46、お使い発生
「ほう、お前達もゲルダの見舞いに駆けつけたか」
陛下は私たちを見るなり満足げに頷いていた。喜色に富んだ声は、頭を垂れた私たちからでも上機嫌だとわかるほどだ。兄さんは慌てず騒がず、落ち着いた調子で対応する。
「これは陛下、おいでになっているとは気付かず大変失礼いたしました」
「周りには知らせてなかったのでな、お前達がわからぬのも仕方あるまいよ。……良い、顔を上げるがいい」
陛下は一人ではなかった。さきほどは気付かなかったが、傍には二十代頃の男性が佇んでいたのである。彼こそ第二王子ジェミヤン殿下その人であり、こちらを興味深げに眺めていた。
「おお、カレンもこちらに到着していたか。お前もゲルダの見舞いかね」
「はい。兄より報せをいただきまして、遅ればせながら本日王都に到着いたしました。……陛下におかれましては、まこと目出度きことと存じます」
「我が愛しき花はいつでもわしを喜ばせてくれる。お前もゲルダの力になってやってくれ」
「わたくしにできることであれば姉の力になりましょう」
名を呼ばれたことに驚いたが、そつない対応はできたと思う。一応陛下にヴェンデルの紹介はしたのだが、こちらはあまり興味を引かないようだった。……こんなに利発で可愛いのだからもっと反応をしてもらいたい。
黙って佇んでいたジェミヤン殿下だが、ここで陛下の肩を叩き、困り果てた顔で嘆息していた。
「父上、話し込むのは結構ですが、そろそろ私の存在も思い出してはいただけませんか。アルノーはともかく、そちらのご婦人を私は存じ上げないので、ぜひ紹介して頂きたいのですが……」
「そうであったかな? お前も話だけなら聞いているだろう、ゲルダの妹であり、コンラート夫人でもあるカレンだ」
「ああ、義母上の」
姉さんより年上だろうに義母上とは。しかしジェミヤン殿下はこちらに向かって会釈すると……距離が近い。そんな無造作に手を取られても困る。
「道理でお美しい女性だとほれぼれしていたところです」
「お会いできて光栄です、ジェミヤン殿下。殿下のお噂はかねがね耳にしております」
「それは嬉しいね。ただ、兄上と違って私にはこれといった特徴がないだろう。どういった噂なのか是非お伺いしたいのだが……」
「まあ、ご興味がおありですか。わたくしは夫から常日頃、王室の皆様方の素晴らしさを説かれているのですけれど……」
人への距離感が狂ってる。夫、とことさら強調するとわずかに目を見張り、薄っぺらい微笑を貼り付けて手を離された。もっと離れてくれてもいいんですよ。
「ジェミヤン、そうやたらと女性の手を握るでない」
「これは心外な。父上が義母上にされたように、私もご婦人には目がないのです」
「お前といいダヴィットといい、少しは節操を覚えろ。王妃にも言われているだろう」
「兄上と一緒にされても困ります。私は節度を持ったお付き合いしかしておりませんし、なにより節操と言われましても心外ですよ」
親子が言い争っている間に、兄さんが一歩前へ出るように踏み出していた。
「陛下、ゲルダの容体はいかがでしたでしょうか」
「あ、ああ、そうだな。あまり良くはない」
「さようでございましたか。……では私共は一刻も早くゲルダの容体を確認せねばなりませんので……」
「そうだな。だがその前に……アルノー、コンラート伯夫人を少々借りる」
「は。……は?」
まるで予想外の言葉だった。兄さんのみならず私や殿下……国王陛下以外の全員が目を丸める。
「陛下、妹になにか落ち度が……」
しかし陛下はそれに答えることなくジェミヤン殿下や兄さん達に退散するよう申し渡す。
「そなたはこちらに来るように。……なに、すぐ帰す」
などと、陛下が歩き出すのだから付いていかないわけにはいかない。兄さんやヴェンデルに目配せして頷くと、つかず離れずの距離を保って後ろへ続く。私たちの後に続く護衛は誰一人としていなかった。
ジェミヤン殿下は不審そうにこちらを見送るのだが……。そこで、ある顔が目に付いた。殿下の近くには当然お付きの護衛官がいるのだが、そのうちの一人に覚えがあったのだ。年は四十頃で、いくらか精悍さを取り戻しているし、髭も綺麗に剃っていたが間違いない。あれはライナルトと参加した夜会の日、移動の最中で馬車を止めた人だ。ライナルトは人違いをされたと言っていた。
……気になるけど、だめ、いまは陛下を追わないと。
