かくして英雄は去りて+続編開始のお知らせ
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このラノに続きBOOK OF THE YEAR 2022(ダ・ヴィンチ 2023年1月号(KADOKAWA)) 小説ランキング18位でした。様々なジャンルの小説が混じる中のランクイン、ありがとうございました。
二人の中年女性が向かい合っている。
「いやぁ……うん、まさか、ねぇ」
なんとも言えない顔でコンラート家使用人ローザンネが唸る。同使用人ルイサが「だよねえ」と相づちを打って襟元を整えた。
「ああいうお爺さんは、たいがいしぶとく生き残るもんさ。あたしはてっきり、ウェイトリーさんの方が先に逝くと思ってたよ」
「わかる。そんで憎まれ口を叩くんだろうね。仲良かったんだもの」
コンラート家は多忙の最中にある。ひとつは当主代理カレンとオルレンドル帝国皇帝ライナルトの婚約。この騒動で家は大変な事になっている。ローザンネ達は家事をメインとしているから外仕事はわからないが、下にも置けないお客様が訪ねる機会が増えたから仕事に気を抜けなくなった。
とはいえ、そのこと自体は喜ばしいし嫌とは思わない。
使用人達は全員、コンラートの崩壊から面倒を見てくれた領主家族に恩がある。行く当てがなかったところを雇ってくれたし、庭師のベンやチェルシーの一件で最期まで責任を持ってくれると確信した。特にベン老人の灰をいずれコンラートに撒いてくれるのなら、彼女達もいずれは……と安心できる。
良くしてくれる人達の幸福を願わないほど、二人は狭量ではない。それにヴェンデルの存在が家族を亡くした彼女達に笑顔を与えてくれた。同様に彼を引き取り、当主代理を買って出たお嬢さんの門出なら、気持ち良く過ごしてもらいたいと願っている。
「ルイサ、ヴェンデル坊ちゃんはどうしてる?」
「元気はないけど、大丈夫よ。たくさん泣いたみたいだから、いずれ立ち直るさね」
「はぁ……やっと落ち着いたと思ったんだけどねえ。ベンさんに、チェルシーに、今度は……」
「まあまあ。こう言っちゃなんだが、おかげであたしたちも落ち着いて支度ができた。手順なんかを間違えずに手伝えたじゃないか」
「そうだねえ、この服も、偶然しまい込む前だったよ」
「……厄いことはこれで最後だよ。結婚式の準備が本格的に始まる前でよかったのかもしれない」
二人は喪服を着ている。
いまはいっときの休憩時間、もう少ししたらまた隣家へお手伝いに手伝いに行く予定だ。
リオの用意してくれた茶を飲みながら、ローザンネは語る。
「ヴェンデル坊ちゃんに約束してたみたい。次の冬までにはわんちゃん達の訓練が終わるから、犬ぞりを体験させてやるって」
「……楽しみだったろうにね。そういえばわんちゃんたちはどうなるって?」
「さぁ……でもその辺は大丈夫じゃないかね。しっかりした人だったから考えてないわけなかったろうし、それにカレン様もいるから、飼い主不在でそのままにはしないんじゃないかしら」
「ちゃんとした飼い主を見つけてあげるか、せめてそれまで面倒見てあげたいね」
「あんた向こうを手伝ってたんだろう。お屋敷はどうなるか聞いた?」
「現所長さんが引き継ぐみたいだよ。ゾフィーと話してたけど、多分、そのままうちの事務所になるんじゃないかって」
バダンテール調査事務所元所長クロード・バダンテールの訃報が飛び込んだのは数日前だ。
その日は珍しくコンラート家の人々が揃っていたのだが、挨拶もそこそこに飛び込んできたのはバダンテール調査事務所の現所長だった。彼は裏路地出身だがクロードに才能を見込まれ育て上げられた。引退した前所長をいまなお「所長」と呼び親しんでいる、クロードの良き理解者の一人だ。
慌てず騒がず、師の教えを忠実に守り、ふてぶてしい表情を崩さない人が汗だくになりながら叫んだ。
「所長が……!」
滅多なことでは狼狽えない人ために全員が腰を浮かしたけれども、同時にその発言は疑われた。
だがそれも仕方ないし、誰が信じられるものかと皆思ったろう。
クロードが死んだ、などと信じられるはずがない。
所長の言葉を聞いたカレンは呆然と口を開け、マリーは飲み物が入ったカップをひっくり返し、ゾフィーは難しげな表情で口元に手を当てた。
