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宮廷記録皇妃簿①下し薬混入事件・後

 

 自らの肩を撫でるルブタン婦人を全員が慰めるが、追って処分が降るのは間違いない。前帝カールの御代においては良くて遠方へ左遷、悪くて処刑だが、さてどんな未来が待ち受けているか、想像すれば震えるのは仕方ない。

 しかしルブタン婦人は仕事人だった。


「良いですか。わたくし達が贖いようのない罪を犯したのは事実です。求められもしないのに申し開きをし、泣きわめいてお心を騒がせてはいけません。誠心誠意お仕えし、仕事を成しなさい」

「でもルブタン婦人、あれはルディが勝手に……」

「お黙りなさい。あの子を管轄しきれなかったわたくしと、そして一人きりにしてしまった皆の過ちはもはや拭えません。涙を拭きなさい、決して悟られてはいけません」


 仲間の涙声に、ルブタン婦人がピシャリと言い放つ。

 下剤を器に塗ったのはルディという若輩者だ。若いといっても宮廷勤めは三年目になるが、それでも皇妃に仕える侍女の中では経験が浅いと分類される。


「……ああ、わたくしの命だけで許してもらえるかしら」


 ぽつりと漏らした悲しみはベティーナだけが聞いていた。

 他ならぬルディを皇妃の侍女として加わるのを許したのはルブタン婦人だ。ベティーナ達は婦人などから推薦してもらうなど、宰相達のお眼鏡にも叶った侍女達だったが、ルディは少し違う。皆の補助的目的で推薦されたのだが、こんなことになるなんて誰が考えただろう。

 ルディは皆によく懐いた。

 夢見がちで騒がしい娘だったが、明るいムードメーカーで、だからこそ彼女が裏切ったなんて、初めは誰もが信じられなかった。

 カレンの前に出すのはお墨付きをもらった者達だけだ。それにそそっかしい娘だったから、そんな侍女をカレンの前に出したことはない。まずは手習いとして皆の手伝いや裏方を基本とし、昼間も同じように手伝ってもらっていた。ただあの時はカレンとライナルトが急遽居室を移動することになったから、使用する部屋をあたためるなど準備をする必要があって、手の早いベティーナ達が走ったのだ。茶器の準備だけならルディでもできると任せてしまったら、この事件だ。せめてあと一人残していたらこんなことにはならなかったと後悔ばかりが押し寄せる。


 ――わかってる。完全に私たちの手落ちだけど、だけどどうしてルディが……。


 ベティーナもどうなってしまうだろう。

 父母は悲しむだろうし、皇妃付きの侍女になるから妹の縁談もうまくいきそうだったのに、それも駄目になるだろうか。同僚達もそれぞれ未来を憂いていたが、未来の皇妃たるカレンの居室の前に来ると、各々が気を引き締める。

 部屋の前には侍医長が待機していたが、中に入れてくれないのだと教えてくれた。


「カレン様、ルブタンでございます。入っても宜しいでしょうか」

「お願い」


 扉越しの声は苦しげで、なんとか声を張り上げた様子だった。

 彼女達が扉を潜ると、そこは冷え冷えとした部屋だ。消えかけの暖炉の火は、開け放しの窓から流れる風にかき回されている。

 そこに目的の人がいた。

 銀とも見間違うほどの美しい髪、鼻梁から完璧な左右対称でほれぼれとする容姿を備える人だ。

 彼女がにこりと笑えばいかほどの人が惹きつけられるか想像に難くない。

 肌着の下から透ける肢体は神秘的でもあったが、しかしいまは柳眉を逆立て、苦しげな形相で壁にもたれかかっている。

 座り込むカレンに、ルブタン婦人が駆け寄った。


「服を脱がれるなんて、そんな薄着でどうなさいました!」

「換気……したくて。服は、すぐ汚れちゃうから脱いだの。どうせ……すぐ、お腹痛くなるから」

「唇が枯れておられます。水は飲まれましたか」

「……飲んだ端から流れちゃう」

「部屋を移りますか?」

「いいえ。あんまり移動するのもつらいから、やめて」


 腹を押さえながら恥ずかしそうに俯いた。ほとんど泣きかけの様相にはベティーナもつられそうになる。


「手足が冷たいからあたたかくしたいけど、思うように動けない。悪いけど、お風呂に入るのを手伝ってもらえる?」


 ルブタン婦人に言われる前に全員が動いていた。

 ベティーナともう一人がカレンを持ち上げ、もう一人が備え付けの風呂場へ走る。残った者が暖炉に薪を入れるなど動いていた。

 気合い一つで体を持ち上げるベティーナに、カレンが囁く。


「ベティーナ、陛下は絶対に部屋に入れないでください」

「ご安心くださいませ、なんと言われようと陛下はお通ししません」

「お願いね……」


 願いは同性として痛いほどわかる。誰が下剤に苦しむ姿など好きな人に晒したいものか。たとえ相手が大丈夫だと言っても、そんな姿は見せたくない。まして相手が皇帝陛下となれば尚更だ。ここまで親身になれるのは、カレンが外国人で苦労してきたのもあったかもしれない。気位が高く血を重視するだけの貴族ではなく、本人のやる気と能力を重んじてくれたから、ベティーナ達はいままで軽視されずに誇って仕事をできたのだ。