陛下が向かったのは空き室だった。椅子と机と寝台がおかれただけの簡素な部屋。広い部屋ではないし、こんなところでは緊張が高まるが、陛下は椅子に腰掛けると簡潔に告げた。
「すまんな。空き室ならどこでもよかったのだ」
どことなくだが、そこに兄さんや殿下を前にした威厳や横柄な態度はなりを潜めている。答えようとする前に、軽く手を振られた。
「ここにはわししかおらんのでな、面倒な世辞はいらん。いらぬ口をきいたからと罰するつもりもない」
この状況が不透明だ。陛下は笑みを引っ込めているし、面差しには鬱々とした影が差し込んでいる。
「それでは、どういった御用向きでございましょう」
「そなたに尋ねたいことなどそう多くはあるまいよ。……カミルの具合はどうだ」
「どう、とは」
「探ろうとせずとも心配ない。わしはただ、あれの様子が知りたいだけだ」
「どういった噂がお耳に届いているかはわかりませんが……。近頃は発熱を繰り返し、横たわりながら政務に励む日もございます」
「よくないのか」
「よい、とは言えないでしょう。医師がつきっきりになっておりますし、調子のよろしい時もございますが、よる年波には……」
この世界、お世辞にも平均寿命が高いとは言えないのだ。伯の周りは生活環境が整っているからまだまだ元気だけど、エマ先生が伯から離れられないのも不安要素である。
「最近、ローデンヴァルトの次男がカミルと会ったと聞いた。それはどうだ、なにか聞いているか」
「ライナルト様ですね。はい、確かにいらっしゃいましたが、お話しされたあとはすぐに帰られてしまいました」
「そなたは二人が何を話したか知っているか」
「お話、ですか。いいえ、部屋には入れてもらえませんでしたので……。あの、陛下。それがなにか……」
「……いや、それは大した話ではない」
……陛下の方にも情報が渡っているのか。
しかしこちらがしらを切ったことにより、陛下は私が何も知らないと思ってくれたようだ。
「ともあれ、以前よりも体調を崩しやすくなった。そうだな?」
「はい」
先ほどまでの余裕は一体どこへ消えてしまったのか。いまの陛下はどこか切羽詰まっているようだ。片足を上下に揺すり、唇を噛んでみたりとせわしない。見守るしかない時間を経ると、意を決したように顔を上げたのである。
「そなたに頼みがある」
そう言って懐から取り出したのは、しなびてしまった手紙である。全体的にぐしゃぐしゃになっており、意図してそうしたというよりは、長い間しまい込んでいたせいではないかという印象があった。
「これをカミルに渡してくれ。そなたから直接だ、決して他の者を経由するでない」
「……はい。かしこまりまし」
「ふ、封を開くまでは見届けてくれ。よ、よ、読んだとわかるまでは離れないように」
「かしこまりました」
「それと……」
早口で食い気味になったり、どもったりとまるでせわしない。少しだけおかしかったのは、そこに一国の王の姿はどこにもなかったということだろうか。目の前にいたのは、その辺りを歩いていそうなただのおじさんだ。
「あいつが読んだ上でなにを……返事をくれるかどうかは……いや……」
今度は表情が一変して暗くなり、重苦しい雰囲気が漂いだす。途中、私の存在を思い出したのか立ち直ったようだが、手紙を渡すと、すれ違うように部屋を出ていくのだ。
「あとはカミルの判断に委ねる。そなたはただ、それを届けてくれればよい」
去りゆく背中にお辞儀をして、猫背気味の背を見送った。
改めて見る手紙は何度も握りつぶされ、引き延ばされた痕跡すら残っていた。私の知らないところで繰り広げられた苦悩の跡がかいま見えたのである。
たぶん、たぶんなのだが、これはいままで伯に送られていたどの手紙とも違うものなのではないか。そんな予感に奇妙な使命感が首がもたげたのである。
絶対にこれを伯に届けようと決意し、私も兄さん達の元へ戻ったのだが、決心もすぐに吹き飛んだ。
「カレン……」
姉さんの状態は思った以上に悪かった。ソファにぐったりと腰掛けているのだが、その目の下にはくまができており、化粧っ気もないから血の気も薄いのがよくわかり、瞳もうつろだ。髪や服は手を入れてくれる人がいるのでなんとか見られる姿になっているが、侍女がいなかったらとんでもない醜態を晒していたのではないだろうか。
「姉さん」
近寄ってきたエミールは、以前より大分背が伸びている。姉さんよりはいくらかましだが、それでもずっと緊張し続けていたせいだろう。すでに疲労の色が濃い。
