた。つい身構えてしまったのだが、そのうちの一人は明らかにほっとした表情で膝をついたのである。
「コンラート辺境伯夫人でございますな。御身、ご無事でなによりでございます」
陛下からの使いらしい。なんでもコンラートの状況を知りたいとかで私やライナルトにお呼びがかかったらしかった。彼らは急ぎ私たちを連れて行きたいようなのだが、難色を示したのはライナルトである。
「陛下がお呼びとあればもちろんすぐにでもと言いたいところですが、夫人は肩に怪我を負っている。馬の移動に耐えられるかどうか……」
「お気持ちはわかりますが、報せが真実であるならばコンラート領の崩壊は国の有事。陛下は直接話を伺いたいと仰せです」
迎えといっても馬車がないし、これは私にも馬に乗れということか。いくら痛み止めを飲んでるとはいえ、傷自体は深かったわけだし腕は酷使できないだろう。
しかし使者は急いでもらいたいようだし、私も陛下には渡さなければならないものがある。こればかりは他の人には任せられないし……。仕方ない、と腹を括った。
「ライナルト様には先に向かってもらっては如何でしょう。到着は遅れるでしょうが、私は後ろから追いかけます」
全力疾走は厳しいけれど、スピードを緩めるか、別途荷馬車で運んでもらうならいけるはずだ。
しかし提案せども、どうやら了解は得られない。揃って顔を出さなきゃ駄目なの? とつっこみたかったけれど、彼らは私とライナルト揃って王城に来てもらいたいようだ。
するとライナルトが新たな提案をだした。
「怪我人に馬を使わせるのは酷になる。夫人は私の馬に乗せてお連れしよう。荷馬車で長時間揺られるよりは負担が少ないはずだ」
短時間で一気に駆け抜けてしまおうと言いたいらしい。
話はとんとん拍子に進んでしまった。あれよあれよと馬に乗せられ出発したのだけど、馬に乗せてもらってから、ライナルトと同乗となった理由が判明した。この中で一番疲労が少ないのがライナルトの馬なのだ。それに彼自身、私が寄りかかったくらいじゃびくともしない。
将だけあって、彼の馬は素人目でもわかる程のいい馬だった。顔に白い線が入った黒馬だが、精悍という言葉がぴったり当てはまる顔立ちである。筋肉のつきかたも美しいが、毛艶が光を反射し輝いていて理想の馬体といっても差し支えない。これほどの馬を扱うのだから彼の操馬技術はいかほどか、なんて意地の悪い考えを持ったのだが、乗せてもらってすぐにわかった。私なんて足下にも及ばないくらいに馬の扱いが上手い。
「見知らぬ使者と二人乗りというのは貴方も気乗りしないでしょう」
ライナルトは平然としているが、私の方に喋る余裕はない。なにせ揺れるから下手をすれば舌を噛む。痛み止めを飲んでいるのにズキズキと重い痛みがぶり返してきたから、ライナルトの判断は正しかった。脂汗を滲ませながら奥歯を噛みしめる。癖になるといけないから薬の量を最小限にとどめていたのがいけなかった、もっと多めに飲んでおくべきだったと後悔したのである。
一、二時間は馬上で揺られただろうか。景色に目を向ける余裕はなく、ファルクラム市街地を通過しても同様で最後は目を瞑っていた。ライナルトに負担をかけたのは悪かったけれど、到着したと告げられた時は、ようやく拷問が終わったと安堵したのだ。馬を降りるときも手伝ってもらった。
「おっしゃっていただければ速度をゆるめましたのに……。ライナルト様、なぜなにも言われなかったのですか」
「ご本人の意思を尊重した」
ライナルトはけろりとしたものだ。私の顔を見たニーカさんが汗を拭ってくれるが……。うん、でも痛いのは変わらないし、さっさと終わらせたかったからね。
…………ほんと痛い。のたうち回って叫びたい。
触ってみると服越しに血が滲んでいたし、傷口が開いたのだろう。着替えていくべきかと一瞬悩んだが、ここまでくると休むのは危険に思われた。いま少しでも横になったら絶対動きたくなくなる。
使者達は私のあまりの損耗ぶりに驚いていたようだが、ここまできて止まるつもりはないようだ。陽の下でみる王城はまた違う雰囲気があったが、鈍痛に苛まれる私にとって感想はただ一つ。道が長い、である。謁見の間にたどり着くまでの道が遠いこと遠いこと……!
途中ニーカさんは同行を外れ、ライナルトと私だけが奥の間に進むことを許された。最奥の広間に座していたのは言わずと知れた国王陛下、そしてサイドに両殿下。他十数名の側近が並んでおり、その張り詰めた空気に呑まれかけたのである。
背中を押したのはライナルトだった。薄青の瞳は相変わらず淡々としており、気負う必要はないのだと肩の荷をおろした。
伝えるべきことを伝えるだけ、そう心に刻んで一歩踏み出した。