誰もが「あのお爺さんがまた悪ふざけを始めたのか」と訝しんだ。しかしながら質の悪い冗談はクロードの分野ではないので大分趣が違う。かといって冗談以外で聞けるはずのない話だ。
全員が真っ当に受け止める気がないのを見た現所長は叫んだ。
「きき、気持ちは、気持ちはわかります。たしかに、昔は死んだふりとか、そういうこともやったりしましたが、いまはやりません! 年が年なのでシャレにならないので!」
時間をおいて、現所長の焦りにどうやら嘘ではないらしい、と空気が伝染する。
その一報を受けた時ウェイトリーは平然としていた。
いつも通り給仕を行いながら会話に参加していたのだ。ぱちりと目を見開く老人を真っ先に全員が気にかけたが、やはり真っ先に気にかけたのはヴェンデルだった。
「ウェイトリー……?」
平然としていたのではない。状況を理解できていない、と全員が気付いたのは少し置いてからだ。
あのウェイトリーが、
「………………は?」
その一言しか発することができなかった。
事故である。
陰謀でも、暗殺でも、なんでもなかった。目撃者も多いから間違いない。
クロードはバダンテール事務所の様子を見に行った帰り、普段ならすぐ馬車に乗るところを、少し街を散策したいと言って歩いた。
偶然通りかかった先、酔っ払いにぶつかられた妊婦が目の前で転んだ。賑わいのある大通り沿いだからこそ発生した事故だが、不運なのはここからだ。
妊婦が倒れた先に向かって馬車が通ろうとしていた。
御者は馬車を止めようと試みた。クロードは老人とは思えぬ早さで婦人を引きあげたが、彼の身体は少しだけ馬にぶつかってしまった。スピードはそれほど出ていなかったが、馬と年老いた男性では、どちらが強いかは明白だ。背中を打ち付けると転がるのだが、打ち所が悪く意識を失った。
騒ぎを聞きつけたバダンテール事務所の人達も介抱したらしいが、目覚めることはなかった。
そんな訃報が飛び込んでからは、それはもう忙しい。
まるで予期していない死だと、涙は引っ込みがちで泣くのは二の次になる。
所長に引き取られ自宅に安置されたクロードの亡骸は綺麗だった。
まるで寝ているようでもあったが、肌は白く、生命の鼓動は感じられない。
当日のうちには事務所の面々やコンラート家の人々がクロードと対面し、現実を状況を受け入れるとそれぞれが現実と向き合った。
ウェイトリーはひとりになると席を外し、ヴェンデルはしばらくの間、冷たくなった手を握っていた。
マリーは無言で退室し、ゾフィーは故人へ無言で頭を下げる。老人はあちこちに親しい人がいたから、他にも入れ替わりで人が家へやってくるから、所長が悲しむ時間を得られるのは当分先かもしれない。悲しむよりも先にやることは多いもので、この場合はコンラート家のカレンも同様だ。故人とは顧問と雇い主の関係以上に、近年は家族ぐるみの付き合いをしていたといっても過言ではない。
「所長に確認したけど、クロードさん、もう身内の方はいらっしゃらないみたい。もしもの場合は所長に諸々をお任せすると以前から話し合ってて、生前から遺言書も用意してた。葬儀もご本人の希望通りに行うそうよ」
このため現所長から相談され葬式の手配にも力添えしている。
「でも最近言ってたのですって。もし自分の葬式を挙げるときがあるなら、せっかくだし向かいの隣人達と派手にやってくれって」
冗談交じりに放った言葉らしいが、現所長はしっかり覚えていた。コンラートにクロードの葬式を合同で手配できないか相談すると、間を置くことなく返事は返された。
かくしてバダンテール調査事務所とコンラート家共同で前所長の葬式が執り行われたが、葬儀は異例にも笑い声で溢れていた。一市民の葬儀にしてはあり得ないくらいに大かがりで賑やかだったから、なにも知らず通りかかった人が首を傾げたくらいだ。
たしかに亡くなり方が突然だった。クロードを惜しむ声は数多だし、まだ生きていて欲しかったと願う人とて多い。けれど彼を知る人間ほど「あのお騒がせ者め」と故人へひと言物申しに来るので、悲しむよりは肩を怒らせて訪ねる人が三割を超え、最後は笑って帰っていく。
その中でも古なじみウェイトリーの立ち直りは早かった。
翌朝の支度も、服装や髪型にも手抜かりは無い。
心配する皆をよそに、しれっと言った。