「……これが最後の務めなら、それはそれでしょうがないかもね」


 そう誰かが言って、認めた。大人しく連帯責任の罪を贖うしかない。

 全員が覚悟を決めて退室し、謹慎命令を受け入れたのだが、粛々と荷物をまとめていたところで呼び立てが入った。

 良くて鞭打ちか、左遷か。悪くて同僚諸共命で贖うか。覚悟を決めて部屋を出たら、連れて行かれたのはカレンに与えられた部屋だ。

 うつぶせで休むカレンの顔色は悪いが、侍女達を見るなりわずかに表情を綻ばせる。


「うう、休んでるところにごめんね。誰かひとり、もう少し介助してくれると助かります……。侍医長が他の人を寄越してくれたけど、どうもやりにくくて……」

「……私たちで良いのですか?」


 おそるおそる尋ねるベティーナに、むしろ意外そうな顔をして言った。


「あなた達以外の誰に任せろと……?」

 

 泣き出しそうになったベティーナをカレンは不思議に感じただろう。質問の意図をカレンが知ったのは後日になってからだ。

 事態を知ったヴェンデルと侍医長の処方した薬が効いて、ようやく周囲に思いを巡らせられるようになったのだ。回復したところでライナルトとの面会を許したときに物申した。


「彼女達をクビにしたら許しませんからね」

「……カレン」

「せっかく仲良くなれたのにまたやり直せって言うんですか。それに事情を聞きましたけど、確かに不注意だったけど、ちゃんと連携を取ればこれからは防げるはずです。彼女達の仕事ぶりを見ていますけど、二度目を許す人達ではないと思いますよ」

「数日寝込んでおいてか。まだ微熱も残っている」

「苦しかったけど、その分ちゃんと看病してくれたんですよ」

「罰を恐れたからだ」

「それもあるかもしれません。でも、彼女達を見ていたから伝わります。恐ろしいからだけでああも親身にはなれません。彼女達はちゃんと反省して、その上で自らの職務にあたっています」

「私はしばらく面会謝絶だったがな」

「憔悴した私をみたら、怒りを彼女達にぶつけるでしょ。……ほら、反論できないじゃありませんか。そんな怖いお顔をしてたらすぐにわかっちゃいます」


 カレンに言わせてみれば、一度の失態は次に取り戻せば良いのだ。苦しい目には遭ったけれど、かといってそれで侍女達に苦しんで、まして家が滅んでしまえとは思わない。これは誇張ではなくて、彼女が望めばライナルトはそのくらいやってしまう。まして最初の不調時、洗面所に閉じこもったとき、何も知らずとも侍女達は心底カレンを心配していた。謝罪だってもらっているし、罰も致し方ないといった様子で反省もしている。

 それで宮廷から追い立てるには、カレンは鬼になりきれない。

 腕を伸ばし、皇帝陛下の頬を押しながら言った。


「ライナルトが私を案じる気持ちは嬉しいです。でも犯人以外はルブタン婦人を含め、誰も処断してはだめ。有能な人材を失うことになります。厳しいのは大事でも、あなたに恐怖を感じてしまいます」

「かといって無罪とは行くまい、なにかしら罰を与える必要はある」

「でしたらしばらくの減俸ぐらいでしょうね。モーリッツさんなんかは従来の法に照らし合わせるなら鞭打ちが妥当だ、なんて言ってきたけど駄目です。乱暴を働くのだけは絶対にやめてください」

「カレンはあれらにまだ使い道を見出せるか?」

「い・い・か・た」


 恐怖で押さえつけるのでは前帝カールと変わらない。ライナルトとて常ならそんな判断は避けるだろうが、己の存在がライナルトをどれほど変えるか、彼女なりに承知しているつもりだ。

 カレンは決して引き下がらない。

 何か言いたげなライナルトだったが、やがて深く息を吐いて折れた。彼女は己が大切にされていると知っていても、無条件で譲歩する対象は彼女ひとりであるとは知らない。


「心配した」

「ごめんね」

「無事ならいい。だが、目の前で体調を崩す様を見るしかなかった私の身にもなってくれ」

「気をつけます。――ところでもうちょっと手を繋いでもらっててもいい?」

「言われずとも戻るつもりはない。ところで、仰向けにならなくて良いのか」

「さてはライナルト、お腹壊したことありませんね」

「そうだな、ない。あったかもしれないが、幼い頃の話だ」

「ならお願いですから聞かないで」

「しかし……」

「つぎそれを聞いたらしばらく口利きません」


 しかし、とカレンは思う。

 これはしばらく毒味役を断れない。かなり過保護な婚約者を納得させるには必要だが、しばらく宮廷が窮屈になるのは否めないだろう。

 それに彼女自身、もう少し気をつけて周囲を見て行かなくてはならない。


「寝てても練習や勉強が遠ざかるだけなのに……」

「完治するまでは禁ずる」

 

 考えること、成さねばならないことばかりが山積みで、気が遠くなりそうだ。

 それでもひとまずは……さて、ご機嫌斜めな皇帝陛下をなんと言って慰めて、平静に戻ってもらおうか。

 この人がなにをすれば喜んでくれるかは、いまだに手探り。

 イマイチ掴みかねている状況で言った。

 

「ご飯食べられるようになったら、林檎を剥いてほしいな」

「承知した」


 ……これで少し機嫌を直すのだから、難しい人なのだった。

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― 新着の感想 ―
結局下剤を入れた侍女はなぜそんなことをしたのでしょうか 正義感が強いということは悪い噂を真に受けたから? 気になるので閑話か何かで明らかになってほしいです
[気になる点] モーリッツ目線のカレンが気になりますなぁ。。。
[良い点] 完結後も2人と仲間たちのお話が読めて幸せです! [気になる点] それで結局、下剤混入の動機は何だったのでしょう?! 気になりすぎますっ
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