「姉さん久しぶりです。お元気でしたか」
「私は元気。エミールも……頑張ってくれてありがとうね」
「はい……」
弟の頬をひと撫で。姉さんの隣に座ると、気怠げながらもすぐにしがみついてきた。小さく「疲れた」と呟かれたのだが、それ以上は喋る気力もなさそうだ。
「姉さん達も陛下と会っていたんでしょう。先ほどまで、頑張って陛下達のお相手をしていたので……」
「……無理して対応してたと」
こくんと頷くエミール。その傍らではヴェンデルがお茶を淹れているので、私が陛下と話をしている間に自己紹介は済ませたのだろう。自慢の薬膳茶、是非とも姉さんの役に立ってもらいたい。疲れ果てた姉さんを労いつつ、目の前でそれを飲んでみせた。
「この香りはどう、気持ち悪くなったりしない?」
「……置いといて。冷めたら飲めるかも」
ヴェンデルや、何気にアヒムがいるものの、そちらに対してはあまり注意が向かないようだ。兄妹が揃っているのもあるためか、休息を優先しているのだろう。夫が訪ねてくる方が心労をためる関係というのも、端からみているとしんどそうだ。
「陛下はなぜ殿下を連れてきたのかしら、姉さんの状態はわかってないの?」
「ここ数日、かな。陛下と一緒に来られるようになったから、僕も困ってます。……ありがとう」
ヴェンデルに出された茶を飲みつつ、エミールもソファに埋もれて長い息を吐いた。
「ゲルダ姉さんが陛下に言わないんだよ。顔色も悪いし、疲れているのはわかっていらっしゃるようだけど、姉さんがいつも大丈夫だって笑うから、ここまで酷いとは思ってもいない」
「エミール、あなたちょっとうるさくてよ……」
「だって辛そうなのは姉さんだし、僕にだってずっと迷惑だって言ってるじゃないか。そこまでして空元気になる理由もないだろ」
エミールの言葉がとげとげしいのは、現在の状況にささくれ立っているせいだろう。まだ自由気ままに学校生活を満喫していたい年頃だと思えば無理もない。姉さんは煩わしそうな態度でエミールを睨むし、これ以上は喧嘩に発展するとみた兄さんが待ったをかける。
「お前達! ……小さいお客人もいるのだから慎むように。……このような形で招く形になってすまないね、ヴェンデル」
「慣れてるから平気です」
「慣れ……?」
「あ。父と母とかで、です。カレン……カレンさんは関係ありません」
ここでさん付けをしたのは、呼び捨てにエミールが反応したからだ。この子の育った環境では、主従関係でもない限り年少が年上を呼び捨てにすることはないから驚いたのだろう。
「私がそう呼ばせてるの。ヴェンデル、弟は気にしなくていいからね」
「でも姉さん、ヴェンデルくんは姉さんの義理の息子で……」
「義母上って呼ばせるの? ヴェンデルにはお母様だっていらっしゃるし、私だってそんな歳じゃないからやだ」
「やだって……。でも、それもそうか」
エミールは私とヴェンデルを交互に見つめていたが、納得してくれたらしい。姉さんは……話したいことはあるのだが、人の目がある場所ではなにを言っても無駄だ。少し様子を見たらコンラートの家に行こうと思っていたけれど、ゲルダ姉さんとエミールは少し離した方が良さそうだ。
「今日はここに泊まらせてもらおうかな。エミールは家に帰ってもいいけど……」
「……カレン姉さんは泊まるんですよね。なら、残ります」
「なら私は……」
「兄さんも泊まりますよね」
「すまないエミール、まだ仕事が……」
「残りますよね」
てっきり家に帰ると思っていたのに、思わぬ回答である。エミールの必死な形相に兄さんも驚いたのか、思わず頷いてしまったようだ。そうなると残りはヴェンデルなのだが、口を開く前にアヒムが手を挙げていた。
「今日は用事があるんで、夕餉を終えたらヴェンデル坊ちゃんを連れて下宿先に行きます。……ここは護衛も多いですし、一日くらいはいいでしょ。ヴェンデル、スウェン兄ちゃんが寝泊まりしてるところに興味ないかい」
アヒムとヴェンデルが親しかった覚えはないのだが、どうやら彼にそんなことは関係ないらしい。興味いっぱいの大人の瞳に少年は押されつつ答えていた。
「あるけど、コンラートの家には……」
「お使い出せばいいんじゃないですか。あとは保護者の了解ですが……」
「ちゃんと責任もって面倒を見てくれるなら」
「よし、だったら俺ほどの適任者はいませんね」
……変なこと教えなければいいのだけれど。