「年功序列的にはクロードが先に死ぬのも致し方ございませんから、こうなってはわたくしが旅立つ際には、迎えに来てもらうしかありますまい。じじいですので華はありませんが、あやつの嫌いなただ働きにございます」
そうして葬式には似つかわしくない色とりどりの薔薇と楽士を手配した。
「よく考えたら、隠居なんかしたからって最期まで大人しいわけがなかった。いつだって無茶をして、騒動を起こしたはた迷惑な人だったから、そう思えば妊婦さんを助けて逝ったのはらしいまである」
現所長はそう言って薔薇を受け入れると、演奏家の手配を頼んだ。
「ウェイトリーさん、曲目は伝統的な古典音楽でお願いします。あれで静かな音楽が好きだった」
「心得ております。なにせ厚かましくも演奏家まで指定しておりましたからな」
「本当になんて指定してやがるんだ」
この点を踏まえると、若者の方が立ち直りが遅かった。クロードの親しい人達がやんやと支度に取りかかるから、その雰囲気を通し故人の願いを汲み取り立ち上がっている。
若者の中でいち早く頭を切り替えたのはマリーか。死化粧役を買って出ると、自慢の化粧道具を抱えて鼻を鳴らした。
「まったく、結婚式前に葬式は嫌っていったのに、私を預言者にするのやめてほしいわ!」
ゾフィーは彼が飼っていた犬達のもらい手がない場合は引き受けると言った。複数匹を一気に飼うことになるものの、離ればなれにはしたくないそうだ。もし彼女が引き受けきれなかった時は、一匹ずつだがマルティナや調査事務所の人が飼うと言っている。
誰もいない自宅で飼い続ける選択もあったが、現所長は事務所の面倒や併設のアパルトメントの管理が引っ越せないらしく、家主のいない家に犬たちを置くのは可哀想だと言ったのだ。
「所長はわんこ達を可愛がってたしなぁ。住まいを移すのも忍びないし、コンラートの事務所として残すなら彼女に引っ越してもらえないかな。……家の管理も面倒くさいし」
などと呟いたものの、今後どうなっていくかはわからない。
ひとまずは無事に葬式を済ませるのが先決だ。
クロードは生前から派手を好む人だったが、それは死後も同様だ。
葬儀は弔問客の身分を問わなかった。いかにも貧しい人々が花束を持って訪ね、上流階級の人が眉を顰めていても、喪主達は彼らを尊重し遺言書の通り受け入れた。こういった人々がクロードの死を悼んだ理由を亡くなった本人は最期まで語らなかったが現所長は知っている。曰く「依頼によっては収支がマイナスになっても受けた仕事があった」らしい。不思議な話なのだが、街では酒場にひとりで飲みに来るも、二杯分の酒を頼み、器に向かって杯を掲げる老人が多かったとも噂されている。
葬式はオルレンドル帝国皇帝の婚約者、コンラート家のカレンの姿があったため、警護も相当なものになった。場はかなり混沌としていだが、弔問客に加えて絶えず演奏が成された葬儀は、故人が望んでいた派手な葬式なのだが、最後の華を担ったのは皇帝だ。
バダンテール事務所前所長の葬儀には、宮廷の使者によるオルレンドル帝国皇帝直々の弔文が手向けられた。
これによって人々は帝都に構えられた調査事務所前所長の経歴を知った。かつてあったファルクラム王国とオルレンドル帝国の戦争を止めた立役者。その無茶な英雄譚や、オルレンドルでの隠れた活躍を面白おかしく語ったのだ。
さらに現所長は葬儀の場でクロードが助けた婦人や馬車の御者を訴えないと宣言した。状況は事故であり、結果として亡くなってしまったが老人の行動は正しく人助けだった。これで婦人を訴えてはバダンテールの名が泣くと語り、親しい人達には暗に彼らを責めてはならないと訴えた。
「まあご婦人にぶつかったっていう酔っ払いは、実は白面でわざとだったみたいな話も聞くし、逃げた野郎についてはうちの事務所に任せてくださいな」
慌ただしい葬儀を迎えたその日の夜、コンラート家は一同が集まって器を掲げる。
「最期まで格好良かった、私のもう一人のお師匠様に」
「派手で節操なしの金の亡者、尊敬するわたくしの親友に」
「僕の年上の悪友に」
それぞれが敬愛した故人へ想いを掲げ、献杯の杯を捧げる。
かつて小国を救った知られざる活躍をした人、あるいは誰かにとっての小さな英雄。
彼の墓には絶えず誰かによって添えられ続けた花が揺れている。
続編→元転生令嬢と数奇な人生を 開始しています。作品一覧から移動ください。




